「星の光ってね、ずっとずーっと昔の光なんだって。そんな光が、私には感情を浮かべているように見えるの。ほら見てっ、一等星が笑ったよ」
学校の屋上。校内では数少ない立ち入り禁止エリアにわざわざ僕を呼び出したクラスメイトの綾部香織は、扉を開けると開口一番にそう言った。
僕には一瞥もくれず、その視線は迷いなく空へと向けられている。
彼女に倣って僕も顔を上げるが、そこにはオレンジ色と群青色が広がる暮れ始めの空しかなかった。
「僕には笑顔のオットセイなんて見えないみたいだ」
僕が言うと、彼女は呆れたように溜息をついて、視線はそのままに僕の言葉を否定した。
「オットセイじゃないよ、一等星。もしかしたらオットセイの星座もあるかもしれないけど、私が言っているのは星のこと」
「星が笑ったの?」
「うん、そう。今のはかなりの大爆笑だったね。昨日やってた『笑いの神様』を見ていたに違いない。さすがの私も、笑いすぎてお腹よじれたもん」
僕は昨日放送していたお笑い番組を思い出す。彼女と同じ番組を見ていたことがなぜだかおもしろくなく、ぶっきら棒に話を逸らした。
「それで、僕はどうしてこんなところに呼び出されているのさ。屋上って立ち入り禁止でしょ」
「ふっふっふ。それが私に限ってはそうでもないんだなぁ」
彼女は自信満々の笑みを湛えて、指をくるくると振り回した。彼女が指を動かすたびに、景色の中でなにかが光る。
「それは、鍵?」
「私は天文部だから、唯一屋上に出ることが許されてるんだ。いいでしょ。こうして星を眺めることこそが部活動ってこと」
「そう。なら活動の邪魔をしたね。僕はこれで失礼するよ」
僕がくるりと背を向けると、彼女が慌てたような声を出した。
「ちょちょちょ、待ってって! 君は私に話があるんでしょうが!」
不思議な言い草だ。彼女から呼び出しておいて僕から話があるだなんて。
「君が僕に用事があるんじゃなくて? あんなにもしつこく呼び出しておいて」
「まあ、それもそうなんだけど!」
僕の言葉を肯定しておきながら、彼女は口角の端を上げて言葉を続ける。
「でもここで帰ったら君の立場が危うくなるんじゃない? 私は口が軽いからなー、〝この間のこと〟を言いふらしちゃうかも。君は私に弁明することがあるよね?」
「はぁ……、わかったよ。僕は限りなく冤罪だと思うけど、君の話を聞いてあげる。それで?」
もったいをつけた言い方をしているけれど、彼女の言いたいことはわかっていた。
僕は趣味としてカメラを持ち歩いているのだけど、以前彼女の姿を無断で撮影してしまいそうになったことがある。きっとそのことを言っているんだろう。たしかに校内全体に僕が盗撮魔だと吹聴されては、学校が居づらい場所になってしまう。弁明は必要だ。
「君は私のことを盗撮しました。乙女の哀愁漂う姿を無断撮影するなど大罪もいいところ。なので、その罪をなかったことにしてあげる代わりに、君は私の言うことをひとつだけ聞く義務があります」
裁判官よろしく、彼女は大層な物言いで僕への冤罪を糾弾した。
「なるほど、僕も謂れのない不愉快な謗りを払拭できるのであれば、その取引はやぶさかではない」
仕方なく僕も彼女のノリに合わせてあげる。今彼女の機嫌を損ねたら、本当に僕が盗撮魔だという悪意に満ちた嘘が蔓延しかねない。その嘘が成長しきる前に、芽は摘んでおくべきだ。
「あれ、そんなに素直に了承してくれるんだ?」
きょとん、という擬態語が似合いそうな間抜けな表情をしている彼女は、意外だと声を上げた。
「君が変な噂を立てないと言うのなら、僕も一度くらいなら言うことを聞いてやってもいいってこと。その内容にもよるけれど」
「そかそか。嫌がりそうだなと思ってたから、ちょっとびっくりしちゃったよ」
胸中で嘆息をつきながら、話の続きを促す。
「それで、僕は君になにをすればいい。僕は僕のためになにをすればいい」
「いちいち嫌味な言い方するね君。それだから友達ができないんだよ」
「それこそ嫌味な言い方だ」
「あ、ほんとだ。ごめんごめん」
笑いながらそう言う彼女には、全然悪びれる様子がない。
「それで? 僕は早く部活に行きたいんだ。手短に済ませてほしい」
「そっか、部活があるのか。写真部だっけ」
「そうだけど、そんなことはいいから、早く用件を」
明らかに会話を引き延ばそうとする態度に次第に苛立ちを覚え始めていると、彼女はそんな僕とは対照的な反応を見せた。
「えーっとね、いざ言うとなると恥ずかしいなぁ……」
えへへ、と俯きながら彼女は照れくさそうに笑う。
「恥ずかしい?」
普段は教室内で騒いでばっかりいる彼女の態度とは思えない。いったい彼女は僕になにをさせるつもりなのだろう。まったく想像できない。
「あのね」
「うん」
「私を撮って」
「うん?」
「だから、私の写真を撮ってほしいの。モデルっていうか、そういうのに応募したいなーとか思ってて、だから私のカメラマンになってほしいんだ!」
思い切りよく言い切ったあと、再び彼女は目を逸らす。ほんのり紅くなっている頬はきっと夕焼けのせいではない。
「そう、なんだ」
「あ、今、モデルなんて似合わないとか思ったでしょ!」
「うん」
僕は思わず頷いていた。
たしかに彼女は華がある。アーモンドのような瞳はくっきりと大きく、鼻筋も通っている。笑うと愛嬌もあって、クラスでも人気者だというのが僕の印象だ。
だけど、モデルというような華やかな仕事には興味がないと思っていたから、意外だった。まあ、彼女とはこれまでまったく関わりがなかったから、僕の客観的な意見に過ぎないんだけど。
「失礼なやつー!」
「嘘を言っても仕方がないだろう」
「まあいいや、自分でも似合わないと思ってるし。それで、交渉は成立?」
「そうだね。僕の拙い写真でよければ。ポートレートはほとんど撮ったことがないけど、僕からしたらいい練習の機会でもある」
モデルの素材は悪くない。これはポートレートを苦手としている僕からすれば願ってもいない話だ。こんな機会はなかなかないことだと、僕は自分に言い聞かせた。
「よかったぁ。断られたらどうしようかと思ってたよ。うん、よかったよかった」
僕の返答に満足したのか、彼女は嬉しそうに何度も頷いている。そのたびに肩口に切り揃えられた艶やかな黒髪が揺れていた。
「それじゃあ、これからよろしくね。お互い〝君〟って呼び合ってるのも変だし、自己紹介しよっか」
「いいよ、そんなの。僕は君の名前を知っているし。君みたいな人気者は、クラスメイトの名前を把握しているんだろう」
「名前を知っているなら君呼びはやめてほしいんだけどなぁ。でもうん、私も知ってるよ。天野輝彦くん、でしょ。それにしても、意外。私のことなんか認識してないと思ってた。というか、天野くんはクラスメイトに興味がなさそうだよね」
「失礼な言い草だけど、その考えは間違っていないよ。ただ、僕はクラス内でも、関わりたくないなっていう騒がしい人の名前は、把握することにしているんだ」
皮肉を込めてそう言ってやると、彼女は愉快そうに笑った。
「あはははっ。そりゃ私は認識されているわけだ。でも、残念ながら関わり合っちゃったね」
「本当に残念ながらね。だから僕の前では極力静かにしていてくれ」
「それは聞けない相談だなぁ。あはははっ」
彼女はとても楽しそうに、愉快そうに、大袈裟なほどに笑っていた。
騒がしい人とはできれば関わりたくない。いったいなにに対していつも笑っているのか、僕には理解できないから。彼女だってそうだ。なにがおもしろいのかまったくわからない。
けれど彼女の笑い方を見ていると、なぜだか僕も釣られて笑いそうになってしまう。もしも彼女のように笑えたら、僕の毎日はもう少し楽しくなるのかもしれない。そんなことをなんとなく思った。
「それじゃあ、これからよろしくね、天野輝彦くん」
「こちらこそ、綾部かおるさん」
「こら! それは誤認だよ! 私の名前は綾部香織。把握しきれてないじゃん!」
意図的に名前を間違えられても、彼女は笑顔のまま文句を垂らす。彼女は自分の名前を間違われることさえも、楽しく考えられてしまうような人なのかもしれない。
「それはそれは。大変失礼致しました」
僕がわざとらしく頭を下げると、彼女は再び大袈裟に笑った。
携帯電話で時間を確認すると、すでに部活動が始まって半分が経過していた。大遅刻だ。
「僕はもう行くよ」
「付き合ってくれてありがとー。部活頑張ってね」
「それじゃあ」
彼女が手を振っているのは背を向けていてもわかったけれど、僕は躊躇いなく屋上のドアへと向かっていく。しかし、そのドアを閉めようとしたとき、タイミングを見計らったかのように彼女が口を開いた。それは僕に声をかけるというよりも、一方的に言い放つようだった。
「次の日曜日の午後一時、学校の最寄りの駅前に集合ね」
こちらのスケジュールを考慮しない物言いに文句のひとつも言いたくなったけれど、僕は振り返らなかった。彼女だって端から僕の同意なんて求めていないだろう。そういう勝手な人なんだと、僕の中で彼女への認識が強まっていた。
廊下の窓越しに映る空は、先ほどと比べるとオレンジより群青の割合が増していて、薄っすらと星が光って見えている。
そういえば、星が笑ったと彼女は言っていた。彼女なりの星の輝きに対しての比喩なのだろうけど、それは感情の起伏が激しそうな彼女には似つかわしい喩えだと思った。
星の観測者である彼女もまた、望遠鏡を覗き天体を映し出す、言わばカメラマンだ。シャッターこそ切らないものの、星に表情を読み取る彼女は、僕がファインダー越しに見ている景色よりも、ずっと豊かな感情を捉えているのかもしれない。
そう思ってみると、ならモデル側になった彼女はどんな表情を覗かせるのか、そんな興味が湧いた。
……日曜日の約束を、聞いたことにしてもいいかなという気持ちが、少しだけ芽生えた。
僕らは、カメラマンとモデルの関係なのだから。
学校の屋上。校内では数少ない立ち入り禁止エリアにわざわざ僕を呼び出したクラスメイトの綾部香織は、扉を開けると開口一番にそう言った。
僕には一瞥もくれず、その視線は迷いなく空へと向けられている。
彼女に倣って僕も顔を上げるが、そこにはオレンジ色と群青色が広がる暮れ始めの空しかなかった。
「僕には笑顔のオットセイなんて見えないみたいだ」
僕が言うと、彼女は呆れたように溜息をついて、視線はそのままに僕の言葉を否定した。
「オットセイじゃないよ、一等星。もしかしたらオットセイの星座もあるかもしれないけど、私が言っているのは星のこと」
「星が笑ったの?」
「うん、そう。今のはかなりの大爆笑だったね。昨日やってた『笑いの神様』を見ていたに違いない。さすがの私も、笑いすぎてお腹よじれたもん」
僕は昨日放送していたお笑い番組を思い出す。彼女と同じ番組を見ていたことがなぜだかおもしろくなく、ぶっきら棒に話を逸らした。
「それで、僕はどうしてこんなところに呼び出されているのさ。屋上って立ち入り禁止でしょ」
「ふっふっふ。それが私に限ってはそうでもないんだなぁ」
彼女は自信満々の笑みを湛えて、指をくるくると振り回した。彼女が指を動かすたびに、景色の中でなにかが光る。
「それは、鍵?」
「私は天文部だから、唯一屋上に出ることが許されてるんだ。いいでしょ。こうして星を眺めることこそが部活動ってこと」
「そう。なら活動の邪魔をしたね。僕はこれで失礼するよ」
僕がくるりと背を向けると、彼女が慌てたような声を出した。
「ちょちょちょ、待ってって! 君は私に話があるんでしょうが!」
不思議な言い草だ。彼女から呼び出しておいて僕から話があるだなんて。
「君が僕に用事があるんじゃなくて? あんなにもしつこく呼び出しておいて」
「まあ、それもそうなんだけど!」
僕の言葉を肯定しておきながら、彼女は口角の端を上げて言葉を続ける。
「でもここで帰ったら君の立場が危うくなるんじゃない? 私は口が軽いからなー、〝この間のこと〟を言いふらしちゃうかも。君は私に弁明することがあるよね?」
「はぁ……、わかったよ。僕は限りなく冤罪だと思うけど、君の話を聞いてあげる。それで?」
もったいをつけた言い方をしているけれど、彼女の言いたいことはわかっていた。
僕は趣味としてカメラを持ち歩いているのだけど、以前彼女の姿を無断で撮影してしまいそうになったことがある。きっとそのことを言っているんだろう。たしかに校内全体に僕が盗撮魔だと吹聴されては、学校が居づらい場所になってしまう。弁明は必要だ。
「君は私のことを盗撮しました。乙女の哀愁漂う姿を無断撮影するなど大罪もいいところ。なので、その罪をなかったことにしてあげる代わりに、君は私の言うことをひとつだけ聞く義務があります」
裁判官よろしく、彼女は大層な物言いで僕への冤罪を糾弾した。
「なるほど、僕も謂れのない不愉快な謗りを払拭できるのであれば、その取引はやぶさかではない」
仕方なく僕も彼女のノリに合わせてあげる。今彼女の機嫌を損ねたら、本当に僕が盗撮魔だという悪意に満ちた嘘が蔓延しかねない。その嘘が成長しきる前に、芽は摘んでおくべきだ。
「あれ、そんなに素直に了承してくれるんだ?」
きょとん、という擬態語が似合いそうな間抜けな表情をしている彼女は、意外だと声を上げた。
「君が変な噂を立てないと言うのなら、僕も一度くらいなら言うことを聞いてやってもいいってこと。その内容にもよるけれど」
「そかそか。嫌がりそうだなと思ってたから、ちょっとびっくりしちゃったよ」
胸中で嘆息をつきながら、話の続きを促す。
「それで、僕は君になにをすればいい。僕は僕のためになにをすればいい」
「いちいち嫌味な言い方するね君。それだから友達ができないんだよ」
「それこそ嫌味な言い方だ」
「あ、ほんとだ。ごめんごめん」
笑いながらそう言う彼女には、全然悪びれる様子がない。
「それで? 僕は早く部活に行きたいんだ。手短に済ませてほしい」
「そっか、部活があるのか。写真部だっけ」
「そうだけど、そんなことはいいから、早く用件を」
明らかに会話を引き延ばそうとする態度に次第に苛立ちを覚え始めていると、彼女はそんな僕とは対照的な反応を見せた。
「えーっとね、いざ言うとなると恥ずかしいなぁ……」
えへへ、と俯きながら彼女は照れくさそうに笑う。
「恥ずかしい?」
普段は教室内で騒いでばっかりいる彼女の態度とは思えない。いったい彼女は僕になにをさせるつもりなのだろう。まったく想像できない。
「あのね」
「うん」
「私を撮って」
「うん?」
「だから、私の写真を撮ってほしいの。モデルっていうか、そういうのに応募したいなーとか思ってて、だから私のカメラマンになってほしいんだ!」
思い切りよく言い切ったあと、再び彼女は目を逸らす。ほんのり紅くなっている頬はきっと夕焼けのせいではない。
「そう、なんだ」
「あ、今、モデルなんて似合わないとか思ったでしょ!」
「うん」
僕は思わず頷いていた。
たしかに彼女は華がある。アーモンドのような瞳はくっきりと大きく、鼻筋も通っている。笑うと愛嬌もあって、クラスでも人気者だというのが僕の印象だ。
だけど、モデルというような華やかな仕事には興味がないと思っていたから、意外だった。まあ、彼女とはこれまでまったく関わりがなかったから、僕の客観的な意見に過ぎないんだけど。
「失礼なやつー!」
「嘘を言っても仕方がないだろう」
「まあいいや、自分でも似合わないと思ってるし。それで、交渉は成立?」
「そうだね。僕の拙い写真でよければ。ポートレートはほとんど撮ったことがないけど、僕からしたらいい練習の機会でもある」
モデルの素材は悪くない。これはポートレートを苦手としている僕からすれば願ってもいない話だ。こんな機会はなかなかないことだと、僕は自分に言い聞かせた。
「よかったぁ。断られたらどうしようかと思ってたよ。うん、よかったよかった」
僕の返答に満足したのか、彼女は嬉しそうに何度も頷いている。そのたびに肩口に切り揃えられた艶やかな黒髪が揺れていた。
「それじゃあ、これからよろしくね。お互い〝君〟って呼び合ってるのも変だし、自己紹介しよっか」
「いいよ、そんなの。僕は君の名前を知っているし。君みたいな人気者は、クラスメイトの名前を把握しているんだろう」
「名前を知っているなら君呼びはやめてほしいんだけどなぁ。でもうん、私も知ってるよ。天野輝彦くん、でしょ。それにしても、意外。私のことなんか認識してないと思ってた。というか、天野くんはクラスメイトに興味がなさそうだよね」
「失礼な言い草だけど、その考えは間違っていないよ。ただ、僕はクラス内でも、関わりたくないなっていう騒がしい人の名前は、把握することにしているんだ」
皮肉を込めてそう言ってやると、彼女は愉快そうに笑った。
「あはははっ。そりゃ私は認識されているわけだ。でも、残念ながら関わり合っちゃったね」
「本当に残念ながらね。だから僕の前では極力静かにしていてくれ」
「それは聞けない相談だなぁ。あはははっ」
彼女はとても楽しそうに、愉快そうに、大袈裟なほどに笑っていた。
騒がしい人とはできれば関わりたくない。いったいなにに対していつも笑っているのか、僕には理解できないから。彼女だってそうだ。なにがおもしろいのかまったくわからない。
けれど彼女の笑い方を見ていると、なぜだか僕も釣られて笑いそうになってしまう。もしも彼女のように笑えたら、僕の毎日はもう少し楽しくなるのかもしれない。そんなことをなんとなく思った。
「それじゃあ、これからよろしくね、天野輝彦くん」
「こちらこそ、綾部かおるさん」
「こら! それは誤認だよ! 私の名前は綾部香織。把握しきれてないじゃん!」
意図的に名前を間違えられても、彼女は笑顔のまま文句を垂らす。彼女は自分の名前を間違われることさえも、楽しく考えられてしまうような人なのかもしれない。
「それはそれは。大変失礼致しました」
僕がわざとらしく頭を下げると、彼女は再び大袈裟に笑った。
携帯電話で時間を確認すると、すでに部活動が始まって半分が経過していた。大遅刻だ。
「僕はもう行くよ」
「付き合ってくれてありがとー。部活頑張ってね」
「それじゃあ」
彼女が手を振っているのは背を向けていてもわかったけれど、僕は躊躇いなく屋上のドアへと向かっていく。しかし、そのドアを閉めようとしたとき、タイミングを見計らったかのように彼女が口を開いた。それは僕に声をかけるというよりも、一方的に言い放つようだった。
「次の日曜日の午後一時、学校の最寄りの駅前に集合ね」
こちらのスケジュールを考慮しない物言いに文句のひとつも言いたくなったけれど、僕は振り返らなかった。彼女だって端から僕の同意なんて求めていないだろう。そういう勝手な人なんだと、僕の中で彼女への認識が強まっていた。
廊下の窓越しに映る空は、先ほどと比べるとオレンジより群青の割合が増していて、薄っすらと星が光って見えている。
そういえば、星が笑ったと彼女は言っていた。彼女なりの星の輝きに対しての比喩なのだろうけど、それは感情の起伏が激しそうな彼女には似つかわしい喩えだと思った。
星の観測者である彼女もまた、望遠鏡を覗き天体を映し出す、言わばカメラマンだ。シャッターこそ切らないものの、星に表情を読み取る彼女は、僕がファインダー越しに見ている景色よりも、ずっと豊かな感情を捉えているのかもしれない。
そう思ってみると、ならモデル側になった彼女はどんな表情を覗かせるのか、そんな興味が湧いた。
……日曜日の約束を、聞いたことにしてもいいかなという気持ちが、少しだけ芽生えた。
僕らは、カメラマンとモデルの関係なのだから。