ゴソゴソ。
背後から物音がした。
気にはなるけれど、振り返る事ができない。

「寝てる?」
幾分弱い声でたずねられ、
「いいえ。起きています」
素直に返事をした。

化粧も落とさずに寝た顔はかなり酷い物と思い、振り向くことにためらってしまう。

「すまない。飲ませすぎた」
「いえ、飲んだのは私ですから」

酔いつぶれて知らない部屋のベットで目覚めるなんて褒められたことでないのはわかっているものの、昨夜何もなかったのも自分が一番よくわかっている。
どちらかというと、迷惑をかけたのは私の方。
大樹先生は酔いつぶれた私を介抱してくれただけなんだから。

「すみませんでした。・・・忘れてください」
「あ、ああ」

昨日の私は本当にどうかしていた。
そもそも、夜に出かけるなんて何年かぶり。
私には今までそんな余裕がなかったから。

「君、一人暮らしなの?」
「いいえ」
「朝帰りして、怒られない?」
心配そうな声。
「大丈夫です」

大樹先生は、私が娘と2人暮らしだなんて想像もしてないんでしょうね。
別に、言う必要もないことだけれど。


私には9歳になる娘がいる。
今27歳の私が17歳で生んだ宝物。
名前は結衣(ゆい)という。
高校2年生で突然母になってしまった私の人生は、大きく変った。
それまで大学進学を目標に勉強をしていたのに、その道はたたれた。
高校中退、出産、育児。
10代の私には重すぎて何度も潰されそうになった。
そんなとき私を救ったのは結衣の笑顔。それだけが救いだった。
結衣の父親は2歳年上の大学生で、高校の先輩。
私のことも結衣のことも愛してくれたけれど、結婚は考えられなかった。
私の妊娠で、彼の人生が変ってしまうことが許せなかった。
悩んだ末、私は1人で結衣を育てると決めた。
それから10年。
実家に協力してもらいながら大検を受け、2年遅れで大学の看護学科に進学した。
大学を卒業して3年。やっと看護師として自立し、結衣と普通に生活ができるようになった。
結衣の父親も社会人となり、新しい家庭を築いている。
もう関係のない人のはずなのに結衣のことは気にかけてくれて、結衣が小学校に上がってから月に1度彼の実家に泊まりに行くようになった。
向こうの両親のたっての希望で、彼も顔を出して仲良く過ごすらしい。
彼の家から帰って来る結衣は、いつも抱えきれないくらいのおもちゃを持っている。
でも、月に1度の結衣のいない夜が私はとても寂しい。
昨日がその夜だった。
だから、飲み過ぎたのかもしれない。

「今日、仕事だろ?」
「ええ」
ベットから抜け出した大樹先生。
いつも見る白衣姿とは違って、Tシャツにトランクス姿。
目のやり場に困ってしまって、下を向いた。

「先にシャワー使うよ」
私の反応に気づいたのかどうか、あっという間に浴室へ消えて行った。