大樹先生がアパートに泊ってから2ヶ月。
あの時はっきり断ったから、声をかけてくることはなくなった。
病院でも、何もなかったように普通に接してくれる。
それが寂しい気がするのは、私のエゴね。

「杉本さん、今日は日勤でしょ?」
勤務時間を過ぎても帰る様子を見せない私に、師長が声をかけた。
最近は労務管理がやかましくて、師長も残業にはピリピリしている。
「すみません。もう、帰ります」
「そう、お疲れ様」


追い立てられるように病棟を後にした私。
かといって、アパートに帰る気にはなれない。
今日は結衣がいない日だから。
はー、寂しいな。
1人がこんなに寂しいなんて。
買い物にでも行こうかな。
良さそうな店があれば1人で飲んでもいいし。

こんな時に大樹先生がいたらいいのになあ。
バカバカ、自分が拒絶したんだった。
何考えているんだろう私。

結局足が向かったのは、以前大樹先生に連れられて行った駅前のバー。
「何かお作りしましょうか?」
「ええ、オススメのカクテルをお願いします」

「おいでになるのは2度目ですね」
「覚えているんですか?」
「はい。随分酔っていらっしゃいましたから」
はあ、そういうこと。
顔が赤くなってしまった。
「今日はお一人ですか?」
「ええ」

「どうぞ」
と出されたのは、薄いブルーの液体。
「うん、美味しい」

今日、結衣は父親の実家に行っている。
月に1度の約束だから。
でも、寂しいな。

バックから携帯を出した。
どこからもメールも着信もない。

あの日以来、大樹先生からのメールも来なくなった。
もちろん私が拒絶したのが一番の原因だけれど、それだけでもない。
1ヶ月ほど前に、ちょっとした事件が起きた。
うちの病院のドクターであり、大樹先生の妹の樹里亜(じゅりあ)先生が失踪したのだ。
ある日突然、部長宛の休職届を置いて。
元々、樹里亜先生には色んな噂があった。
院長の家の養女だって事はみんなが知っているけれど、院長の隠し子だと言う人も多い。
お嬢様らしくない控えめな態度も外野の声を大きくしている原因の1つ。
もっと堂々としていればいいのにと思っていつも見ていた。
その樹里先生が突然いなくなれば、大樹先生は恋愛どころではない。

「すみません、おかわりを」
4杯目のカクテルを注文した。
「大丈夫ですか?」
「ええ」
マスターの心配そうな顔。

その後も私のピッチは速いまま。

「お客様?」
遠くの方で呼ばれている声がする。
ん、んーん。
気持ちいい。
このまま眠ったらよく寝られそうで、良かった。
結衣がいない日は寝付けずに困っているから。

「お客様?どなたかお迎えをお願いした方がいいのではありませんか?」
「あ、ええ・・・」
マスターの声はちゃんと聞こえている。
私は酔っていない。

ただ、すごく眠くて、すごく寂しくて、
「大樹先生に会いたい」

「お電話かけられますか?」
「ええ。大丈夫です」
「どなたに?」
「ああ、大樹先生に、会いたいんです」
あれ?私何言ってるんだ?
「おかけしましょうか?」
「いえ・・・」
電話くらいかけられる。
人を酔っ払い扱いしないで欲しい。

ピピピ。
ほら、ちゃんとかけられるじゃない。

ん?
待て待て。
ダメだよ。

ピ。
慌てて切った。
マズイ、私かなり酔ってるわ。

とにかく落ち着けと、目の前のグラスを一気に流し込んだ。
「あーっ」
マスターの驚いた声を最後に、私の記憶はなくなった。