10時を回ってようやく結衣ちゃんが部屋から出てきた。

「おはよう」
「・・・」
「ママ、心配そうにお仕事に出かけたぞ」
「・・・」
「ご飯食べる?」
「・・・」
返事はしないつもりらしい。

それでも、結衣ちゃんのために味噌汁は温め、ご飯もよそった。

「結衣ちゃん、ご飯食べちゃって」
「・・・」
やはり返事はせず、不機嫌そうに席に着いた。

「いただきます」
「はい」
どんなに怒っていても、きちんと「いただきます」が言えるのは桃子の躾のお陰かもしれない。
なんだかんだ言って、結衣ちゃんはいい子だ。

「ママに告げ口したの?」
「え?」
「だって」
ああ、俺が桃子に話したことを怒っている訳か。
「本当は結衣ちゃんから話してもらうつもりだったんだ。でも、昨日の夜家に結衣ちゃんがいなくてママがすごく心配したから、黙っていられなかった」
「嘘」
「え?」
「ママは結衣よりお仕事が大事なのに」
はあ?
「そんなことないよ。ママは結衣ちゃんが何よりも大事なんだ。昨日の夜、ちゃんと話しただろう?」
「でも、又お仕事に行ったじゃない。今日は映画に行く約束だったのに。ママなんて・・・嫌い」
「結衣ちゃんっ」
思わず語気を強めた。

結衣ちゃんだって、ママが仕事を頑張っているのはわかってくれたはずだ。
きっと、楽しみにしていた映画がダメになって機嫌が悪いだけ。
こうしてわがままを言ってくれるのは、打ち解けた証拠。
理解はしているんだが・・・

カチャカチャと音をたて、玉子で遊びだした結衣ちゃん。
あまり食欲がないようだ。
「いらないならやめていいよ」
食べたくないものを無理して食べさせる気はない。
「昼食に何か食べに行こうか?」
「いらない」
いいながらも、ソーセージを転がす。

「ねえ、やめてくれない?」
「え?」
「食べ物で遊ぶな。行儀が悪いぞ」
つい、説教口調になってしまった。

小さい頃から、我が家の親は食事のマナーにはうるさかった。
「食事はみんなが楽しむ物だから、人を不快にするようなことをしてはいけません」と言われ続けた。
食べる気もないのに、食べ物で遊ぶなんて俺には許せない。

「もういらない」
一口も食べることなく席を立った結衣ちゃん。

あーあ、完全に怒ってしまった。
困ったなあと思いながら、俺は何も言わずに結衣ちゃんを見ていた。
その時、
バンッ。
部屋の隅にたたまれていた洗濯物を、結衣ちゃんが蹴った。

「オイッ」
ビクンと、結衣ちゃんの動きが止まる。

「何やってるんだよ」
俺は、自分が抑えられなかった。
大人としてとか、親だったらどうするかとか、そんなことを考える余裕はなかった。
そのまま結衣ちゃんの側まで近づくと、
パッシッ。
洗濯物を蹴った右足のふくらはぎを、叩いた。
「悪い足だ」

「ウゥ-」
結衣ちゃんは泣き出した。

「泣いたってダメだよ。俺は謝らない。ママが時間もないのにたたんで行ったんだから、元通りにしなさい」
「・・・」
しばらく睨み続けていると、結衣ちゃんは洗濯物をたたみ始めた。

「ママは結衣ちゃんが一番大事なんだ。結衣ちゃんと一緒にいるためにお仕事を頑張っているんだ。だから、『ママが嫌い』なんて言うんじゃない。かわいそうじゃないか」
「・・・」

わがまま言ってくれるのは心を許したから。
寂しい思いをしている結衣ちゃんの多少のわがままは許してあげたいとも思う。
でも、それが結衣ちゃんのためにならないときは嫌われてでも言わないといけない。
昨日まで理屈でいくら考えてもわからなかった答えが、すとんと落ちた。

「大樹先生、ご飯食べてもいい?」
「ああ。温めるよ」
「うん」

桃子の作ったお味噌汁と俺が焼いたソーセージエッグを、結衣ちゃんは綺麗に平らげた。