レディードールへ呪いと愛を



『リルのおうちには、オバケがいるの』


幼い少女は、悲しそうにそう呟いていた。


自分は、それを絵本の世界と混同して戯れに呟いている、幼い子供の良くあるパターンだと思っていた。遠い昔、自分にも覚えがあった感覚だったからだ。


『それは困りましたね。絵本のように、魔法使いに助けてもらいましょうか』

『ううん。それはダメなの』


怯えている風ではなく、悲しみにプラスして寂しさまで感じられる表情が、ほんの少し不思議ではあったが。


『どうしてですか? お嬢様は、オバケがいない方が怖くなくていいでしょう?』

『そうだけど。……でも、いっしょにきえちゃったら、ダメだもん』


何が一緒に消えるのか。魔法使いが?

……考えても、よく分からなかった。所詮は子供の夢物語の延長。彼女のその世界観は、彼女にしか見えてない。


自分にはどうすることも出来ない。


その時はそう思い適当に話を合わせたが……――。







「……フェリルを……、ど……か、――たの、む」


それから少しの時が流れ。


(ああ。だからあの時、お嬢様はあんな事を……)


《消えては困るもの》が、やっと分かり。





苦しそうに喘ぐ男を見下ろす青年の表情は、悲しみとはほど遠いものだった。

じわりじわりと、男の命は死に近づいていく。それを止める事はもう叶わないと知っている青年は、ただジッと、最期に自分へ願いを託そうとする男の姿を見つめていた。


「えぇ。旦那様」


長めの前髪に隠れがちな、青年のアイスブルーの瞳が細められる。彼の微かな微笑みに、男は救われた様に静かに、命を終えた。

閉じた目から伝う一筋の涙に、向けられるのは、青年の無音の嘲笑。


「私は、貴方と違ってバカではありませんから」


冷やかな視線と言葉を落とし、青年は暗い夜空を見上げる。

小さな溜息、ひとつ。

刹那、彼の表情が一転した。


「お嬢様を、悲しみに置き去るなんて事は……。決して――」


下弦の月に誓うかの如く、今度は静かな言葉を空気に溶かした青年は、ひどく哀しげな瞳を……隠さずにいた。


 


「月がどうかしたのですか?」


斜めに傾く三日月。それをジッと見ていた私に、ルカが声をかけてきた。


「チェシャ猫みたいに笑ってる。私のことをみてる」

「……笑って――?」

「そう。何にも言わないで、ずっと笑って私を……。朝まで」


眠る前のジャスミンティーは。

安定剤代わりですよ、と言って、執事のルカがいつも淹れるもの。

優雅にお茶を煎れるルカの所作を窓際から眺めながら、私がそんなことを抑揚無く言うと、彼はクスッと笑みを零す。

綺麗な唇が、今日の月より細い曲線を描いたのは、私の言葉を気に入ったということだろう。


「月が見ているのは世界です。なにもお嬢様だけを見ている訳じゃないですよ」


さあ、ベッドにお戻りを。

ルカが、まるで小さい子供をあやすような口調で、私を促した。

幼い頃から私の世話係をしてるルカは、未だにこんな感じの甘ったるさを出してくる。時々、彼の中で私の成長が止まってるんじゃないかと、疑いたくなるくらい。

でも、それはいつも一瞬だけ。

ルカが見せるこの単純な愛情は、現れるとすぐ消えてしまう。

べつに無くなるという意味じゃない。奥に隠される。そういうこと。

 

促されたことに特に反論無い私は、両手に力を入れ、車椅子の車輪を動かした。

ベッドの側まで行けば、あとはルカが抱き上げてくれる。


「相変わらず、軽くて細い身体ですね。好き嫌いばかりしているからですよ」

「軽いなんて嘘」

「今更そんなことを気にして?」

「……そんなの。気にするわよ。当たり前でしょ」

「お嬢様は些細なことが気になるのですね。私にとっては他愛無いことのように思えますが……」


ルカの微笑みが一層優しさを含んだ。

確かに、細いくせに意外に逞しい腕で軽々と私を運ぶ彼にしてみれば、他愛無いことかもしれないけど。

女の子にとっては、そこは結構重要なポイントなのだ。やっぱり、「あ、重い」なんてコッソリとでも思われたくはないもの。

抱っこやらおんぶやらをせがんでいた子供の頃とは、もう違う。今では十七歳と二十二歳。……色々、考えてしまうのが当然。

 

ジャスミンの香りが、ふわりと舞い届いた。

この香りは、毎夜私を眠りへ誘う。

本当はまだ眠りたくない。数度の強いまばたきでは眠気に勝てなくて、私は目を擦り意識を繋ぐ。

チラリとこちらを窺ったルカが、苦笑を浮かべていた。


「昨日、接続部が痛いと仰ってましたが、今は……?」

「ん……。平気」

「お嬢様、その日私の目を盗んで立ち上がったりしてたでしょう? だから、ここに負担がかかったんですよ。あれほど、無茶は駄目だと教えていますのに……」

「知ってたの?」

「それくらいわかります」


カチ、カチ、

小さな音が膝部で弾ける。壊れ物を扱うルカの指先。それがふと、神経がキチンと通っている場所に触れ、ルカの温度が伝わる。

こんな時、私は少しだけ寂しくなった。

私の両足は、膝から下……つくりもの。

義足は特注の陶器製。

生きてない。何も感じない。

……でも、確かに私をかたどる身体の一部。

 


「一応、不具合が無いか調べておきます」

「また、持ってってしまうの?」

「些細なことでお嬢様が痛い思いをするのは、避けたいですからね」

「そういうの、過保護っていうのよ」

「おや。そんな事はありませんよ」


ルカは笑いながら、私の陶器の足を、大事そうに横へ除ける。そして、白い手袋をはめた手で、薄い肌色のラインを撫でた。


「私はただ純粋に、お嬢様が愛おしくて大切なだけです」


陶器の足はまるでビスクドールの足。

昼間の私の不恰好さを、綺麗な完成品にしてくれる大事なパーツ。

街の人達の間では、この両足と、私が人形師であることから《レディードール》なんて言ってるらしい――。


ルカが大切そうに飾り物の脚を扱うと、無いはずの足がギシギシ痛む気がした。でも今は、ルカの言葉に胸がギシギシと軋んでる。


「ルカは……私の足が大切?」

「それは勿論。ですが、一番はやはり……。たった今、申し上げたじゃないですか」

「……うん」

「珍しいですね。お嬢様がそんな寂しそうなお顔をするなんて」


私の心の内を見知ったのか、ルカは、フフッと嬉しそうに笑った。

そして、その表情のまま、小花が描かれたティーカップを私に渡し、やんわりと次を促してくる。

私はいつものように、それを数口飲んでカップを彼に返した。


まるで、何かの儀式のように繰り返されること。


「おいしい」


私がルカにかける言葉は、決して変わらない。


「ありがとうございます」


答えるルカの微笑みが安堵に満ちているのも、……やっぱり変わらなかった。

 

ジャスミンティーは安定剤の代わり。

一体いつから、そう言って、ルカは私に眠る前のお茶を淹れる様になったんだっけ?


もともと少し眠気を持っていたけれど、お茶を飲むと、それをグッと後押しするみたいに身体の奥から眠気がやってくる。

また目を擦る私を見て、ルカがニッコリと微笑んだ。


「さあ、お嬢様。今日はもうお休みを」


ベッドに病人を寝かせるみたいに慎重に。ルカはそっと私を支えてくれた。

いつの間に身体を動かすのも億劫になるほど眠くて仕方なくなったのか。睡眠を欲してる自分。

それでも、重い瞼だけは、まだ降りてこないで欲しいと思う。

少しでも見たいから。

ルカが、私を優しく見下ろす姿……。


「ルカ」

「お嬢様?」


私の傍らに座ったルカは、覗き込む感じで目を合わせてきた。

いつも長い前髪に隠れがちなアイスブルーの瞳は、この時ばかりはあまり隠されない。

しかも、ベッドサイドの小さなランプの明かりが、その普段見えにくい透き通った青をより美しく煌めかせてくれるのだ。

私は、ルカの綺麗な瞳を見上げるこの瞬間がとても好きだった。

昔はもっと見ていた気がする。昼も夜も。


「きれい……お月様みたい」


月のように蒼白くは無いけれど、彼の瞳は月のように静かで。円《まど》かにやすらぎ。アイスブルーは穏やか。

チェシャネコみたいな三日月とは違う。


「私は月とは違いますよ? 世界を見ているのではなく、お嬢様だけを見ているのですから。それに、欠けもしなければ物語の猫の様にからかって笑いもしません」

「知ってる。真面目ね、ルカは」

「お嬢様は、小さな頃からそんな私をからかうのがお好きなようでした」


クスッと笑うルカは、私の髪を一房取ると、どこかの女性の手に口付けるみたいに唇を寄せる。

眠気に視界がぼやけてるせいか、その姿が本当に誰かに口付けてるかに見え、私の胸はちくりと痛んだ。それは誰かじゃなく自分の髪なのに。


ゆらゆら揺れて沈んでいく意識が、幻想を作り出す。

 


「私の瞳にはお嬢様しか映りません。ですから、どうかお嬢様はそのままで」

「そのままって……?」

「……。昔からの様に、私だけを頼っていただきたい……」

「変なルカ。私が頼りにしてるのは、ずっとルカだけじゃない」


凪ぐ海のような優しい瞳。私を見守る柔らかな光。

ルカ以外にいない。

ここまで私を思ってそばにいてくれるのは、きっともう……この人しかいない。

それに、こんな身体の私が人並みに生きていられるのは、ルカあってこそ。

そんな彼のそばを、私は離れるなんて出来ない。


「これからもそうでしょ?」

「……そうですね。つい、変なことを口走ってしまいました」


唇の端をほんの少し上げて、ルカが笑みを見せた。

彼の微笑みは私の心を安定させる。本当はジャスミンティーなんか無くたって、ルカが笑ってくれさえすれば、私は安心して昼も夜も過ごせるのに。

ルカは……とても心配性だと思う。


「ねぇ、ルカ」


ランプの明かりがゆらゆら揺れて。

まどろむ時間は、毎夜正確に訪れた。

眠りにつくまで隣にいてくれるルカに私がお願いすることは、


「おやすみのおまじない、して」


子供の頃と変わらない。

怖い夢を見ないように……と、子供をなだめるおまじないは、あの頃は単にプラセボのような役割でしかなかった。

それでも、おまじないが絶対だと信じていた子供にとって、偽の薬は本物以上に本物で。
中身が無くても十分な効能があったのだ。

でも、今は違う。形だけのそれでは満足出来なくて、中身が欲しい。

怖い夢が見たくないからじゃない。おまじないが、“ただのおまじない”だから嫌なのだ。

 


「おやすみなさい、お嬢様」


ルカは困ったように微笑んでから、そっと私の髪に触れた。そして、さっきと同じく髪へキスを落とすと……また微笑む。

貴女が望むものはこれでしょう? と言いたそうな目で。


「…………」


そのルカの微笑みに、私は応える事は出来なかった。――だって違うんだもの。そうじゃない。

近いけど遠いと感じるもどかしさが、ほんの少し痛かった。



優しさ滲む指先と微笑みと紳士的なキスが、彼がすっかり執事になってしまった事を証明している。

本当ならそれを喜ぶべき立場でなければならないのだけど、いつも素直に受け取れずにいるのは、私が屋敷の主人としての自覚を持てていないせいなのかな……。

いつでも白いグローブをはめ、素手を見せる事は滅多にないルカ。キッチリと燕尾服を着こなして一定の距離を保つのは、彼が執事として過ごす上ではごく自然な姿だった。

昔のように兄妹みたいにじゃれたり、気軽に触れあうなんてことは、ルカにとって過去のことになったのだ。

今、彼があろうとするのは、兄代わりではなくこの屋敷の執事長。ここを守り抜くという強い責任感とともに。


「ちがう……」

「え……?」

「最近はいつもそればっかり。そうじゃないの。私がしてほしいのは、前みたいなおまじないだってば……」


ルカが“執事”になってしまう前に私にしてくれたおまじないは、こんなよそよそしいモノじゃなかった。

大丈夫ですよ、という言葉と微笑みと……額へのキス。

あたたかくて包み込む様な、ルカの魔法。おまじない。

あの頃の私達は、共に暮らす家族のようだった。ううん。もしかしたら、それよりも近かったかもしれない。

父よりも身近に母よりも愛情深く感じた、誰よりも、の存在……。

 


「それは……いけません。お嬢様」


ルカはあからさまに困惑と拒否を示し、私からわずかに身を離そうとした。

嫌だ。全身で訴えられるのは耐えられない。何故そんなことをするの? 分からない私。


「いけませんって何が? どうして?」

「っ」


手を伸ばす。

彼の服の襟元でも掴んで、私はルカを引き寄せたかった。それは、すがりつくというより取り戻すみたいな心情だった。

だけど、ルカへ届く手前で私の意識はふわりと大きく浮遊する。

時間切れ。

それまで必死に追いやっていた睡魔が、とうとう自分の力では抑えきれなくなったのだ。

哀しくも落ちる重い手。ルカのホッとした一瞬の表情が恨めしいし、それを見逃がさない自分も恨めしい。

なんで気付いちゃったんだろう。知らなければ良いことなのに。

この世はいつだって、知らなくても良いことで溢れてる……。いつもいつも、私はそれで悩まされる。


「大丈夫ですから。おまじないなんてなくても、お嬢様はもう怖い夢など見ません」

「……うそ、つき……。だって、ルカ……」

「私はお嬢様が眠るまでここにいます」


ベッドに落ちた手を、ルカはそっと撫でてくれた。甲に伝わるのはサラリとした布の感触。布越しのあたたかさに泣きそうになる。

もうルカの顔は見れなかった。

重いまぶたに現実を遮断され、夜の闇と同じ真っ暗な世界へ沈んでいく。

声も遠くなって。


「おやすみなさい、お嬢様。良い夢を」


恐らく、ルカはそんな言葉を。

穏やかな微笑みを唇に表しながら言ったんだと思う。だって、毎晩彼はそう言うから。

月は夜毎に形を変えても、ルカの笑みは変わらない。昔からずっと変わらない。



だからルカは嘘吐き。