幼いフェリルは、自分の両足を失ったことを悲しむよりも、『わたしが、じいやを、ころしちゃった』と泣き続け、謝り続けた。
お前は悪くないんだよ、と優しい言葉の裏で醜く笑っている男。その時ルカは、生きている時にも感じなかった気持ちを抱き――。
「それでその姿に?」
「旦那様が後任の執事を探し始めたので。いいタイミングでした」
ルカは燕尾服の裾をちょっと持ち上げて笑う。
「顔……先代は気付かなかったんですか?」
「えぇ。本当に……残念な方でしたよ。私が殺しに来てはじめて分かったんです」
娘がよく懐いている執事の青年の正体を知った時、父親はまず必死に命乞いをした。
「人を呪えば、その報いは必ず受けなければならない。そんなことも知らずに……。バカな人間です」
主人の最期の言葉を思い出す。ルカの悲しそうな微笑みに、アリアは首を傾げる。
「あの方は、地獄に行っても誰かを呪い続けるのでしょうね」
――死にゆく中でも、娘が苦しみ続けることを願った父親だった……。
「ルカはお嬢様を呪い殺す悪霊……」
「お嬢様が私を見つけなかったら、そうでした」
「え?」
「今は……。そんなことはしたくない」
『リルのおうちには、オバケがいるの』
――それは困りましたね。絵本のように、魔法使いに助けてもらいましょうか
『ううん。それはダメなの』
――どうしてですか? お嬢様は、オバケがいない方が怖くなくていいでしょう?
『そうだけど。……でも、いっしょにきえちゃったら、ダメなんだもん』
フェリルが言っていた“オバケ”は、ルカのこと。
ハッキリと、誰がどのような存在であるか理解できなくとも、フェリルはそばにいるルカの正体を見抜いていて、そして消えないでほしいと思っていた。
長い時間をかけ、呪い――悪霊になってしまったルカを、人々は恐れたり、面白おかしく扱ってきたが、フェリルのように純粋な好意で引き止めてくれた者はいなかった。
それに気付いた時、ルカの心は大きく揺さぶられて。
フェリルを一人にはしない。自分がフェリルを守ろう。そう決めた。
「ですが私は、やはり悪霊のままなのです。こんなに愛しているのに、いつかお嬢様を殺してしまうかもしれない。さて、呪いにかかっているのは一体どちらなのか……」
アリアが仮面の頬をそっと撫でる。それから、複雑な表情のルカを横目に箱を閉じた。
「ルカのお嬢様への執着は気持ち悪いですが、私はそれを呪いや悪意だとは思いません」
「え……。気持ち悪い、ですか……」
「はい。少し歪んでいるかと。だけどお嬢様が嫌がっていないなら、別に問題はないような……。ルカの本心を知ったら気持ち悪がるかもしれないですが」
「あの、そんなに気持ち悪く見えます?」
無表情で言われると、余計に胸に刺さる――。
ルカは短いため息をついた。
「私も、どうしてこの姿で今もいられるのか不思議です。《Birthdayドール》なのに、お嬢様は気付いていないみたいですし」
袖をまくり長めの手袋を外すアリア。球体関節はドールそのままだが、肌は陶器ではなく人肌のようで。
人間にもなれず人形にも戻れない――アリアはそう呟いた。
「私とルカは同じ。人形や仮面に取り憑いた、得体の知れない化物です。私達、お嬢様に体を解体されたり仮面を割られたりしたら……消えるのでしょうか?」
満月を見上げるアリアのグリーンの瞳が、キラリと光る。涙を浮かべることは決してない澄んだ瞳は、悲しみを叫べず辛そうでもあった。
「お嬢様は“回収”を避ける方法を探しているようですが……。彼女も立派な人形師、ドールに関しては絶対秘密主義ですからね」
「この屋敷は秘密だらけです。もしかしたら、あの辺を漁ったら、他の化物が出てくるかも」
部屋の隅に押しやられた古い道具の数々を指差し、アリアはルカを振り返る。
ほう……、とルカも口元に拳をあて、静かに笑った。
「それはあるかもしれませんね。ですが、これ以上お嬢様に近づく者を増やしたく無いので放っておきましょう。あの柔らかな肌や美しい足に、誰かの手が触れるなんて……考えただけでも虫唾が走ります」
「そういうところです。ルカの気持ち悪いところ」
無表情が執事を見る。無の中に、憐れみが一瞬だけ現れたように見えた。
ルカは肩を竦め苦笑すると、珍しくしおらしい口調で「私が……」と呟く。
「お嬢様への気持ちを言葉や形にする事で、昔のように彼女を傷付けたり苦しませてしまったら……。そう思うと、情けなくも躊躇してしまうのです。しかし、この身と共に堕ち朽ちてくれないか、と悪霊らしい願望が頭を過ぎることもある。矛盾していますね」
「ルカがお嬢様を傷付けた時は、私がルカを処分しますのでご心配なく」
「それはそれは。恐ろしい。ですが……ありがとうございます。頼もしい味方が出来て安心しました」
「味方?」
「えっ、違うんですか?」
「さあ……どうでしょう。私は人の機微に疎いので」
アッシュベリー家に住まう悪霊と秘密のドールは、静かに笑う。
満月を見上げ、ルカとアリアは長い夜を過ごすのだった――。
中庭の東屋に来るのは久しぶり。
白い柱には、つるばら。オールドローズやランブラーローズ。春には華やかに咲き誇る。手入れがよく行き届いているのはアリアのおかげだ。
時々冷たい風が吹いたけれど、東屋には日差しが入るからあまり気にならなかった。――ひざ掛けもあるしね。
「ねぇ、ルカ?」
「はい」
「今日、ちょと遠くない? なんでそんなに離れたところにいるの?」
「……。気持ち悪かったら……と思いまして」
「へ?」
私から視線を外したルカは、小さく咳払いをした。
いつも近くにいてくれるから、変に距離を取られると逆に落ち着かなくて。
二人分開いた隙間を、「えいっ」と頑張って埋める。
すると、ルカも同じように隣へずれた。
「いけません――」
「いけませんって……。私……ルカに何かしちゃった? 昨日書斎に入ったこと、まだ怒ってる?」
「いえ」
困ったように笑われて、私は意味がわからないと首を傾げる。いつものルカらしくない――。
「じゃあ、こっちに来て。くっついてる方が寒くないと思うの」
「大丈夫でしょうか……」
「変なルカ」
風が吹き、木がざわめく。
私達の不自然な距離感を笑われているような気がしてきた。読もうと思っていた本は、そんな気分になれず開けなくなった。
(あ……。もしかして、書斎に入ったことじゃなく、昨日の夜のことかも……)
懲りずに昨日も『おやすみのキス』をせがんでしまったから――。
いよいよ本気で呆れられた、とか。
(どうしよう……)
「すみません、お嬢様。昨晩は過去のことを色々と思い出したせいか、なかなか寝付けず……実は少し寝不足で。お嬢様にそんな顔をさせるつもりは」
「ルカが寝不足⁉」
いつも一番遅くまで起きていて、誰よりも早く起きるルカ。
そのせいか、ベッドでぐっすり眠っているイメージは沸かない。でも、短時間睡眠派だと勝手に思っていたから、寝不足というイメージもあまり……――。
(あれ……?)
「そういえばルカ、お休みの日が……。私が当主としてちゃんとしなきゃいけないのに。アリアにもルカにも、休日をあげたこと無いわ……。疲れがたまりすぎて、眠れなかった可能性もあるでしょう?」
「疲れてなどいませんよ。私達は大丈夫です」
優しく言ってくれるルカだけど、私の中にはじわじわと後悔が広がっていく。自分のことばかり、わがままだった自分が恥ずかしくなった。
――ひと際、強い風が吹いた。
ひざ掛けを飛ばされそうになって、慌てておさえる。
その時。
「シロツメクサが咲いたら、また花冠を作りましょうか――」
ふと、ルカが呟いて。
葉ずれの音で最後はほとんど聞こえなかったけれど、そう私には聞こえた。
「え……?」
俯いていた顔を上げると、いつの間にか私達の距離は無くなっていた。
額にあたたかなルカの唇。『おやすみのキス』
あっという間の出来事に、私の思考はしばらく停止。
「え……? ル……カ?」
「『おやすみのキス』があれば、私も睡眠不足など二度と起こさないかもしれないですね」
「ルカが私にしてどうするの……?」
「二人でお互いキスしていたじゃないですか」
「そうだったっけ? ……いや、違うでしょ! 今は夜じゃないし!」
「では、また夜に」
人差し指を自分の唇にあて、ルカはにっこりと微笑む。
瞬間、鳥肌が立ち、血液が沸騰したんじゃないかと思うほど全身が熱くなった。また数秒、思考が停止する。
――ルカが。あんなにお願いしても知らん顔だった、ルカが。
私にキスを……した……。
「お嬢様。速達が届きました。あと、ルカ。近すぎです」
アリアの声が突然降ってきたと思ったら、ルカの微笑みは封筒の向こうに消えてしまう。
目の前に突き出された封筒を反射的に受け取れば、次に現れたのはルカの無表情だった。
「アリア。もう少し空気を読んでください」
「無理です」
ルカの無表情に、アリアの無表情が答える。
それがなんだかおかしいのと、急に三人の距離が縮まった感じが嬉しくて、私は思わず吹き出してしまった。
「どなたからですか?」
「ブロンドの乙女のオーナーから、正式な修理依頼状が届いたわ。昨日のお詫びの手紙も入ってる……」
「どういうことでしょう」
ルカとアリアに迫られて、依頼状の文字と二人の顔を交互に見つつ……。
「今朝見たら、今度は本当に、頬にヒビが入っている……だって」
《Birthday》かもしれない。
三人同時に呟いて、そしてため息。
アリアが「屋敷にお呼びしますか?」と聞いてくる。来客を迎える準備をした方がいいのかどうか。
「こちらから会いに行くと、Mr.へ連絡をして」
「はい。すぐに」
アリアは頷き、踵を返す。
その後ろ姿を見送りながら、ルカが「仕方がないですね」と低い声で言った。
「昨日、あんなに牽制しておいたのに……台無しです」
「? 何?」
「いえ、何も。――私達も準備をしましょうか」
ルカは私の髪に唇を寄せて、微笑んだ。
END