「また、台風だって。こんなにいいお天気なのにね」
私の言葉を聞きく神木さんは、輝く太陽の光を浴びながら深呼吸をしている。私も倣って、ここの空気をめいっぱい吸い込む。車やバイクの排気ガスや、よく解らない食べ物の残飯臭や、作られた香水や強い柔軟剤の香り。そんなものとは無縁のここの空気は、ご神木様のおかげなのか、浄化されたように澄んでいる。
「一週間くらいしたら、日本に直撃みたいだよ」
今朝観たニュースでは、大型の台風が日本を直撃すると言っていた。ニュースキャスターのわざとらしいほどに脅しをかけるような台風対策が、今までにないほどの猛威を振るってやってくる台風を否応なくイメージさせた。
「そうですか。くれぐれも、お気を付けくださいね」
「神木さんもね。それから、咳。全然治らないじゃん。私が一緒に病院について行こうか?」
あまりに長く続いている咳に、心配が募る。
「大丈夫ですよ」
子供じゃないんだから、一緒になんて言われていくわけないか。でも、本当に心配なんだ。台風のことも心配だけれど、神木さんの咳はちょっと長く続き過ぎている。咳は長引くとお祖母ちゃんが言っていたから、軽いものならいいけれど。そうじゃないなら、早めに診て貰わないと、大変なことになってしまう。
「自分の体を過信しないでね」
別れ際、念を押すように病院へ行くことを勧めた。神木さんは、いつもの笑顔を浮かべるだけだった。
猛威を振るって日本に接近していた台風は、二日後には上陸するスピードを上げていた。一週間後と当初予想されていたのに、あと二日もすれば日本にやって来てしまうという。
父と母は忙しさに台風対策どころじゃないなんて言っていたけど、そんなの命あっての物じゃない。両親に変わり、雨戸の点検や、庭にある飛んでいきそうなものを片付けていく。それから、水と食料の確保。停電になった時のためのバッテリーや紐を引くだけで点く懐中電灯も用意した。電気やガスがとまれば、暑さ寒さも自力でなんとかしなくちゃならない。あれもこれもと考え準備をし、台風に備えた。
そうして、私の足は今日も神社へと向かう。ううん。違うな。あの日から私は、神木さんに逢いに行っているんだ。
「準備は、バッチリだよ。そっちは?」
「僕のところはアパートですから、ちょっと心配なところもあります。でも、紗耶香さんの台風対策を見本に、僕も準備しますね」
今日も空はまずまずの快晴だ。ちょっとばかり風が強いのは、台風が近づいてきているからだろう。見上げたところにあった雲の流れが、いつもよりずっと速い。
「何事もなく過ぎますように」
空に向かって呟くと、神木さんも目を瞑り、空を仰いだ。
今日も、神木さんの咳は止まらない。酷く咳き込むわけではないけれど、なんだか顔色も優れない気がする。
「本当に大丈夫? 具合悪いんじゃない?」
私が毎日神社にやってくるのを解っているから、神木さんも無理をしてここへきているんじゃないだろうか。
「少し会うの、控えた方がいいかな?」
窺うようにして見ると、「平気ですよ」と笑みを浮かべる。その言葉にほっとしつつも、やはり心配なのは否めない。顔が青白く見えるのは、ご神木様の木陰にいるからだけじゃないだろう。思わず、神木さんの頬へと手が伸びてしまった。
「冷たい……」
体温を奪われたように、体が冷えている。
「ねぇ。ちゃんと病院へ行って。こんなんじゃ、倒れちゃうよ」
神木さんがいなくなってしまう。どうしてそう思ったのか解らないけれど、私の心は急激な焦りと不安に見舞われて、心臓がドクドクと大きな音を立てだした。
「病院に行ってる? お薬、ちゃんと飲んでる?」
矢継ぎ早に問いただす私に、少しだけ困ったように眉根を下げた表情を見て、おせっかいが過ぎただろうかと口を閉ざした。私は神木さんの親族でもなければ、まして彼女でもない。ここで逢って話をするだけの、連絡先さえ知らない仲だ。そんな相手に色々とせっつかれてしまっては、いい気はしないだろう。
「ごめん……。心配し過ぎだよね……」
自虐的な笑みを貼り付けたところで、神木さんの腕がふわりと私を包み込んだ。
「ありがとうございます」
耳元で言われたのは、そのたった一言なのに。彼から伝わる体温が、ちゃんと生きていると私を安心させる。私に触れて、私のことを褒めて、私の笑顔が好きだと言ってくれる彼の、温かな体温。
どうしよう、涙があふれてきちゃった。嬉しいのか、悲しいのか。安心しているのか、寂しいのか。色んな感情が心の中をめぐって、涙腺に影響している。
抱きしめられて嬉しいはずなのに、どうして泣けてしまうんだろう。どうしてこんなに、不安な気持ちになるんだろう。
お願い、このまま放さないで。ずっとこのまま抱き締めていて。離れたくない。今神木さんから離れてしまったらいけない気がする。なのに。
「今日は、もう帰りますね。家で大人しくしています」
ゆっくりと彼の体温が離れていく。私の両肩に手を置いて、瞳をのぞき込むように見てくる。そうされると、感情は勝手に盛り上がり、想いも言葉も止まらなくなってしまった。
「……好き……。私……神木さんのことが好き」
私の告白に、彼が口を閉じたままじっと瞳をのぞき込む。そうしていつもの笑顔をくれた。穏やかで優しくて、今日は愛しささえ窺える。それは、私の勝手な勘違いなのかもしれない。盛り上がる感情に、そう見て取れるだけなのかもしれない。
「僕もですよ」
再び私は彼の腕の中に包まれた。この想いは間違いじゃない。私の想いも、神木さんが私を想っていることも間違いじゃない。
「大好きだよ」
どうしてか涙が零れ出て、神木さんの手を握り泣いてしまった。そんな私を再び抱き寄せてくれた彼は、やっぱり「生きている」そう感じさせる不思議な感覚を私に持たせた。
この温度を忘れてはいけない気がした。神木さんの声を、言葉を忘れてはいけない気がした。彼と過ごした時間を忘れてはいけない気がした。
神木さんはその日、「また明日」とは言ってくれなかった。台風が来ているのだから当然なのに。その言葉が聞けなくて、私は不安でたまらなかった。
私の言葉を聞きく神木さんは、輝く太陽の光を浴びながら深呼吸をしている。私も倣って、ここの空気をめいっぱい吸い込む。車やバイクの排気ガスや、よく解らない食べ物の残飯臭や、作られた香水や強い柔軟剤の香り。そんなものとは無縁のここの空気は、ご神木様のおかげなのか、浄化されたように澄んでいる。
「一週間くらいしたら、日本に直撃みたいだよ」
今朝観たニュースでは、大型の台風が日本を直撃すると言っていた。ニュースキャスターのわざとらしいほどに脅しをかけるような台風対策が、今までにないほどの猛威を振るってやってくる台風を否応なくイメージさせた。
「そうですか。くれぐれも、お気を付けくださいね」
「神木さんもね。それから、咳。全然治らないじゃん。私が一緒に病院について行こうか?」
あまりに長く続いている咳に、心配が募る。
「大丈夫ですよ」
子供じゃないんだから、一緒になんて言われていくわけないか。でも、本当に心配なんだ。台風のことも心配だけれど、神木さんの咳はちょっと長く続き過ぎている。咳は長引くとお祖母ちゃんが言っていたから、軽いものならいいけれど。そうじゃないなら、早めに診て貰わないと、大変なことになってしまう。
「自分の体を過信しないでね」
別れ際、念を押すように病院へ行くことを勧めた。神木さんは、いつもの笑顔を浮かべるだけだった。
猛威を振るって日本に接近していた台風は、二日後には上陸するスピードを上げていた。一週間後と当初予想されていたのに、あと二日もすれば日本にやって来てしまうという。
父と母は忙しさに台風対策どころじゃないなんて言っていたけど、そんなの命あっての物じゃない。両親に変わり、雨戸の点検や、庭にある飛んでいきそうなものを片付けていく。それから、水と食料の確保。停電になった時のためのバッテリーや紐を引くだけで点く懐中電灯も用意した。電気やガスがとまれば、暑さ寒さも自力でなんとかしなくちゃならない。あれもこれもと考え準備をし、台風に備えた。
そうして、私の足は今日も神社へと向かう。ううん。違うな。あの日から私は、神木さんに逢いに行っているんだ。
「準備は、バッチリだよ。そっちは?」
「僕のところはアパートですから、ちょっと心配なところもあります。でも、紗耶香さんの台風対策を見本に、僕も準備しますね」
今日も空はまずまずの快晴だ。ちょっとばかり風が強いのは、台風が近づいてきているからだろう。見上げたところにあった雲の流れが、いつもよりずっと速い。
「何事もなく過ぎますように」
空に向かって呟くと、神木さんも目を瞑り、空を仰いだ。
今日も、神木さんの咳は止まらない。酷く咳き込むわけではないけれど、なんだか顔色も優れない気がする。
「本当に大丈夫? 具合悪いんじゃない?」
私が毎日神社にやってくるのを解っているから、神木さんも無理をしてここへきているんじゃないだろうか。
「少し会うの、控えた方がいいかな?」
窺うようにして見ると、「平気ですよ」と笑みを浮かべる。その言葉にほっとしつつも、やはり心配なのは否めない。顔が青白く見えるのは、ご神木様の木陰にいるからだけじゃないだろう。思わず、神木さんの頬へと手が伸びてしまった。
「冷たい……」
体温を奪われたように、体が冷えている。
「ねぇ。ちゃんと病院へ行って。こんなんじゃ、倒れちゃうよ」
神木さんがいなくなってしまう。どうしてそう思ったのか解らないけれど、私の心は急激な焦りと不安に見舞われて、心臓がドクドクと大きな音を立てだした。
「病院に行ってる? お薬、ちゃんと飲んでる?」
矢継ぎ早に問いただす私に、少しだけ困ったように眉根を下げた表情を見て、おせっかいが過ぎただろうかと口を閉ざした。私は神木さんの親族でもなければ、まして彼女でもない。ここで逢って話をするだけの、連絡先さえ知らない仲だ。そんな相手に色々とせっつかれてしまっては、いい気はしないだろう。
「ごめん……。心配し過ぎだよね……」
自虐的な笑みを貼り付けたところで、神木さんの腕がふわりと私を包み込んだ。
「ありがとうございます」
耳元で言われたのは、そのたった一言なのに。彼から伝わる体温が、ちゃんと生きていると私を安心させる。私に触れて、私のことを褒めて、私の笑顔が好きだと言ってくれる彼の、温かな体温。
どうしよう、涙があふれてきちゃった。嬉しいのか、悲しいのか。安心しているのか、寂しいのか。色んな感情が心の中をめぐって、涙腺に影響している。
抱きしめられて嬉しいはずなのに、どうして泣けてしまうんだろう。どうしてこんなに、不安な気持ちになるんだろう。
お願い、このまま放さないで。ずっとこのまま抱き締めていて。離れたくない。今神木さんから離れてしまったらいけない気がする。なのに。
「今日は、もう帰りますね。家で大人しくしています」
ゆっくりと彼の体温が離れていく。私の両肩に手を置いて、瞳をのぞき込むように見てくる。そうされると、感情は勝手に盛り上がり、想いも言葉も止まらなくなってしまった。
「……好き……。私……神木さんのことが好き」
私の告白に、彼が口を閉じたままじっと瞳をのぞき込む。そうしていつもの笑顔をくれた。穏やかで優しくて、今日は愛しささえ窺える。それは、私の勝手な勘違いなのかもしれない。盛り上がる感情に、そう見て取れるだけなのかもしれない。
「僕もですよ」
再び私は彼の腕の中に包まれた。この想いは間違いじゃない。私の想いも、神木さんが私を想っていることも間違いじゃない。
「大好きだよ」
どうしてか涙が零れ出て、神木さんの手を握り泣いてしまった。そんな私を再び抱き寄せてくれた彼は、やっぱり「生きている」そう感じさせる不思議な感覚を私に持たせた。
この温度を忘れてはいけない気がした。神木さんの声を、言葉を忘れてはいけない気がした。彼と過ごした時間を忘れてはいけない気がした。
神木さんはその日、「また明日」とは言ってくれなかった。台風が来ているのだから当然なのに。その言葉が聞けなくて、私は不安でたまらなかった。