「また、明日」そう言ったように、翌日も神社へ行くと、彼は鳥居を潜ったすぐ先で、空を見上げるようにしてまっすぐ立っていた。目を閉じて立つ姿は、風を感じ、鳥の声に耳を傾け、少しだけ黄色に染まり始めた葉の音を聞いてでもいるようだった。
「こんにちは」
 話しかけると、ゆっくりこちらを振り返り、優しく微笑む。
「こんにちは。今日は、少し暖かいですね」
 私が傍に行くと、神木さんが空咳をした。
「風邪?」
「いえ。大丈夫です」
 十月初めだというのに、気温は下がらず。少し前から僅かに木の葉が色づくも、肌寒ささえ感じない陽気だ。それでも時々急に冷え込む日が来たりするものだから、体調を崩してもおかしくない。
 ここへ来る途中の自販機で、スポーツドリンクを二つ買っていた。一つは、彼にだ。この前話を聞いても貰ったお礼もあるけれど、きっとまたたくさん話をするだろうし、今の咳も少し気になった。
「これ飲んで」
「ありがとう」
 受けとった彼の手に、私の手が触れる。昨日の柔らかな音が、また聞こえた。
 生きている。
 どうしてそう感じたのかな。生きているなんて、目の前にいるのだから当たり前のことなのに、噛みしめるように確認するようにそう思った。
 神木さんは、とても聞き上手だった。私が支離滅裂で話す失恋話にも、匙を投げだすことなく耳を傾け。時々質問をし、そうして慰めてくれる。
 涙が滲んでくるとハンカチを差し出してくれるし、大丈夫だよ。紗耶香さんはとても素敵な女性なのだから、とまるで私のことを以前から知っているように褒めてくれた。それは普通なら、何も知らないくせにと一蹴してもいい言葉のはずなのに、私は彼にそう言われると自分に少しずつ自信を持つことができた。
「モテるでしょ?」
 からかうように言ったのは、自分の気持ちに少しばかりの浅ましさを感じたからのような気がした。彼にフラれて泣いているというのに、他の男性に興味を持ち始めていることに気がついている自分が、あさましい気がしたんだ。
「紗耶香さんの方がモテるでしょ」
 同じように、からかうようにして神木さんが笑う。顔を見合わせて笑いながら、なんだかうまく誤魔化されてしまった気がしたけれど、今はそれでいい。一緒に居られるこの時間の方が、今の私には大事に思えたから。
「秋は、なかなかやって来ませんね」
 ペットボトルのスポーツドリンクを握りしめたまま飲むことなく、神木さんが薄い青空を見上げた。夏の終わりに香っていた金木犀も、気がつけば花を散らしてしまっていたけれど。黄色く色づいた葉は、なかなか増えることがない。
「私ね。寒くなるのは嫌だけど、秋の食べ物は好き。栗に南瓜に茸でしょう。それから、秋刀魚にさつま芋」
 指折り食べ物を数え上げていると、神木さんが笑う。
「紗耶香さんは、本当に食べることが好きですよね」
「えぇー、だって美味しいもの食べたら、幸せな気持ちになるでしょ」
「そうですね。じゃあ、僕からの提案。だいぶ元気になって来ていますが、栗パワーでもっと元気になってください」
「栗パワー? もしかして、モンブラン?」
「はい」
「モンブランは、大好物なんだよねぇ~」
 浮かれたように、はしゃいだ声を上げる。
 そうなんだ。私は、モンブランケーキが大好きなんだ。まるで私の好物を心得てでもいるみたいに、神木さんが提案するからホント驚いた。
「神木さんは、超能力者ですか。私の大好きなものを言い当てちゃうんだから、凄いです」
 キャラキャラと私が笑っていると、ほんのり吹いた風で髪の毛が少しばかり乱れて目元にかかった。それをとても自然に、神木さんの指がそっと払い除けてくれる。
 近づいた顔と顔の距離に、視線を外せないまま見つめてしまう。神木さの指が私の髪の毛に触れ動くさまを感じながら、この瞬間が長く続けばいいのにと思えた。
 けれど、それは一瞬のことで。離れていく指先は、名残惜しい。
「あ、ありがと……」
 また、音がした。さっきよりも、大きく鳴ったその音を抑え込むように、胸元に右手を持っていく。
 どうしよう、私……。
 自分の中に芽生えた想いに戸惑っていると、神木さんがまた空咳をした。
「大丈夫?」
「平気です。すみません」
「それ、飲んだら?」
 渡した時から手に握りしめて、一向に飲もうとしないスポーツドリンクを目で指し示す。
「ありがとうございます。あとで頂きますね」
 今飲んだ方がいいんじゃないかと思っても、神木さんのどうしてか頑なな瞳が、私の言葉を喉元で止めた。
 そうして今日も彼は、別れ際に言うんだ。
「紗耶香さん。また明日」
 笑顔とともに見送られることに、私の心は満たされていた。