木の温もりが感じられる広々とした店内。
和風の調度で統一された、居心地よさそうなここは、一ヵ月前にオープンしたいなりカフェだ。BIコインの収益を惜しまずにあてて新築したこのカフェは、細部までこだわり抜いて造った俺とツネ子の城だった。
そのカフェの、キッチンと対面式のカウンター席では、今日もツネ子がおいなりさんを美味しそうに頬張っていた。
「ツネ子、ごまと高菜のおいなりさんもどう?」
「もらうのじゃ!」
ごまと高菜のおいなりさんを洒落た小盆にのせ、ツネ子の前にトンッと置く。
「召し上がれ」
「わぁ~! 美味そうじゃ! やはり、温人のいなりは世界一じゃ」
美味しそうに食べ始めるツネ子の姿に頬が緩んだ。
「それにしても、このカフェはお客がまったく来ないのぉ。初めはゆっくりできていいと思っておったが、これではなぁ」
食べ終えたツネ子が、ふいに、店内を見回しながららこぼした。
「ツネ子が毎日、来てくれているだろう?」
開店一カ月目にして、ツネ子からはじめて客入りについて言及されて、苦笑が漏れた。
「わらわだけでは、大赤字じゃ。最初の仮想通貨ビジネスは大当たりじゃったが、どうやらふたつめのいなりカフェビジネスは大失敗のようじゃな」
実は、お客が来ないのには、わけがある。俺はあえて、開店の告知をどこにも打っていないのだ。
だからお客は、直接店舗を見て訪れる、日に数人だけだった。
「いいんだよ」
「え?」
キョトンとした顔で、ツネ子が俺を見上げる。
「そのために、仮想通貨ビジネスがある」
「もしかして、仮想通貨のビジネスは手段で、最初からこっちがゴールじゃったのか!?」
「ああ、そうだ。俺はずっと、ツネ子と一緒になにかを持ちたかった。一方で、我儘な話だけど、それを金儲けとイコールにはしたくなかった」
これはひとえに、俺のエゴによるところだ。
……出会いから二年半、ツネ子への愛しさは、日々募っていくばかりだった。
いつの間にか、ツネ子を喜ばせたい、ツネ子を楽しませたい。それこそが俺の行動原理になっていた。
「俺は端から、ここで稼ぐつもりはない。ここは、ツネ子が居心地よく過ごせればそれでいいんだ。ツネ子と俺のためのカフェ。な? 贅沢だろう?」
ツネ子と紡いでいく穏やかな日常に、家とは別にもうひとつ、このカフェが最適だと思った。
ここで俺は、ツネ子のためにおいなりさんを作る。ツネ子がそれを美味しそうに頬張る。そんなふうに過ごす日々は、どんなにか素晴らしいだろうと、俺は心を踊らせたのだ。
「……それは、いくらなんでも贅沢すぎるじゃろう」
ツネ子は声を詰まらせて、俺に潤んだ目を向けた。
「そんなことはない。君が喜んでくれればいい」
「っ、わらわは果報者じゃ」
ツネ子の少しつり上がった眦から、珠を結んだ涙がホロリとこぼれ、頬を伝う。
「だったら、俺の方が果報者だ。……君と出会えた俺以上の果報者なんて、いないからな」
俺はカウンター越しに、ツネ子の頬を指先でそっと拭った。
指先で掬った涙の雫……。透き通るようなそれを眺めながら、俺はツネ子を胸に抱き締めて唇で拾わなかったことを後悔していた。
「温人……っ」
その時、ツネ子が顏をクシャリと歪ませたと思ったら、その目から大量の涙をあふれさせた。
俺は今度こそ、迷わずにカウンターを回り込み、ツネ子を懐に抱き締めた。そうして涙で濡れた柔らかな頬に、そっと唇を寄せた――。
――閑古鳥が鳴くいなりカフェ。
どこにも告知はないけれど、見かけた際はお気軽に。狐のあやかしととびきり美味しいおいなりさんが、あなたをお待ちしています――。