「朋香? 朝ごはんは~?」
「いらないっ!」

 勢いで飛び出して、鏡も見ていない。前髪に寝ぐせとかついているかもしれない。精霊界でハルに会うんだから、シャワー浴びてくるべきだった。そんなことを考えながら、私は走った。

 学校までなんて大した距離じゃないのに、なんだかものすごく遠く感じる。商店街を通り抜ける。通り一面クリスマス色に彩られているこの道を、昨日は二人で並んで歩いたのに。

 早く、一秒でも早く。あの梅の木のところへ!

 息を切らして学校に着くと、校庭を中ほどで仕切り、その奥で解体工事を行っていた。そういえば、冬休み中に旧校舎を解体するってお知らせがあったな。どうしよう、木のところまで行けない……

「あの、すみません、私ここの生徒で、中に用事があるんですが」
「あー、今は誰も入れないよ。入ってもなにもないし」

 そばを通りかかった作業着姿の人に訊いてみるも、撃沈。外から入れそうなところを探そうと、回れ右をしてその場を離れた。





 いったん学校を出て、旧校舎の裏側を通る細い路地に入った。こちら側も工事用のフェンスが高くはられている。どうやらお手上げのようだ。

「だからって諦めるわけには……っ」

 普段なら絶対にしないであろう選択肢。それは、塀を登ること。フェンスは二メートル以上あるけれど、学校のブロック塀はそれより低い。手を伸ばせば、塀の縁に手が届く。私は縁を掴んでブロック塀の少しの段差につま先をかけ、渾身の力を振り絞ってよじ登った。

「はあ、はあ」

 仕事をしている人たちに見つからないように、フェンスの高さでしゃがみ込んだまま塀の上を進む。建物がなくなってしまったからわかりにくいけれど、もう少し先に枝垂れ桜と梅の門が並んでいるはず……なのだが。

 かなり見晴らしの良くなった敷地を見渡しているはずなのに、青く茂る大きな木がどこにもない。正門側のソメイヨシノが遠くに見えるだけだった。

 梅の木がない。それじゃ私、向こうへ行けない。……というよりそもそも冷静になって考えてみたら、ハルと手を繋いでいない私が行けるかどうかがまず不確かだった。なんの根拠もなく精霊界に行けると思っていた私はバカだ。ずっと当たり前のように精霊だの気だのと言っていたから、それが普通だと勘違いしていたのだ。

「は、はは……。嘘だよね? ハルがいないなんて、嘘だよね?」
「何やってるの! 危ないじゃないか!」
「あ……ご、めんなさ」
「早く降りて降りて!」

 あまりの信じられなさに呆然とした顔を覗かせていた私は、思い切り工事現場から見えていて酷く叱られた。

「あ、あの! 木は、どうしたんですか?」
「木ぃ? ああ、昨日の夕方、別の業者が切って帰ったよ。ささ、降りた降りた!」

 それでも諦めきれずに食い下がってみたものの、得られた答えは希望を断ち切る残酷なものだった。

 失意のまま帰宅して、ダメモトで両親にハルの事を訊いた。宇目崎の御曹司だよと話したら、夢でも見たのかと思い切り笑い飛ばされた。冬休みが明けて学校に行っても、誰もハルの話などしていなかったし、私が嫌がらせをされることもなかった。ハルは、私の記憶だけ残して消えてしまったのだ。

 春一番に咲くはずの梅の木がない校庭を眺め、先に推薦合格したはずのハルがいない高校を受験し、私は卒業した。