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「こっちもすごい悪そうな気になってるね……」
「そうだね。高田さんは朋香や僕と親しいから、影響が強いのかもしれない」

 真央の家に着く前から、高田家の方角から嫌な気配を感じていた。悪霊とか怨霊というのがいるなら、たぶんこういう感じなのかもしれないという、肌にべっとりと粘り付くような空気。案の定、庭のケヤキの気はカビを通り越してどす黒い渦を巻いて私たちを出迎えた。

 先に到着していた田村君と真央とで、ケヤキの側に向かう。

「ケヤキさん、どんな感じよ?」
「悪い感じだねって、梅……ハルも言ってる」

 梅……ずっと梅咲君と呼んでいたから、せっかく呼び方を変えたのに間違えてしまう。ハルがケヤキに触れて、何か念じているようだ。ハルと手を繋いでいなくても、禍々しく空気が淀んでいるのがわかるほどで、ケヤキの側にいるだけで息が苦しくなりそうだった。

「朋香、一緒に手を重ねて」
「う、うん」

 おそるおそる、ハルの手の甲に触れる。ぬるりと重たい。すりおろした山芋と泥と混ぜて、そこに手を入れたような不快感。そしてハルが鎮まれと念じているのを、ケヤキが拒絶しているのを感じた。

「……ダメだ。まだ僕の力が完全に戻っていないからかも」
「そっか……」

 朝のうちはまだ涼しいのにも関わらず、ハルはじっとりと汗をかいている。相当な力を使ったのだろう。けれど上手くいかないようだ。これでは、ケヤキの加護が真央を守る度に、側にいる田村君に危険が及んでしまう……どうしたら……?

「なあ、そんなら俺にのりうつれよ」

ふいに、田村君がケヤキに向かって話しかけた。

「のりうつるって、幽霊じゃないんだから。翔太バカすぎ」

 真央が呆れてツッコむが、田村君は尚も続ける。

「似たようなもんだろ。ケヤキさん、俺と組んで一緒に真央を守ろうぜ。俺はいつでも真央の側にいる。そりゃ二十四時間ずっと見張るわけにはいかないけど、家にいればお前がいるだろ?」
「精霊が縁のない人間に加護をつけることは滅多にないんだよ。機序的にも難しくて、定着させづらいっていうのもあるからね」

 田村君らしい発想だなと思ったけれど、ハルの言うことも尤もで、そう簡単にいくわけはなさそうだ。それでも田村君はニヤリと不敵な笑みを浮かべて続けた。

「縁ならありまくりだろ? 俺はここで真央の子孫繁栄に関わる男なんだからな」
「養子に来るってこと?」
「俺、真央んちすげぇ好きだって言ったろ。俺は真央が幸せになるためならなんだってする」

 理想論だよ……そう思った時だった。田村君が言い終わるか終わらないかで、ケヤキから出る気の雰囲気が変わったのがわかって、私とハルは驚きを隠せなかった。

「ハル! ケヤキが…!」
「ん!」

 ケヤキは田村くんの目の前に自身の光を集めて、塊のようなものを作り始めた。やがてそれは不安定でいびつなヒトガタを形成した。

「ダメた! そんなことをしたら…っ!」

 慌てるハルが止めようとするも、光のヴェールを失ったケヤキはどんどん葉を落としてゆく。

「え…まさか枯れちゃうの?」
「精霊の力は命そのものなんだ! 加護を与えるのだって命を削って渡すんだよ。こんなことをしたら木そのものがダメになってしまう!」
「来いよ、俺の方は覚悟できてるぜ」

 田村くんがトン、と自分の胸を叩いた。ヒトガタにいびつな光の束が降り注ぎ、ケヤキはあっという間に枯れ果ててしまった。

「来ないなら俺が行くよ」
「ちょっ! 翔太、なにやっ……」

 田村君が、偶然なのか田村君にも何か気配を感じるのか、ケヤキのヒトガタのほうへゆっくりと一歩、前に出る。金色に光るヒトガタと田村君が重なると、光は柔らかいミルク色のオーロラに変わり、田村君の周囲を囲ったあと、体の中にそのすべてが注がれた。

「信じられない……木と人が融合するなんて」
「……すごい」
「何? 翔太、どうなっちゃったの?」

 驚く私たちや不安そうな真央に向かって、田村君がニッコリと笑った。

「どうもしねぇよ。愛の力と愛の力が合わさって、シン・俺になっただけだ」
「バカ」

 愛の力……本当に、その通りかもしれない。いつも通りの田村君に、真央が涙を浮かべながら憎まれ口をきいている。よかった。ちゃんと日常だ。

 枯れてしまったケヤキを除いては……

「ゼロになってなければ、どうにか……」

 そんな二人をよそに、ハルが、ケヤキの根元に手を当ててまた何かを強く念じているようだった。私も慌てて手を重ねる。ハルの手の温かさだけが伝わる。つまり、ケヤキの気は感じられない。やっぱりダメなのかな、そう、諦めかけた時。

「あった!」
「うん!」

 冷え切ったケヤキの奥に、ほんのりと小さな灯のような気を見つけて、ハルが嬉しそうに声をあげた。次の瞬間、それはハルの力を借りて外側まで広がって、根元だけだが静かに光りだした。

「植物は強いな。もう大丈夫……だ……」
「えっ、ハル? ちょっと!」

 回復の兆しを見せたケヤキに安心したのか、力を消耗しすぎた感のあるハルがその場にへたりこんでしまった。

「朋香……」
「え、ちょっ、待っ……」

 あり得ない!

 人前で!

 しかも人んちの庭で!

 結婚したらずっと人間界に居られるってこういうこと……!

「うちら、見てないからね♪」
「真央、俺にもして?」
「バカ」

 恥ずかしすぎて横目でチラ見をしたら、私たちに背を向けて背伸びをする真央のつま先が見えた。