銀色のスプーンでビーフシチューをすくって口に入れる。その瞬間、私は目を開いた。
「なにこれ、おいしい……っ!」
濃厚で、牛肉が驚くほど柔らかくて、あっという間にほろほろと口の中でとろけてしまう。こんなにおいしいもの、生まれて初めて食べたかもしれない。
ビーフシチューは、この店の名物のひとつだ。みんながこぞって食べに来るのがわかる。
「本当においしい。じつは私、ここで食事するの、夢だったんです」
子どもっぽいと笑われるかもと思ったけれど、
「夢が一つ叶ったな」
と誠一郎は優しく微笑んだ。

子どもの頃から、百貨店に憧れていた。見たこともないような美しい小物や洋服、それだけじゃなく、大食堂や遊園地まである、まさに夢のような場所。
そして、行きたくても行けなかった場所。
私の母は厳しい人で、必要以上にお金を使うこと嫌った。着物はいつも姉や親戚のお古だったし、外食なんてほとんどしたことがない。
だけど本音は、学校で同級生たちが話していたように、あそこで買い物や食事をしてみたい。ずっと、そう思っていたのだ。

「落ち込んでいようと疲れていようと、おいしいものはおいしいだろう。感じられるというのは、幸せなことだ」
そう言われて、私はハッとした。
彼は、できないんだ。おいしいものを食べること、おいしいと感じること。そればかりか、ここから出ることすら叶わない。
私にとっては当たり前すぎて幸せだとも思わないようなことが、彼にはできないんだ。