「弟さんを恨んでいるんですか?」
そう言うと、誠一郎は「まさか」と笑った。
「あいつはいまいち頼りないところがあるが、芯のある男だ。それに、まだ走り出しで不安定だった会社をここまで成長させてくれた。恨むどころか感謝してるよ」
「でも、さっき、怖い顔して社長のこと見てたけど……」
「ああ、あれは、あまりのスピーチの下手さに呆れていたんだ。経営の力量は認めるが、話のほうはまるで駄目だな。俺が代筆してやりたいくらいだよ」
「あはは、それいいですね」
さっきのひどい社長挨拶を思い出して、思わず笑ってしまった。
「仕事で疲れた時、よくここに来た。灯りの消えた通りはひどく静かで、闇に吸い込まれるように何度かここから飛び降りそうになったよ」
「えっ」
「飛び降りなんかあったら、百貨店の評価を落とす。いままでの苦労が水の泡だ。そう思って踏み止まったけどな」
「自分の命より会社の評判ですか……」
「それくらい追い詰められていたんだ」
と誠一郎は苦笑しながら言った。
「でも、単純に、この場所が好きだったんだ。童心に帰れるだろう」
なあ、と誠一郎が言った。
「あれに乗らないか」
「えっ?」
あれ、と誠一郎が見上げて指したのは、観覧車だった。営業時間外のいまは動きを止めて、灯りも消えている。
「乗るって、鍵も閉まってるのに、どうやって?」
びっくりして言うと、誠一郎はふふんと笑った。
「俺を誰だと思ってるんだ?」
そう言って、どこかに姿を消した。
次の瞬間。
観覧車の灯りがパッと点き、ゆっくりと動き始めた。メリーゴーランドが回り、オモチャの乗り物も動き出す。
夜の遊園地。幻想的に浮かぶ空中楽園を、私は目を開いて見つめた。
「す、すごい」
「まだパーティーの最中だ。特別な日なんだから、これくらいいいだろう」
「……はいっ!」
観覧車のゴンドラに乗り込み、ドアを閉めて、ゆっくりと動き出す。少しずつ遠のく世界。暗闇に浮かぶ灯りが、夜空に散りばめられた星屑のように美しく瞬く。
「すごい、すごい、最高です」
「ああ、そうだな」
誠一郎は窓際に手をつき、景色を眺めながら答えた。
その横顔が、あまりにもきれいで、思わず見惚れてしまった。
誠一郎が、ふと、私のほうを向いて、
「そういえば、大事なことを言い忘れてた」
「え?」
「その着物、すごく似合ってる。最高にきれいだ」
「あ、ありがとうございます……」
私は恥ずかしくて俯いたけれど、
「香代子」
呼ばれて、また顔を上げた。
「好きだ」
「……っ!」
信じられなくて、目を見開いた。
「ほ、本当に……?」
「ああ、こんなこと、嘘で言えるか」
思わず、涙があふれた。
届かない、そう思っていた、けれど。
「私も……私も、誠一郎さんのことが、好きです」
私は言った。
言えた。好きな人に、気持ちを伝えることができた。それだけで、こんなにもあふれるくらい幸せな気持ちになれるんだ。
誠一郎が屈んで、顔を近づけ、唇を重ねた。
こんなに近くにいるのに、触れられない。
触れられないけど、彼はたしかに、ここにいたんだ。




「俺は仕事ばかりでロクな恋愛もしてこなかった。結婚もしなかった。仕事も大事だがそれ以外の大事なこともあると忘れていた。香代子に会って、人を好きになることの大切さを初めて知った。いまさら気づいたところでどうしようもないと諦めていたが、伝えられてよかった」
観覧車を降りて、夜に浮かぶ眩い遊園地の真ん中で、誠一郎は静かに語った。
私は泣きながら頷いた。
「香代子に出会えてよかった。会社も俺が心配する必要もなさそうだ。もう思い残すことは無いよ」
「誠一郎さん……?」
嫌な予感がした。その先を聞きたくない。
けれど誠一郎は続けた。私の一番、言ってほしくなかった言葉を。
「今日はありがとう。最高に楽しい夜だった。俺はもう行くよ。じゃあ、おやすみ、香代子」

そう言って、誠一郎は闇に消えた。




「立石さんっ!」
怒りの声に、私は力なく顔を上げた。
「何度言えばわかるの。この商品の説明をする時はお客様に……って聞いてる?」
「はい……」
「もういいわ。そこ片付けておいて。まったく、ちょっと成長したと思えばこれだわ。しっかりしてちょうだい」
妙子は息を荒くして怒りながら去っていった。
昨日の夜は寝られなかった。

『香代子に出会えてよかった。会社も俺が心配する必要もなさそうだ。もう思い残すことは無いよ』

あれは、どういう意味だったのだろう。
誠一郎は本当に消えてしまったのだろうか。
もう二度と会えないのだろうか。
せっかく、気持ちを伝えたばかりだったのに。
もっともっと話したいことがたくさんあったのに。
幽霊に恋をしているだなんて、おかしいけど、絶対普通じゃないけど、そんなことどうだっていい。一生結婚できなくてもいい。
だから、もう一度、誠一郎さんに会いたい。

「ねえ、誠一郎さん、いつもみたいにふらっと出てきてよ……っ」





「呼んだか?」

低い声がした。
聞こえるはずのない声。
え……幻聴……?

振り向くと、そこには誠一郎が立っていた。

「な、なんで?」
「なんでって、お前が呼んだんだろう、香代子」
「いやそうじゃなくて……消えたんじゃないの?」
「そんなわけはない。俺は死んでからいままでずっとここにいる。そしてこれからもな」
ええええ?
そ、そういうものなの?そんな感じでいいの?
「だいたい香代子を残して死ねるわけがなかろう」
「いやもう死んでるし……」
「うむ」
うむって。
「じゃあ昨日のあれは?もう思い残すことはないとか、俺はもう行くとか」
「あれは、その……照れ隠しだ」
「照れ隠し!?」
思わず叫んでしまい、一斉に注目を浴びた。
照れ隠し……私は照れ隠しに一晩中悩まされていたのか……。
「柄にもないことをしたので急に恥ずかしくなってな……まあ、そういうことだから。俺はずっと、いなくなったりしないから」
誠一郎は照れながら言った。
「変な見合いとかさせられそうになったら俺に言え。星野百貨店名義で相手の家に不幸の手紙を送りつけてやるから」
「なんだかよくわからないけれどすごく迷惑行為な気がします」

吹き抜けの大回廊。ずらりと並ぶショーウィンドウ。目の前には百貨店の品物。あふれるほどの人で賑わい、中には幽霊も紛れ込んでいる。
そして私の好きな人も、幽霊で。
ここは星野百貨店。
私はこの場所で、仕事と恋をしています。
香代子は憧れの星野百貨店の店員になり、仕事に張り切るが、失敗して怒られてばかりの日々。
ある日、長身で美形の幽霊、誠一郎と出会う。気まぐれな誠一郎に振り回されて戸惑う香代子だったが、誠一郎のことを知っていくうちに惹かれ、好きだと自覚する。
百貨店がお祭りムードで盛り上がる中、盗難騒ぎが発生する。従業員たちが不安になる中、香代子は誠一郎に強く当たってしまう。以来、誠一郎は姿を現さなくなり、香代子は心配する。盗難品のうちの一つを盗んだのは同僚だった。しかしその他の仕業は誠一郎とは別の幽霊の仕業だと判明する。盗難騒動が解決し、星野百貨店の創立記念パーティー会場で、香代子は誠一郎の姿を見かけ、追いかけて屋上の遊園地へ。2人は観覧車の上で気持ちを伝え合い、両思いになる。誠一郎は思い残すことはないと言い、消えてしまったのかと香代子はショックを受けるが、それは勘違いで、再び香代子の前に現れたのだった。

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