麻美が目を見開き、それから、俯いたきりしばらく何も言わなかった。
私は麻美の言葉を待った。そしてーー、

「……そうよ。私が盗んだの」

麻美が力ない声で言った。
「彼の心を繋ぎ止めたかったの」
「彼って、昨日の人?」
「そう」
と頷いて、麻美はいまにも泣き出しそうに赤くなった目を私に向けた。
「彼はお客さんなの。声をかけられて、親しくなって、食事に行くようになった。彼は大人だから、私、少しでも大人の女性に思われたくて、たくさん努力したわ。あの香水は、彼が、こういう香水が似合う女性が好きだと言ったから……どうしても欲しくなって、でも自分のお金じゃ買えなくて、それでつい、盗難騒動のせいにしてしまおうと思って、出来心で、閉店作業の間に、こっそりケースから抜きとってしまったの」
「そうだったの……」
「でも、私が馬鹿だった。彼、婚約者がいたのよ」
「えっ!?」
「昨日の帰り、あまり人に私たちの関係を言わないでほしいって言われたの。どうしてって尋ねたら、そういう人がいるからって……私とはただの遊びのつもりだって、彼、悪びれもなく言ったのよ」
「そんな……ひどい……」
好きな気持ちを利用するなんて、卑劣すぎる。
でも、まだ、他の問題が解決していないのだ。
「ねえ、麻美ちゃん、他の物は、どうして?」
「え?」
「ハンカチとか、時計とか、万年筆とか……もしかして、その人にあげるために?」
さらなる疑念をぶつけると、麻美はさっと顔を青くした。
「ち、違うわ!たしかに私、香水は盗んだけど、他の物は知らない!」
「本当?」
私は目を丸くした。
「本当よ、貢いだりはしてないし、それに、他の売り場のことなんて詳しくないし」
嘘を言っているようには思えなかった。けれど、じゃあ誰が……。

「彼女の言っていることは、真実だ」

その時ふいに、低い声がした。
驚いて振り向くと、誠一郎が立っていた。
「誠一郎さん!」
「噂はある意味本当だ。犯人は幽霊だからな」
「は……?」
私はポカンとした。
「な、何言ってるんですか?」
「だから犯人は幽霊だと言っているんだ。ちなみに俺の元部下だ」
「ぶ、部下?」
話が突飛すぎてまったくついていけない。
犯人が幽霊?誠一郎さんの元部下?
「ああ。階段から落ちて首の骨を折って死んだ間抜けな男なんだが、ここの女性従業員に惚れていたらしく、どうにか気を引こうとして盗難騒動を起こしたらしい」
「そういえば、4階の階段で考える人みたいなポーズで座ってる男の影を見たって人が……」
「間違いなくそいつだろう」
「…………」
信憑性がないと思っていた噂話が、まさか本当だったとは。
「じゃあ、誠一郎さん、最初から犯人を知ってたんですか?」
にじり寄ってそう言うと、
「ずっとここにいるのだから、知らないわけがなかろう」
悪びれもなくしれっと返された。
「な……っ、だったら教えてくれてもいいじゃないですか。私、誠一郎さんのせいにされてると思って」
「部下の尻拭いは上司がするものだ」
「ここで仕事の話を持ち出されても」
「しかし、お前があまりにすごい勢いで詰め寄ってくるから参ったよ。嘘をつくのは好まないから身を隠していたんだ」
「でも、そうまでして庇わなくたって」
「わかるから」
「え……?」
「好きな相手に気持ちを伝えたくてもどうにもならない気持ちは、俺にもわかるから」
誠一郎が寂しげに少し笑って、私は思わずドキッとした。
好きな相手……。
もしかして、その人のことがまだ忘れられなくて、いまもここにいるのだろうか。
「誠一郎さん……」
「まあ、だからといって盗みを擁護するわけではない。俺はそろそろ行こう。部下に馬鹿なことはやめろと説得しに行かなければならんからな」
「説得……って、やめさせてくれるんですか?」
驚いて言うと、誠一郎は意味ありげにニヤリと笑った。
「当たり前だ。俺を誰だと思っているんだ?大丈夫。明日の朝にはすべて解決しているさ」
そう言って、すうっとその場に姿を消した。
私は何も見えなくなった空間をポカンと見つめて、
「誰って……ほんとに、誰なんですか?」
と呟いた。