◯
「ああ、どれもすごく可愛い。ね、香代子ちゃん」
同僚の西野麻美が、新作の化粧品が並ぶ鏡台を眺めながら目を輝かせる。
「うんうん。見てると欲しくなっちゃう」
私もおなじくうっとりしながら言う。
ハンカチを物色している女性たちの中に、1人だけ、長身の男性がいる。誰もが振り向きそうな長身の美青年なのに、誰も彼に目を向けない。
彼は、私にしか見えないからだ。
視線に気づいた誠一郎が、わざとらしく笑って手を振る。
「…………っ」
完全におちょくっているとしか思えない。
意識しちゃダメ、無視無視。いちいち気にしていたら、昨日の二の舞いだ。
1階の売り場では、ハンカチやショールなどの布製品や、宝飾品や化粧品など、多くの種類の品物を扱っている。
美しい鏡台に置かれた、小さな手鏡やリボンの飾りのついた香水。頑丈なショーケースに入れられて守られている高価な宝飾品と違って、化粧品売り場は誰でも手にとって見られるようになっていて、つい自分も、と手を伸ばしてみたくなってしまう。
「ふたりとも、商品の陳列の仕方を教えるから、こっちに来てちょうだい」
妙子に呼ばれて、はあい、と真美と並んで向かう。
「舶来品は目が止まりやすいから、目立つ場所に置いてね。それからこの商品は……」
外国から来た物は舶来品と呼ばれ、国内品よりも高価だけれど質がいいと評判で、新作が出る度に注目の的となる。でもその舶来品よりも注目してしまうのがそこのスタイル抜群の美形の幽霊なわけであって、
「立石さん、説明は全部書き留めておくように。ただでさえあなたは不注意が多いんだから」
「は、はい、すみません」
隣でメモを取っている麻美にクスッと笑われてしまい、私は肩をすぼめた。
同期の河野麻美(あさみ)は、人形みたいに大きな目、艶やかな長い黒髪の可愛い女の子だ。同じ歳で、同じ売り場の担当になり、すぐに意気投合して仲良くなった。
凝った髪型や、自然なのにきれいに見える化粧法を知っていたり、美容や流行に敏感で、すごいな、といつも思う。お喋り好きなところがあるけれど仕事に手を抜かず、私と違ってついぼうっとしたりすることもない。
……でも、今日ばかりは、集中できないのも無理はない。と私は言い訳のように思う。
だって、常に美形の幽霊が周りをうろちょろしていて、美しいものに目がいってしまうのは人間の性である。
「どうしたのよ、香代子ちゃん。今日はいつも以上にうわの空じゃない」
社員用の休憩室で、仕出しの弁当を食べながら、麻美が興味津々に顔を寄せてくる。
「わかったわ」
と麻美は何かを悟ったように言った。
「好きな人ができたんでしょう」
「え!?」
強引な解釈に、私は思わずたじろいでしまう。
「やっぱりね。今日ずっとそんな顔してたもの。心ここにあらず、っていう感じ」
「そ、そう」
「隠さなくてもいいじゃない。ね、誰にも言わないから、教えて?」
耳打ちされ、私は顔を振る。
「違うの、本当に。なんていうか、どう説明すればいいのかわからなくて……」
たしかに、私の頭を占めているのは、誠一郎のことだ。でも、恋というのは違う。なにしろ相手は幽霊だ。幽霊に恋をするなんて、絶対におかしい。
でも、もしかしたらと、私は顔をあげた。麻美なら、何か知っているかもしれない。
「麻美ちゃん、誠一郎っていう人、知ってる?25歳くらいで、背が高くて、すごく美形の男の人」
麻美はキョトンとして、それからふふっと笑った。
「やっぱりいるんじゃないの、そういう人」
「そうじゃないんだけど……」
説明しょうがないのだ、この状況を。
「知らないなあ。ここの人?でも、そんな素敵な人がいたらきっと噂になるだろうし」
「わからないの、なにも」
わかっているのは名前と、ここから出られないということだけ。年齢も素性も、ほとんど何も知らない。だから余計に、気になってしまう。
「ふぅん?」
麻美が首を傾げる。
「よくわからないけど、健闘を祈るわ」
「……ありがとう」
結局誤解されてしまったけれど、本当のことを言ったところで信じてもらえるわけがない。