俺が親父に殴りかからないように、手を握っていてくれないか。

 彼が私に頼みごとをしたのは、あとにも先にもその一度きりだった。

 桜が新緑の緑を眩しく太陽に光らせた、高三の四月。春休み明けの私は、二年間着続けた制服に手を通した。
 進学も大詰めで、担任は親と一緒になってとにかく急かすことばかり。既に、進路の決まったものたち以外、クラスの中は常にピリピリとした空気に包まれていた。
 そんなピリピリとした空気とは、別の。そう、進学とか就職とか。そんな先の話とは、違った。今目の前にある現実に日々歯ぎしりをし、拳を握り、悔しさと悲しさにうなだれる日々を、彼は送っていた。
 私の知る限り、彼の日課はこの箱の中にいるクラスメイトとは、格段に違うものだった。
 確かに彼は毎日授業を受けているし、進学のことも考えてはいるようだった。けれど、それよりももっと彼の心を悩ませ痛ませていたものが、現実として目の前にあった。

 初めは、特に仲が良かったわけじゃない。一年の時はクラスも違ったし、学区も違うから、顔さえも知らなかった。
 最初に彼を認識したのは、二年のクラス替えの時だった。同じクラスになり、二度目の席替えで前後の席になった時だ。彼が前で、私が後ろの窓際の席。
 特に話す機会もなく、時々配られるプリントを彼から受け取るだけだった。
 彼が勉強熱心で成績が良かったのかどうかはわからなかったけれど、部活に入っている様子はなかった。サッカー部や野球部などの運動着が収まっているだろうスポーツバッグを持ち歩いていることもないし。かと言って放課後、文科系が使っているどこかの特別教室へ向かうような雰囲気もない。いつも最後の授業が終わると、カバンを手にしてダラダラとした様子で教室を出ていく。そのまま階段を下り、玄関へと向かうのだ。何故そうだとわかるかと言えば、私も同じように帰宅部だったから。

 彼と会話だろうと思えるような話をしたのは、十月にあった修学旅行の時だった。
 去年は、海外だったのにどうして今年は北海道なんだと、各クラスからブーイングが飛び交っていたけれど、そんなことは些末なことだとでもいうように、飛行機は北の大地へと飛んだ。
 いつだって決定権は大人にあって。子供の言い分など、右から左だ。思い出を作るのは、私たちだということなど、これっぽっちも考えていないのだろう。いや、私たちに任せてしまったら、何が起きるかわからないから、聞く耳など持たないと、はなから耳を閉ざしているのかもしれない。
 なんにせよ、その年の修学旅行は北海道に決まった。
 私としては、面倒なことは極力避けたかったから、パスポートの申請をしなくてもいい国内で良かったと思っていた。
 私の目の前に座る彼もそうだったのか、パスポートを取りにいかなくて済んで助かったよな。なんて、いつも話しかけてきたりしないのに、修学旅行のプリントを後ろにいる私に回しながらポツリ言ったことを覚えている。
 旅行中は班も違うから、行動も別で。彼がどこで何をしていたかなんて、少しも知らない。ただ、土産物屋にいた時、夕張メロンゼリーの箱を手にしたまま、ずっと動きを止めていた彼が気になって、つい話しかけに行った。
「それ、買うの?」
 私がそばにきたことに気がつかなかった彼は、突然耳元で聞こえた声に驚いたようで、手に持っていたゼリーの箱を、平積みになっている同じゼリーの箱の上にドサリと落としてしまった。
 幸い、積まれた箱が崩れ落ちることもなく。店員さんに咎められるような視線を向けられることもなかった。
 修学旅行生の存在を面倒臭そうに見る目を私は知っていたから、店内にいる大人が誰も気がつかなかったことにホッとした。
 都内では、大人数でやって来る学生たちを、快く思わない視線で見守る大人たちをよく目にする。その目は、買う気もないのに触るな。盗むんじゃないぞ。いつだってそんな風に見ている気がした。
 そんな空気が私と彼を取り囲まなかったことで、私は再び彼に話かけるようなしぐさを見せることができた。
 買わないの? そう問いかけるようにして見ていると、考えた末に彼はポツリと言った。
「買って帰っても、きっと食べられないだろうから」
 旅行の高揚感で気持ちがはしゃいでいた私が、何も考えていなかったと言えばそれまでだけれど。私の訊ねた言葉が、彼の中でどう変化したのか。今となっては、もうわからない。
「おいしそうだよって見せたら、喜んでくれない?」
 北海道のお土産っていうだけで、うちの家族なら我先にと手を伸ばすことだろう。賑やかで騒がしい光景が、ありありと浮かんでくる。
 彼がお土産の夕張メロンゼリーを渡したかった相手が誰なのか、私は知る由もない。家族なのか、友人なのか。ご近所へなのか。
 そもそも、クラスの噂話に興味を抱かない私が、彼の家庭の事情など知ることはないから、夕張メロンゼリーの行方がどこだろうと、貰った相手は喜ぶに違いないと決めつけていた。
 その後彼がメロンゼリーを買ったかどうか、私は知らない。同じ班の子に呼ばれ、その場を離れてしまったからだ。
 修学旅行から後も、彼と話したのは数えるくらいだった。
 落としたペンを拾ってくれた時。席替えになって離れる時。三年になって再び同じクラスになり、席替で隣同士になった時。
 そのどれもが短い言葉のやり取りで、会話と呼べるほど長いものではなかった。
 三年になっても、相変わらず私も彼も帰宅部で。その頃は帰るタイミングが時々一緒になるものだから、校門まで並んで歩いたり、バス停まで一緒だったり、ということが幾度かあった。

 その日は、十月の暑い日差しがまるで夏が舞い戻ったようにアスファルトを照らしていて、黒い制服になった私達を狙って攻撃でもしているみたいだった。
「なぁ、ちょっと頼みがあるんだけど……」
 玄関で履き替えた上履きをしまい、校門まで並んで歩いている時だった。校門に差し掛かると、彼は重苦しい雰囲気をまといながら、いつもとは違う方向へと足を向けた。
 彼の頼みがなんなのか、特に気にすることもなく頷いた私は、いつものバス停に向かわない彼の横に並ぶ。
 こうやって一緒に帰っていても、会話など成立しない私達だったけれど、頼み事と言われてもどうしてか断ろうという考えが少しも浮かばなかった。きっと、まっすぐ家に帰っても特に何をするわけでもないし。何か面白いところへでも行くのなら、暇つぶしになるかもしれない。それくらいの軽い気持ちだったからだと思う。
 いつものバス停ではなく横断歩道を渡り、少し行った先にあるバス停に彼は並んだ。列には五、六人の人が並んでいた。
 このバス停を利用したことのない私は、ここから何処へ向かうのか少しも想像できず、ただ暑さに項垂れそうになりながら、早くバスがこないかと何度も道路の先に目を凝らしてばかりいた。
 しばらくしてやって来たバスに乗りこむと、車内には老人が多くて、行き先案内図を眺めると大きな大学病院の名前が目に付いた。
 他に思い当たるような行先のバス停もなかったから、「病院?」そう何の気なしに訊ねた。後部座席の広い椅子に並んで座る私に向かって、彼がコクリと頷いた。
「親父がいるんだ」
 彼は、言葉少なにそれだけを私に告げた。
 そこから連想するあれこれは、私の中でどれも暗くマイナスなことばかりで、これ以上彼に訊ねることが憚られた。
 十分だろうか、二十分だろうか。揺られたバスが、大学病院前に止まった。
 近所の小さな町医者にお世話になることはあっても、こんな大きな病院にお世話になったことなどない私は、バスから降り立ったあとスタスタと慣れたように歩き出す彼の後を、ただ付いて行くだけだった。
 大きな病院は、入るだけで威圧感がある。特有の匂いと雰囲気は、明るい看護師の笑顔さえわざとらしく見せる。
 そんな顔をして見せても、ここから出られない人は大勢いる。大きいくせに閉鎖的空間に渦巻く理不尽さが、健康そのものの私を責めている気がした。
 大きく息を吐く。降りかかってきた理不尽を振り切るように、何度も、何度も。
 深く呼吸を繰り返す私のタイミングを計るように、彼は中央のエスカレーターに乗り、二階に上がってから少し先のエレベーターに乗った。私も続く。
 二人だけの箱の中で、光る文字を追っていた。辿り着いた階で箱から降りてすぐ、彼が言った。
「俺が親父に殴りかからないように、手を握っていてくれないか」
 彼とは、ほとんど会話をしたことがない。時折、帰りが一緒になっても、何を話すわけでもない。だけど、その一言に、私は何か言うでもなく、ただ一つ大きく頷いた。頼みがあると言われた時と同様に、そこに断る理由など存在しないみたいに。そうすることが当然だと思った。

 やけに窓の多い廊下は白くテカテカと光っていて、そこを進んで行くと六人部屋に着いた。彼のお父さんは奥のベッドで体を起こし、経済新聞を読んでいた。血色がいいとは言えないけれど、彼が現れたのに気がつくと、虚勢を張ったように険しく厳しい顔つきになった。キリッとした太い眉毛と、少し堀の深い目は威圧的だ。けれど、新聞を持つ手には、チューブが繋がっていて痛々しい。
「何をしに来た」
 開口一番そう言った父親の言葉に、彼の拳がキリキリと強く握られていることに私は気がついた。その拳を見て、彼に頼まれた言葉通り、私は彼の手をそっと握る。その感触に彼の肩に入っていた力が抜け、拳が緩んでいった。
「手術を拒否する理由がわからない」
 押し殺したような彼の低い声は、感情を制御しようとしているのが伝わってきた。
「無駄なことは、しない主義だ」
 突然始まった会話に、当然私は加わることもできず。彼の強く、時折震える手を握り続ける。
「俺が一人になることは、なんとも思わないのかよ」
「お前は男だ。どんなことをしたって、生き抜いていけるし、そうしなければならない」
 男子たるもの、こうあるべきだ。そんな一昔前の雰囲気そのままに、彼のお父さんは彼へと言い切った。
 そんな父親に対して何を言っても始まらないとばかりに、彼は本題だけを再びぶつける。
「……先生の言う通りにしてくれよっ」
「手術して薬漬けになって、弱っていく姿を晒してまでこの世に居たくはない」
 願うような訴えを、父親はあっさりと切り捨てた。彼の拳が少し反応する。その手を私は放さないように握り返す。
「お前が俺を許していないのは、解っている……。だから、最期はみとらんでもいい……」
 その瞬間、彼の拳には再び強い力が加わって、私は、必死になってその手を両手で握った。
「駄目……」
 小さく発した声に、彼の父親はそこで初めて私という存在に気がついたかのように、小さく会釈だけをして、あとは黙り込んでしまった。
 これ以上話すことも、そばにいる私のことを知る理由も必要ないというように病室内には静けさが訪れた。
 私という存在は、彼にとってはただのクラスメイトというだけのこと。たまたま、帰りが一緒になって、たまたま頼みごとをされ、たまたま殴り掛からないように手を握っていただけ。だけど、この硬く冷たい家族のあり方が彼を苦しめているのは、見ていて痛いほどに感じられるから、どうにか間に立つべきなんじゃないかって、普段出しもしない正義感を振りかざそうとしてみたりする。
 そんなこと言わないで下さいとか。親子でしょとか。息子さんに優しくしてくださいとか……。
 けれど、頭の中で思いつく言葉はどれもチープで。十代の小娘から言われた安っぽい言葉など、何の役にも立たないだろうとわかってしまった。結局は、ただのクラスメイトの私が言うべき言葉ではないということなのだろう。
 いつの間にか私の手を逆に握り返していた彼が、踵を返し怒ったように病室出ていく。病室を出る間際、彼に手を引かれ振り返る私の目に映ったのは、さっきまでの険しく厳しい父親の目ではなく。寂しさとか申し訳なさの滲む光の弱い、今にも泣き出しそうな瞳だった。

 あの日の数日後。私は、彼に内緒で病室を訪れていた。ほんの数分顔を見ただけで、言葉の一つも交わしていない私のことなど、記憶にもないかと思っていた。けれど、彼のお父さんは、私が一人でやって来た姿を見て、起こしていた体を深く曲げて会釈をした。
 お見舞いといえば花束とフルーツしか思い浮かばなかった私の手には、来る途中の果物屋さんで買った、バナナが一房とリンゴが二つ入ったビニールの袋が握られていた。
 良かったらと差し出してから、繋がるチューブや、筋肉よりも筋や骨の目立つ腕を見て、食べ物じゃなく花束にすればよかったと後悔した。
「食べられないかもしれないから」
 修学旅行の時に呟いた彼の言葉が頭に浮かんで、今目の前にいる、痩せている彼の父親のことを指していたとわかったからだ。
 それとも、メロンだったら食べられただろうか。夕張メロンのゼリーをじっと見続けていた彼が何を思っていたかわからないけれど、見つめていたのはお父さんの好物だったからなのかもしれない。
 受け取ってくれたバナナとリンゴは、吸い口の置かれているサイドテーブルに袋のまま置かれた。多分、口にしてもらうことはない気がした。
 彼のお父さんが話してくれたのは、中学の時に彼の母親を自分と同じ病気で亡くしたこと。仕事にかこつけて、妻の最期を看取らなかったこと。そのことで、息子は自分のことを恨んでいるだろうことだった。
 淡々と話しているけれど、少しでも何か抑揚をつけてしまえば、言葉を続けられなくなってしまう、そんな切なさがうかがえた。
「恨んでくれていい……。母親と二人、寂しい思いをずっとさせてきてしまった私が、最期だからと息子を縛りつけたくはない。こんな薄情な親からはさっさと解放されて、未来に向かって好きなように生きてもらいたい。死んでしまうものに、縛られることなんかないんです。息子が生きていく中で、この世にいなくなる私の存在は、何の助けにもならない。自分で生き抜く力をつけて、自分の足で進む。今の時代は特に、そういうのは厳しいでしょ?」
 私の顔を見て、目を伏せる。
 父親である自分のことを、息子の彼には重荷に感じて欲しくない。それだけなんです。そう吐露したお父さんの目じりに涙がたまっていたことを、私は彼に言えないままでいた。
「私の弱い姿を知ってしまえば、息子はどうしたって私のために長い時間を費やしてしまうでしょう。十代の大切な時期に、親の看病に明け暮れていただけの思い出など、ない方がいい」
 切実なその言葉に、私は従わざるを得なかった。

 その後彼の父親がどうなったのか、訊ねるに訊ねられないまま月日は過ぎていった。
 私たちは、高校を卒業し、彼は地方の大学へと進学した。どうして地方だったのか。そのことを訊けなかった私は、ただ想像するしかなかった。
 彼の身を引き受けた親戚のところに、お世話になっているのかもしれないとか。
 自分の最期に付き合わせたくないと涙した父親と、残り僅かな時間を緑多い地方で過ごしているのかもしれないとか。
 そのどちらも、私の憶測でしかないのだけれど……。

 卒業式の帰り際。彼からお礼を言われた。
「ありがとうな」
 たった一言の言葉を、私は今も彼の表情と一緒に鮮明に憶えている。
 頼みたいことがあると言った、思いつめたような顔でもなく。キリキリと拳に力を入れて、父親を睨みつけた時の顔でもなく。どこかすっきりとして、晴れやかな表情だった。
 私と彼は、ただのクラスメイトでしかなかった。二年の時に、初めてお互いの存在を知り。同じ帰宅部が奏して、時折バス停までの道を並んで歩いた。落としたペンを拾って貰い、回ってくるプリントを受け取るだけの、ただのクラスメイト。
 けれど、同じ教室の小さな箱の中で過ごした時間は、どこか色濃くて、どこか重みもあって、ただのクラスメイトの私と彼を、ずっと同じ位置にいさせてくれる気がした。
 だから、いつかどこかで会うことができたなら、彼には「元気だった?」そう言うと決めている。ただのクラスメイトとして、軽く、何の気なしに、けれど口角だけは上げて。
 あの頃抱えていた感情が、今を生きる彼を苦しめていませんようにと。
 彼の父親が静かに望んでいたように、自分の力で生き抜いていることを願って――――。