柚香は大きく息をつく。

「お母さんってば急に過保護になっちゃって」

 半年前の秋、柚香は広翔との出来事に心から傷つき絶望して、今は亡き祖父母の家に逃げてきた。その途中で事故に遭って一週間眠り続けたのだが、目が覚めたときには不思議と絶望感は消えていた。

 その後、快復して退院したとき、淵上三菜子という女性が広翔を相手取って裁判を起こし、和解が成立したことを知った。広翔は彼女に慰謝料を払ったのだが、そのことを知った女性が何人も広翔のもとに押しかけるという事態に発展した。さすがの望月家でももみ消せないと思ったのか、それとも広翔が本当に反省したのか、広翔は騙したり不正を強いたりした女性に慰謝料を払い、その過程で柚香も広翔から謝罪を受け、慰謝料が支払われたのだ。

 望月家のお金など柚香は欲しくなかったが、受け取らなければ母が単独で裁判を起こしそうな勢いだった。そこで、柚香はその慰謝料を元手に、狗守町の商店街で貸店舗になっていた元パティスリーを借りたのだ。小さな店舗だが、看板を掛け替え、内装を一新し、オープンまであと三日となった。

 空はきれいな青色で、山の若葉は目に優しい。

「やっぱりここの空気はおいしいなぁ」

 柚香は大きく深呼吸をして商店街を戻り始めた。そのとき、店の前に三人の女性が立って、真新しい看板を見上げながら話をしているのに気づいた。女性たちはエプロン姿の柚香に気づき、そのうちのひとり、花柄のブラウスにベージュのカーディガンを着た小柄な女性が柚香に話しかけた。

「あなた、ここに新しくできたパティスリーの方?」
「はい。モントレゾーのオーナーパティシエールの西川柚香と申します」

 柚香がお辞儀をして顔を上げたとき、今度は臙脂のニットを着たぽっちゃり気味の女性が口を開く。

「西川さんって……あなた、もしかして西川正義さんのお孫さん?」

 祖父の名前を出されて、柚香は頷いた。

「はい、そうです。祖父をご存知なんですか?」

 三人目、黒のワンピースに水色のスカーフを巻いた細身の女性が言う。

「ええ。西川さんとは小学校が一緒だったのよ。五つ離れてるから、中学生になってからは疎遠になったんだけど……小学生のときはよく遊んでくれたものだわ。とても面倒見のいい方でねぇ……。運動会では応援団長を務めたりしてたから、よく覚えていたの。私たち三人ともお通夜にも行かせてもらったんだけど……もう亡くなってしまったなんて寂しいわね」