「はい、どうぞ」

 大型車はゆっくりと右折してししこまの前庭に進入した。男性は隅に車を駐めて、ドアを開けて下り立った。身長は獅狛より少し低い一七五センチくらいで、身につけている黒のスーツも、男性がチラッと視線を送った腕時計も高級品だ。立ち居振る舞いも洗練されていて、都会のやり手ビジネスマンといった雰囲気である。

 柚香が「いらっしゃいませ」と言ったときには、男性はもう格子戸を開けていた。

「ようお越しくださいました」という獅狛の声が聞こえ、柚香は出しっ放しにしていたほうきとちりとりを物置に片づけた。

 柚香が店内に戻ったときには、男性は窓際の席に座っていて、獅狛が彼にコーヒーはないことを伝えているところだった。

「じゃあ、いったいなにがあるの?」

 男性に急に視線を向けられ、柚香はドギマギしながら答える。

「あ、あの、今日は“金ゴマのブランマンジェ”を作りました。それに合うお茶をお出しできます」
「お茶? コーヒーではなく?」
「はい」

 柚香に続いて獅狛が言う。

「本日は穏やかな香りと上品な甘さの上級煎茶をお出しいたします」
「上級煎茶……」

 男性は指先でコツコツとテーブルを叩いた。コーヒーが飲めないことにいら立っているのかと思ったが、彼はテーブルを叩くのをやめて柚香を見た。

「じゃあ、それをいただくよ」
「はい?」

 思わずきょとんとする柚香に、彼がもう一度言う。

「だから、その金ゴマのブランマンジェと上級煎茶をいただきたい」
「あ、すみません。ただいま」

 柚香はバタバタと厨房に戻った。手を洗ってエプロンを着け、冷やしておいたブランマンジェにソースをかけた。隣では獅狛が丸い小ぶりの湯飲みを三つ出して、それぞれに湯を入れた。そして、急須に茶葉を入れ、湯飲みの湯を冷ましてからに静かに注ぐ。蓋をしてしばらく蒸らし、三つの湯飲みに廻し注ぎで均等に注ぎ切った。

「お待たせしました」

 柚香は塗り盆にブランマンジェと湯飲みをのせて、男性客のテーブルに運んだ。男性はノートパソコンを出してキーボードを叩いていたが、柚香が来たのに気づいてノートパソコンを閉じた。

「店の中には楠が生えてるし、メニューはお茶しかないし、ここってものすごく変わってるよね」

 男性に声をかけられ、柚香は小さな声で答える。

「はい、よく言われます……」
「キミ、なんでこんなところで働いてるの? まだ若いでしょ? 都会に出たいとか思わないの?」