涙の予感がして鼻の奥がつんと痛くなった。そのとき、広翔に投げつけられた言葉が唐突に耳に蘇る。
『おまえみたいなダサい女に俺が本気になるわけないだろ。キスするのだって苦痛だった。おまえなんかせいぜいアイデアの供給源だ。勘違いするな』
柚香の口元に苦い笑みが浮かんだ。
(私……ぜんぜん懲りてない)
獅狛に助けられ、居場所をもらえたことが嬉しかった。知らない間に彼に感謝以上の気持ちを抱くようになってしまった。けれど、獅狛にとったら、それは彼の犬を助けたことへのお礼だったのだろう。
そこまで考えて、あれ、と疑問が浮かんだ。
(あの白い大きな犬はいったいどこにいるんだろう?)
住み込みで働いているが、ししこまの店内でも庭でも、あの犬を一度も見かけたことがなければ、吠える声を聞いたこともない。獅狛や奏汰が散歩に連れていっている様子もない。
柚香は背後の狗守山を見上げた。中腹辺り、緑の木々の間に石の鳥居と瓦屋根が見える。
(もしかしたら神社で飼われているのかも……)
それなら、今まで姿が見えなくても納得だ。
だが、あの犬が人を――獅狛を――呼んできてくれたおかげで、柚香は助かったのだ。犬にお礼が言いたい、と思った。
(よし、会いに行こう!)
思い立ったが吉日、とばかりにほうきをそばの木に立てかけ、ちりとりを根元に置く。勇んで門から出ようとしたら、突然クラクションの音が響いた。
「きゃっ」
驚いて左側に顔を向けた直後、黒い大型自動車が目の前で停車した。フロントグリルに高級車のエンブレムがついている。
運転席の窓が下がり、三十代半ばくらいの男性が顔を出した。柚香は飛び出そうとしたことを責められるのだと思って、頭を下げた。
「ご、ごめんなさいっ」
「キミ、大丈夫? 怪我はない?」
思いもよらず気遣いの言葉が聞こえてきて、柚香はおそるおそる顔を上げた。男性はキリッとした眉を寄せて、心配そうに柚香を見ている。
「あ、はい。本当にすみません。不注意に道路に出ようとして……ご迷惑をおかけしました……」
「いや。キミに怪我がなかったんならいいんだ」
男性は窓を上げようとして、門扉横の木からぶら下がっている看板に目を留めた。
「お茶処ししこま、か。営業中?」
「あ、はい」
「一休みしていこう。中に駐車していいかな?」
『おまえみたいなダサい女に俺が本気になるわけないだろ。キスするのだって苦痛だった。おまえなんかせいぜいアイデアの供給源だ。勘違いするな』
柚香の口元に苦い笑みが浮かんだ。
(私……ぜんぜん懲りてない)
獅狛に助けられ、居場所をもらえたことが嬉しかった。知らない間に彼に感謝以上の気持ちを抱くようになってしまった。けれど、獅狛にとったら、それは彼の犬を助けたことへのお礼だったのだろう。
そこまで考えて、あれ、と疑問が浮かんだ。
(あの白い大きな犬はいったいどこにいるんだろう?)
住み込みで働いているが、ししこまの店内でも庭でも、あの犬を一度も見かけたことがなければ、吠える声を聞いたこともない。獅狛や奏汰が散歩に連れていっている様子もない。
柚香は背後の狗守山を見上げた。中腹辺り、緑の木々の間に石の鳥居と瓦屋根が見える。
(もしかしたら神社で飼われているのかも……)
それなら、今まで姿が見えなくても納得だ。
だが、あの犬が人を――獅狛を――呼んできてくれたおかげで、柚香は助かったのだ。犬にお礼が言いたい、と思った。
(よし、会いに行こう!)
思い立ったが吉日、とばかりにほうきをそばの木に立てかけ、ちりとりを根元に置く。勇んで門から出ようとしたら、突然クラクションの音が響いた。
「きゃっ」
驚いて左側に顔を向けた直後、黒い大型自動車が目の前で停車した。フロントグリルに高級車のエンブレムがついている。
運転席の窓が下がり、三十代半ばくらいの男性が顔を出した。柚香は飛び出そうとしたことを責められるのだと思って、頭を下げた。
「ご、ごめんなさいっ」
「キミ、大丈夫? 怪我はない?」
思いもよらず気遣いの言葉が聞こえてきて、柚香はおそるおそる顔を上げた。男性はキリッとした眉を寄せて、心配そうに柚香を見ている。
「あ、はい。本当にすみません。不注意に道路に出ようとして……ご迷惑をおかけしました……」
「いや。キミに怪我がなかったんならいいんだ」
男性は窓を上げようとして、門扉横の木からぶら下がっている看板に目を留めた。
「お茶処ししこま、か。営業中?」
「あ、はい」
「一休みしていこう。中に駐車していいかな?」