(どうしてあの事故は夢だったの……。この苦しみから逃れられると思ったのに……この世界から消えてなくなりたかったのに)
わあっと声を上げて泣き出したとき、戸襖を軽くノックする音が聞こえた。
「えっ」
ギョッとして柚香の涙が止まる。
ここは祖父母の家だ。祖父母は四年前に他界しているのだから、誰もいるはずがない。
だが、よくよく見ると、そこは真新しい畳の敷かれた見覚えのない六畳間だった。障子を通して淡い光が差し込んでいて、床の間には山水画の掛け軸が下がり、焦げ茶色の花瓶にススキが挿してあった。祖父母の家であるはずがない。
いったいどういうことなのか。
柚香は布団から出ると、戸襖から離れた壁際に身を寄せた。そして、警戒しながら言葉を発する。
「あ、あなたは誰ですか? ここはどこなんですかっ!?」
すると、戸襖の向こうから男性の声が返ってきた。
「お目覚めになられたようですね。開けてもよろしいですか?」
低く優しげで、心を落ち着かせてくれるような声だ。悪い人間の声には聞こえないが……なにしろ広翔の前例があるのだ。彼はどこからどう見ても洗練された完璧なイケメンパティシエだった。部下のアイデアや功績を平気で盗む女たらしという裏の顔を、巧妙に隠していたのだ。
「ちょっと待って! 開ける前に教えてください! ここはどこで、あなたは誰なんですか?」
すぐに返事が返ってくる。
「ここは私の家です。店舗兼用で、この下の一階は“お茶処 ししこま”になっています。私は……あなたに助けられたといいますか、助けたといいますか」
「助けた?」
柚香は首を傾げた。
「はい。昨日、田んぼに車ごと落ちたのは覚えておいでですか?」
「えっ」
柚香は両手を口元に当てた。
(あの事故は夢じゃなかったの!?)
「あの、あなたが私を車から助け出してくれたんですか?」
「はい。車もうちの庭に運んでおきました」
「犬がいませんでしたか? すごく大きな白い犬が」
「ええ、あなたのおかげで助かりました。あなたは恩人です」
戸襖の向こうから聞こえてきた言葉に、柚香は首を捻る。
「ということは、あの犬は……?」
「はい、私です」
「えっ!?」
聞き間違えたのだろうか? 犬がしゃべるはずがない。
柚香は一瞬固まったが、すぐに首を左右に振った。頭を打ったせいで、うまく言葉が理解できていないのかもしれない。
「ええと、あなたの犬だったんですよね。よかったです、無事で」
そう言ってから、柚香は違和感を覚えた。
自分は車ごと田んぼに落ちたのだ。それも横転して。背中だって頭だってしたたかぶつけた記憶がある。
わあっと声を上げて泣き出したとき、戸襖を軽くノックする音が聞こえた。
「えっ」
ギョッとして柚香の涙が止まる。
ここは祖父母の家だ。祖父母は四年前に他界しているのだから、誰もいるはずがない。
だが、よくよく見ると、そこは真新しい畳の敷かれた見覚えのない六畳間だった。障子を通して淡い光が差し込んでいて、床の間には山水画の掛け軸が下がり、焦げ茶色の花瓶にススキが挿してあった。祖父母の家であるはずがない。
いったいどういうことなのか。
柚香は布団から出ると、戸襖から離れた壁際に身を寄せた。そして、警戒しながら言葉を発する。
「あ、あなたは誰ですか? ここはどこなんですかっ!?」
すると、戸襖の向こうから男性の声が返ってきた。
「お目覚めになられたようですね。開けてもよろしいですか?」
低く優しげで、心を落ち着かせてくれるような声だ。悪い人間の声には聞こえないが……なにしろ広翔の前例があるのだ。彼はどこからどう見ても洗練された完璧なイケメンパティシエだった。部下のアイデアや功績を平気で盗む女たらしという裏の顔を、巧妙に隠していたのだ。
「ちょっと待って! 開ける前に教えてください! ここはどこで、あなたは誰なんですか?」
すぐに返事が返ってくる。
「ここは私の家です。店舗兼用で、この下の一階は“お茶処 ししこま”になっています。私は……あなたに助けられたといいますか、助けたといいますか」
「助けた?」
柚香は首を傾げた。
「はい。昨日、田んぼに車ごと落ちたのは覚えておいでですか?」
「えっ」
柚香は両手を口元に当てた。
(あの事故は夢じゃなかったの!?)
「あの、あなたが私を車から助け出してくれたんですか?」
「はい。車もうちの庭に運んでおきました」
「犬がいませんでしたか? すごく大きな白い犬が」
「ええ、あなたのおかげで助かりました。あなたは恩人です」
戸襖の向こうから聞こえてきた言葉に、柚香は首を捻る。
「ということは、あの犬は……?」
「はい、私です」
「えっ!?」
聞き間違えたのだろうか? 犬がしゃべるはずがない。
柚香は一瞬固まったが、すぐに首を左右に振った。頭を打ったせいで、うまく言葉が理解できていないのかもしれない。
「ええと、あなたの犬だったんですよね。よかったです、無事で」
そう言ってから、柚香は違和感を覚えた。
自分は車ごと田んぼに落ちたのだ。それも横転して。背中だって頭だってしたたかぶつけた記憶がある。