「あの、なにか……ケーキに不具合でも……?」
柚香がおそるおそる問いかけると、女性は首を左右に振った。
「いいえ、そうじゃないの。あの人と一緒に食べたヴィクトリアスポンジと同じ味だったから、嬉しくて」
「あの人?」
思わず訊き返してしまい、柚香は右手を口に当てた。女性は寂しそうに微笑んで柚香を見る。
「聞いてくださる? 私みたいなおばあさんの思い出話なんてつまらないでしょうけど……」
「つまらないなんてそんな……。ぜひ聞かせてください」
柚香は女性の前の席に腰を下ろした。
女性はべにふうき茶を一口飲んで話し始める。
「あの人と出会ったのは……今からずっとずっと遠い昔……何十年も昔のことなの。あの頃の私は、まだ十五歳だった……」
女性は懐かしそうに目を細めて続ける。
「父が貿易会社の重役で、私は母と一緒に、ロンドンに赴任する父についていったわ。そのとき、父の会社と取引のあった陶磁器メーカーの社長の息子さんと出会ったの。それが……あの人」
女性はアルバムに視線を動かした。開いたままのそのページには、背の高い細身の男性の写真が貼られていた。モノクロなので色はわからないが、襟のあるシャツに縦縞のベストとズボンを身につけ、中折れ帽を被っている。
「写真はこんなだけど、本当に美しい金色の髪をしていたのよ」
当時大学を卒業したばかりだった彼は、父親の仕事を手伝い始めたところだったという。立ち居振る舞いが紳士的で、彼女の目には新鮮に映った。話をしてみたいと思ったが、英語ができない彼女は、男性と会っても会釈をするだけだった。けれど、挨拶の言葉を覚えて、簡単な会話をするようになり……一生懸命な彼女に、彼は英語を教えてくれるようになった。そうしてふたりの距離が縮まり……いつしかお互い好意を抱くようになったのだ。
「でも、ダメだったの。あの時代、私たちの恋は許されないものだった……」
女性の目からぽろりと涙がこぼれた。彼女は左手を伸ばして、愛おしそうに写真を撫でる。
(今でもまだ……この人のことを……)
女性の切なさが伝わってきて、柚香の目に熱いものが込み上げてきた。そっと席を立って厨房に戻り、ケーキを一切れ皿にのせて、テーブル席に戻る。それを写真の男性の近くに置くと、獅狛が隣にべにふうき茶を並べた。
女性は顔を上げて柚香と獅狛を見た。
「ありがとう……」
その声は涙でかすれていて、柚香は目を潤ませながら頷いた。
柚香がおそるおそる問いかけると、女性は首を左右に振った。
「いいえ、そうじゃないの。あの人と一緒に食べたヴィクトリアスポンジと同じ味だったから、嬉しくて」
「あの人?」
思わず訊き返してしまい、柚香は右手を口に当てた。女性は寂しそうに微笑んで柚香を見る。
「聞いてくださる? 私みたいなおばあさんの思い出話なんてつまらないでしょうけど……」
「つまらないなんてそんな……。ぜひ聞かせてください」
柚香は女性の前の席に腰を下ろした。
女性はべにふうき茶を一口飲んで話し始める。
「あの人と出会ったのは……今からずっとずっと遠い昔……何十年も昔のことなの。あの頃の私は、まだ十五歳だった……」
女性は懐かしそうに目を細めて続ける。
「父が貿易会社の重役で、私は母と一緒に、ロンドンに赴任する父についていったわ。そのとき、父の会社と取引のあった陶磁器メーカーの社長の息子さんと出会ったの。それが……あの人」
女性はアルバムに視線を動かした。開いたままのそのページには、背の高い細身の男性の写真が貼られていた。モノクロなので色はわからないが、襟のあるシャツに縦縞のベストとズボンを身につけ、中折れ帽を被っている。
「写真はこんなだけど、本当に美しい金色の髪をしていたのよ」
当時大学を卒業したばかりだった彼は、父親の仕事を手伝い始めたところだったという。立ち居振る舞いが紳士的で、彼女の目には新鮮に映った。話をしてみたいと思ったが、英語ができない彼女は、男性と会っても会釈をするだけだった。けれど、挨拶の言葉を覚えて、簡単な会話をするようになり……一生懸命な彼女に、彼は英語を教えてくれるようになった。そうしてふたりの距離が縮まり……いつしかお互い好意を抱くようになったのだ。
「でも、ダメだったの。あの時代、私たちの恋は許されないものだった……」
女性の目からぽろりと涙がこぼれた。彼女は左手を伸ばして、愛おしそうに写真を撫でる。
(今でもまだ……この人のことを……)
女性の切なさが伝わってきて、柚香の目に熱いものが込み上げてきた。そっと席を立って厨房に戻り、ケーキを一切れ皿にのせて、テーブル席に戻る。それを写真の男性の近くに置くと、獅狛が隣にべにふうき茶を並べた。
女性は顔を上げて柚香と獅狛を見た。
「ありがとう……」
その声は涙でかすれていて、柚香は目を潤ませながら頷いた。