大変だっただろうな、休日はあるんだろうか、などと考えながら食事を済ませた。獅狛と店番を交代しようかと思って暖簾を掻き分けたら、獅狛は女性の前の席に座って、なにやら彼女と話をしている。客の姿は獅狛の陰になっていて見えず、ふたりの低い話し声は柚香の耳まで届かなかった。

「ああ、柚香さん」

 声をかけるより早く獅狛が気づいて柚香を見た。

「もう少しゆっくりしてくださって大丈夫ですよ」
「獅狛さんはご飯食べないんですか?」
「私はまだ構いません」

 どうやらふたりで話す方がいいようだ。

「わかりました」

 柚香は大人しく廊下を引き返して和室に戻った。

 獅狛は『狗守神社の関係者』だと言っていた。神職に就いている者として、女性から相談を受けているのかもしれない。

 和室にテレビはなく、目につくところに新聞も雑誌もなかった。仕方がないので二階に上がり、ネットニュースでも見ようとスマホを取り出した。だが、画面の上部に“圏外”と表示されていて目を丸くする。

(ええっ、ここってそんなに田舎だったっけ?)

 祖父母の三回忌に来たとき、祖父母の家ではスマホが使えた記憶がある。柚香は部屋の中をあちこち歩き、しまいには窓から顔を出してスマホを持った手を伸ばしてみたが、電波を拾うことはできなかった。

(信じられない……)

 けれど、さしあたって急いで連絡を取らなければならない相手はいない。ニュースを見るのは諦めて、オフラインで遊べるスマホゲームを始めた。だが、それにも飽きて、夜空の星座を探したり、暗い田んぼを眺めたりして時間を潰し、一階に下りた。ししこまに戻ると、獅狛は厨房の中の椅子に座っていた。

 相談事はもう終わったようだ。

「ケーキを切りますね」

 柚香が声をかけ、獅狛は「では、新しいお茶を入れましょう」と椅子から立ち上がった。女性客はアルバムから顔を上げて柚香を見た。来たときとは違って、その目は期待するような色を浮かべている。

(思い出の味に近いといいんだけど……)

 柚香は女性の視線を感じて緊張しながらケーキを切り分け、陶器の皿にのせた。隣では獅狛が白い急須から琥珀色のお茶を湯飲みに注いでいる。ほうじ茶かと思ったが、香りが違う。花のような甘く優しい香りが立ち上っている。

「ほうじ茶……ではないですよね?」

 柚香の問いかけに、獅狛が頷いて答える。