「あの……ヴィクトリアスポンジを作っていただけないかしら」
「ヴィクトリアスポンジ?」

 柚香は首を傾げた。スイーツは大好きで、いろいろなスイーツについて勉強したが、ピンと来るものはなかった。

「父の仕事でロンドンにいたときに食べたケーキなんです。なんでも、すごく伝統的なケーキだとか……」

 女性の言葉を聞いて、柚香は「あっ」と思いついた。

「もしかしてヴィクトリアサンドイッチケーキのことでしょうか? スポンジケーキの間に甘酸っぱいジャムがサンドされていて、表面にパウダーシュガーが振ってありませんでしたか?」

 柚香の言葉を聞いて、女性がパチンと両手を合わせた。彼女の顔が大きくほころぶ。

「ええ、そう! それだわ!」

 ヴィクトリアサンドイッチケーキは、その名の通り、一八三七年から一九〇一年に在位した大英帝国のヴィクトリア女王にちなんでいる。最愛の夫であるアルバート公が亡くなり、悲しみに沈む女王を慰めるために作られた、とも言われているケーキだ。卵をしっかりと泡立てて作る日本のふわふわしたスポンジケーキと違って、生地はしっとりとして重みがある。

「材料は揃っていますのでお作りすることはできますが……焼く時間と冷ます時間が必要で、二時間近くお待たせすることになってしまいます」

 柚香はスイーツ作りが好きだから、こんな時間から作らなければならないのだとしても、ぜんぜん苦ではない。しかし、二時間も待たせるのは気が引ける。

 だが、女性の気持ちは揺るがないようだ。

「構いません。もう一度、思い出の味を食べられるのなら、何時間でも待ちます」

 女性の声には必死さが滲んでいた。獅狛を見ると、彼が頷き、柚香は引き受けることにした。

「わかりました。お作りしますね」
「お願いします」

 柚香は女性の声を聞きながらエプロンを着け、すばやく作業に取りかかる。

 まずはボウルにバターを入れてグラニュー糖を加え、泡立て器で白っぽくなるまですり混ぜた。続いて、溶きほぐした卵を少しずつ加えながら、分離しないようにてばやく泡立て器を動かす。そこに小麦粉とベーキングパウダーを合わせて振り入れ、今度はゴムベラで切るように混ぜ合わせた。そうしてできあがった生地を、バターを塗ったふたつのケーキ型に流し入れ、表面を平らにならして、予熱したオーブンで焼く。