「サラリーマンやって農業やって……。なんでわざわざそんな大変なことをするんだろうな。俺にはまったく理解できないね」

 その小バカにしたような言い方にいら立ちを覚えて、柚香は思わず口を開いた。

「奏汰さんも飯塚さんのお話を聞いてたんでしょう?」
「聞いてたよ。だからこそ、そう思うんだ。しんどいってわかってることに自分から飛び込むなんてどうかしてる。俺はできるだけ楽して生きたい」
「飯塚さんは奥さんと娘さんがいるって言ってました。都会で会社員として働くのは家族のためで、お米を作るのはお母さんのためだって」
「じゃあ、自分のことはどうすんの? なにを楽しみに毎日働くんだ? あくせく働いて、でも、それは家族のため。なんで自分がそこまで犠牲にならなくちゃいけない? 家族のためだって思ってても、そんなのは独りよがりかもしれないじゃないか」
「そんなことは……」

 ないと思います、と言いかけた柚香の声に、奏汰が言葉を被せる。

「一生懸命やったって空回りする。そのくらいなら、ひとりの方が気楽だ。回りのことなんて気にしたくない。実際、家族だって俺が出ていってせいせいしたって思ってるかもしれないし」

 奏汰が飯塚のことではなく、彼自身の気持ちを語っていることに柚香は気づいた。

「奏汰さん……」
「柚香ちゃんだってそう思わないか?」

 奏汰に問われて、柚香は言葉に詰まった。この一ヵ月間の両親と姉とのやりとりを思い出したからだ。急に仕事を辞めて、なかなか再就職先が見つからないことを、『少しぐらい嫌なことがあったからって、すぐに仕事を辞めてどうするんだ』と怒られたり、『急にクビになるなんて、なにをしたの? 親にも言えないようなことなの?』と責められたりした。けれど、本当の理由は言いたくなかったし、言えるはずもなかった。そんな柚香を両親や姉は疎ましく感じていたかもしれない。

(お母さんもお父さんもお姉ちゃんも……私がいなくなってせいせいしたって……思ってるかもしれないんだ……)

 柚香が黙り込み、奏汰は吐き捨てるように言う。

「俺は所詮、跡取りのスペアだ。跡取りが健在だったら用なしだ。跡取りは頭脳明晰で、よくできた嫁をもらって息子も授かった。対する俺はなにをやったって人並み以下。顔しか取り柄のない出来損ない。連れて歩けば自慢できるって程度だ。誰も俺の中身なんか求めちゃいない。本当の意味では誰も俺を必要としていないんだよっ」

 奏汰がパッと立ち上がって、大股で出入口に向かった。

 境遇や理由は違うけれど、彼も柚香と同じように傷ついていたのだ。軽い言動の下に、傷ついた心を隠していたのかもしれない。

(このまま奏汰さんをひとりにしちゃいけない!)

 奏汰が格子戸を開けて出ていこうとするので、柚香は彼に駆け寄ってその左腕にしがみついた。