右手を軽く挙げたその男性は、二十代半ばくらいだった。長めの明るい茶髪をカジュアルに散らしていて、くっきりした目ときれいな形の唇が印象的だ。甘い顔立ちのイケメンで、胸元にブランドのロゴがプリントされたライトグレーのパーカーとジーンズ、スニーカーというカジュアルな格好だったが、ラフな中にも洗練された雰囲気がある。

(お手伝いの人って言ってたけど……思ったよりも若いな。お客さまじゃないから、“いらっしゃいませ”って言うのは変だよね、“こんにちは”でいいのかな)

 しかし、柚香が言葉を発するより早く、獅狛が言う。

「奏汰(かなた)さん。予想よりずいぶんお早いおいでですね」

 奏汰と呼ばれた男性は、柚香を見て、「ああ」とつぶやくような声を出した。

「彼女が迷える子羊ちゃんってわけか」

 柚香は眉を寄せた。『迷える子羊』とはいったいどういうことなのか?

「それはつまり……私に居場所がないって意味ですか?」
「居場所がないっていうか、だって、キミ」
「奏汰さん」

 獅狛は厳しい口調で奏汰の言葉を遮った。獅狛の険しい表情を見て、奏汰はぺろりと舌を出し、柚香に顔を向ける。

「いや、ごめんごめん。ちょっとデリカシーがなかったね」
「いえ……いいです。本当のことですし」
「柚香さん、すみません。協力してもらうために、柚香さんのことを少々彼に説明しました。私ひとりでは難しいこともありますので」

 獅狛に謝られて恐縮し、柚香は口の中でもごもごと言う。

「そんな……ご迷惑をおかけしているのは私の方ですから……」
「そんなふうにおっしゃらないでください。私は迷惑だなんて思っていませんから」

 獅狛が困った顔をしたとき、奏汰が明るい口調で言葉を挟んだ。

「ま、細かいことは気にしないでよ。柚香ちゃん……だっけ? 俺、成尊路(せいそんじ)奏汰って言うんだ。成尊路って知ってるかな? この辺りで代々続く旧家だよ。親父は狗守神社の神主で、俺はその次男坊。跡取りは兄貴だから、俺はお気楽な人生を満喫してたんだ。それなのに、今じゃ獅狛さんにこき使われているただのなんでも屋だよ。ま、短い間だろうけど、よろしくね」

 彼の最後の言葉が引っかかった。

「短い間って……近々お辞めになるんですか?」
「いや、俺は辞めないよ」

 じゃあ、いったいどういう意味だろう、と思う柚香に、奏汰がカウンター越しに右手を差し出した。

「ま、とにかくよろしく」

 握手を求められ、柚香は近づいておずおずと彼の右手を握った。

「……こちらこそ、よろしくお願いします」

 柚香は手を放そうとしたが、奏汰は「ふぅん」と言いながら、柚香の手をギュッギュッと握った。

「なっ」

 柚香は驚いて手を引っ込めようとしたが、奏汰は柚香の手を放さない。