「子どもの頃、祖母にほうじ茶は熱めのお湯で淹れるといいって聞いたことがあります」
「そうですね、九十度から百度がいいと言われていますね。ほうじ茶は、お茶の葉を褐色になるまで焙(ほう)じて作られているので、その名がついたらしいですよ」
「それは知りませんでした!」
「それに、ほうじ茶の特徴的な香りにはリラックス効果もあるそうです」
「さすが、お茶処を経営しているだけありますね~」

 柚香は感心して言った。獅狛は小さく微笑む。

「柚香さんにリラックスしてもらえたらと思って、このお茶をお出ししたのです」

 獅狛の言葉を聞いて、柚香は昨日までの絶望的な気持ちを思い出した。柚香の表情が曇ったのに気づいて、獅狛の表情が悲しげに歪む。

「すみません。せっかく落ち着いてらしたのに、思い出させるようなことを言って」

 柚香は首を左右に振って笑顔を作った。

「いいえ。またこうしてスイーツを作ることができて、すごく嬉しいんです」

 柚香は「お茶、ありがとうございました」と礼を言って厨房に回り、ケーキを型から出した。腕時計を見ると、三時半を回っている。

(ティータイムだけど、お客さまはまだ来ないのかな……)

 そんなことを思いながら、ケーキが冷めるのを待つ。

 パティスリーで働いていたときは、こんなふうにひとつのスイーツにゆっくり時間をかける余裕なんてなかった。とくに開店前は忙しく、必死で決められた分量のスイーツを作ることに集中していた。それに、いったん開店すれば、人気パティスリーだけあって、客がひっきりなしに訪れるのだ。

 ふと顔を上げると、厨房の格子窓の向こうに森が広がっているのが見えた。鳥の鳴き声がして、のんびりと時間が流れていく。

 ししこまだけ、忙しい日常から切り離されているかのようだ。

(ここが都会から離れた田舎町だからってこともあるのかもしれないけど……)

 そんなことを思ったとき、店の格子戸が開くカラカラと軽い音がして、「こんにちは~」という年配の女性の声が聞こえてきた。振り返ると、七十代くらいの女性が三人、わいわい言いながら入ってくる。

「あらぁ! なんだかいいにおいがするわ!」
「ししこまでこんな甘い匂いがしたのは初めてよねぇ」
「今日は焼き菓子もいただけるの?」

 一度に三人も来店し、柚香の体に緊張が走った。パティスリーで働いていたときは、ずっと厨房で作業をしていたので、客の姿を見るのはいつもガラス窓越しだった。だから、接客はおろか、直接話をしたことすらなかったのだ。

 獅狛が立ち上がって三人を迎える。