お菓子作りは壊滅的にダメだと言っていた割に、ししこまの厨房の冷蔵庫や棚には、さまざまな食材が揃っていた。小麦粉やベーキングパウダー、無塩バターや生クリームのほかに、グラニュー糖やきび砂糖、パウダーシュガーなどの多彩な砂糖類、クルミやアーモンドなどのナッツ類、シナモンなどのスパイス類、ブランデーやコアントローなどお菓子作りに使える洋酒類……。

(これだけあればほとんどなんでも作れそう!)

 柚香は獅狛が貸してくれたグレーのエプロンを着けて厨房に立った。ししこまの厨房は、勤めていたパティスリーのものよりずっと狭かったが、実家のキッチンよりは広く、ゆとりを持って作業することができそうだ。

 獅狛がいつも丁寧に磨いているのだろう。きれいに磨かれたシンクの前に立つと、自然と気持ちが引き締まる。

 柚香は小ぶりの洋包丁、ペティナイフを手に取った。狗守山で採れたという柿の皮をするすると剥き、ざく切りにする。続いて鍋に水とブランデー、きび砂糖とレモン汁を入れて沸騰させ、柿を加えて弱火で煮込んでコンポートを作った。

 コンポートの粗熱が取れるのを待つ間、生地作りに取りかかる。まずは室温に戻して柔らかくしたバターをボウルで練り、きび砂糖を加えてさらに混ぜた。そこに溶きほぐした卵を少しずつ加えて、分離しないようによく混ぜる。小麦粉とベーキングパウダーを合わせて振るい入れ、獅狛が細かい粉末に挽いてくれたほうじ茶も加えて、ヘラでさっくりと混ぜた。そこへ粗く刻んだクルミと冷めた柿のコンポートを入れて軽く混ぜ合わせる。これで生地はできあがりだ。パウンドケーキ型の内側に薄くバターを塗り、そこに流し入れて、あとは予熱したオーブンで焼くだけ。

 ふたつの型をオーブンに入れて扉を閉めたとき、座って柚香の作業を見ていた獅狛に声をかけられた。

「とても楽しみです」

 振り返ると、獅狛はカウンター席で背筋を伸ばして座っている。その凛とした姿勢のせいか、彼の周囲には厳かとも言える雰囲気が漂っていた。

「柿とほうじ茶とクルミでパウンドケーキを作るのは初めてなんですけど……おいしいと思います」
「経験からですか?」

 獅狛に問われて、柚香は目を伏せて答える。

「経験というか……勘というか」

 製菓専門学校を卒業してから三年しか経っていないのに、『勘』なんて言うのはおこがましいかと思ったが、獅狛は感心したような声を出した。