できあがりを想像したとたん、柚香は心がうずうずしてくるのを感じた。

(作りたい! 作りたくてたまらない!)

 思わず椅子から立ち上がった。

 祖父母の家に行けば、ボウルや泡立て器くらいはあるだろう。

 そこまで考えてハッとした。焼き上げるためのオーブンがないのだ。祖父母の家にあったのは、温め機能しかない電子レンジだけだった……。

 そのことを思い出して柚香は全身から力が抜け、椅子に腰を落とした。

 パティスリーで働いていたら、いつでもアイデアを形にすることができた。広翔に話したら、『じゃあ、作ってごらん』と背中を押してくれた。でも、おいしいスイーツができて、ショーケースに並んだときには、なぜかいつも“当店の人気スーパティシエが考案!”というポップが貼られていたのだけれど……。

 この一ヵ月の心と体の疲労を一気に思い出し、柚香はうつむいた。目にじわじわと熱いものが滲んできて、すん、と鼻を鳴らす。

「どうぞ」

 目の前にすっと紺色のハンカチが差し出され、柚香はチラッと視線を上げた。カウンターの向こうでは、獅狛が思いやりのこもった表情で柚香を見つめている。

 そんなふうに優しく誰かに見つめられたのは……いつ以来だろう。急に仕事を辞めた娘が、いつまでも再就職に手間取っているのを見て、両親も姉もいい顔をしなかった……。

「わ……たしっ」

 口を開いたとたん、目から涙がポロポロとこぼれた。スイーツを作りたいのに作れない。そのことが悲しくて悔しくて……ただただ涙がこぼれた。

「柚香さんはまだ泣いてなかったんですね」

 獅狛が静かにカウンターを回って、柚香の隣の椅子に腰を下ろした。そうして柚香の背中に両手を回して、彼女をふわりと抱き寄せる。

「……っ」

 初対面の男性に抱きしめられて、柚香はビクリと体を震わせた。

「怖がらなくて大丈夫です。私はあなたを傷つけたりしません」

 獅狛の低く温かな声が耳元で言った。彼の胸の中はとても温かくて、森の緑と秋のお日さまの温もりが交じったような不思議な匂いがした。

 彼の言葉の通り、この人はきっと私を傷つけたりしない。そんな安心感に押されるように、柚香の喉から泣き声がこぼれる。

「う……わぁあああ……」

 ずっと押し込めていたやり場のない思いがあふれ出し、柚香は泣きながら広翔のことを話していた。

「私……っ、ずっとずっと広翔さんに憧れてました。かっこよくて優しくて才能があって……。好きだったのに……大切な人だと思ってたのに……」