柚香はのろのろと顔を上げた。獅狛が柚香の右側を手で示し、そこに食事がのった塗り盆が置かれているのに気づいた。瀬戸物の茶碗にはご飯が盛られ、キノコがたっぷり入った味噌汁と高野豆腐と根菜類の煮物、水菜のぬたなど、精進料理のようなメニューが並んでいる。

「すみません、私はあまり料理をしないもので、このくらいしかご用意できません」

 獅狛が申し訳なさそうな表情になり、柚香は慌てて姿勢を正す。

「そんな! 謝るとしたら私の方です! 助けていただいた上に昼食までごちそうになるのですから……」
「味噌汁以外は作り置きのものばかりです。お口に合えばいいのですが……」

 獅狛が心配そうに言った。彼はここでは『普段お茶しかお出ししていません』と話していた。あまり料理をしないのだろう。それなのにわざわざ作ってくれたのだ。

「ありがとうございます。では、遠慮なく」

 柚香は両手を合わせて「いただきます」と言い、箸を取り上げた。白米はふっくらと炊きあげられて、ほんのりと甘味があり、味噌汁はキノコの香りが高く、体にじんわりと染み込んでくる。煮物もぬたも、素朴ながら優しい味付けだ。

「おいしいです」

 この一ヵ月、今までなにを食べても味がしなかった。それなのに、獅狛が作ってくれた料理は、体の隅々に滋養となって染み渡っていくような気がする。

「よかった」

 獅狛がホッとしたように言った。

 店内はとても静かで、ときおり楠の葉が触れ合うようなかすかな音がする。『早く仕事を見つけなさい』と小言を言われることもない。久しぶりの落ち着いた食卓だ。

 やがて食事を終えて、柚香はそっと箸を置いた。

「ごちそうさまでした。本当においしかったです」

 獅狛はカウンターの向こうで急須のお茶を湯飲みに注いでいたが、顔を上げて柚香を見た。

「そう言ってもらえて安心しました。料理には自信がないもので」
「えっ、でも、しっかり出汁を取っていたように思ったのですが」

 獅狛は照れたように微笑んだ。

「はい。でも、なんとかのひとつ覚えのようなものです。ですので、ししこまではお茶しかお出ししていないのです」

 柚香は首を傾げながら言う。

「ししこまはお茶処……つまりカフェなんですよね?」

 柚香の言葉を聞いて、獅狛は静かに笑みをこぼした。

「カフェとはしゃれた言い方ですね。残念ながら、うちで出せるのはせいぜい果物くらいです」

 獅狛はカウンターの向こうから手を伸ばして、柚香の前に白い湯飲みと皮を剥いて切った柿を置いた。

「食後に柿とししこま特製のほうじ茶をどうぞ」
「ありがとうございます」