「じゃあ、そろそろ帰ります」という深川先輩の声に続いて
「あ、真堂君、送って行ってあげてね」と紗枝さんの声。再び既視感である。
 だけど、今度は――
 店を出ると、いつものように先に歩き出した深川先輩が、後ろ手を組んで、空を見上げる。
「今夜は満月なのに、残念だわ。でも、もうちょっとで雲が切れる――はず、よね?」と、深川先輩は言いよどんだ。下あごに指を当てて、何やら首を傾げる。
「そう言えば――」と僕は言いかけて、首を振る。もう大丈夫だ。ちゃんと覚えている。そこで、「そういえば」のついでに思い出したことを聞いてみる。
「西川さんを知っているんですか?」
 あの再実験の現場でそんなそぶりがあったし、いくら深川先輩が美人でも、さすがに、微笑んだだけで彼の積年の極悪な猛邪気を払う、なんていう離れ業ができるとは思えなかったのだ。そんな芸当ができそうなのは、僕の知る限りはサークルの看板バンドの四年生の先輩くらいかな。何せ、伝説では――と、やめよう。今は関係ない。
 すると、「同じゼミなのよ」と、深川先輩はあっさりそう答える。思った通り、以前からの顔見知りだったのである。
 深川先輩は意外な裏情報を話してくれた。あの夜、あの現場に深川先輩が通りかかったこと、あれは凄い偶然だと思っていたのだけれど、実はマスターから情報を吹き込まれていたらしいのだ。あの夜は今夜のライブのリハーサルでMoonBeamsを訪れていたのだと言う。フルートを持っていたのはそのためだった。その際、マスターに「真堂君達が近くで楽しそうな事やってるから、帰りに覗いてみな」と、そそのかされたんだそう。それでタイミング良く? 運悪く? 現場に遭遇したというわけであった。確かに。あの日の前日、奈緒さんのリクエストで、事前の打ち合わせをMoonBeamsで行っていたのである。