「フォークソング同好会」――僕が所属している、大学のサークルである。
文字通りフォークソングが全盛期の頃に発足したが、そのブームが去った今日では、ハードロックに代表される、バンド形態での様々なジャンルの音楽がサークル内の主流となっていて、肝心のフォークソングの歌い手は極少数派である。その名称は名ばかり、看板に偽りありで、実態は「ちょっと重めの軽音楽同好会」といった感じなのであった。そうとは知らずに入った僕は、最初ちょっと戸惑ったのは確かである。正式な部ではなく公認サークルだが、総勢五十人は下らない規模の――幽霊会員や非常勤会員、助っ人など、身分の定かでないメンバーも多数の――大所帯であった。
人見知りでこんな声のくせに、こんな大所帯の音楽活動サークルなんかに入って、弾き語りをやっているのは自分でも不思議だ。高校時代の唯一の趣味だったフォークギターを続けたかったのが表立った動機ではあるのだが、もしかすると声についても、コンプレックスを逆手にとって克服できるのではないか、という希望的思い込みがなかったとは言えない。ただ、その点に関する限り現実の壁はしく、一年経った今でも克服の糸口さえつかめていない。
ずっと悩んでいたのは自分の歌声だった。傍から見ると、そんなこと気にならないよ、と思われるかもしれないようなことが、本人にとっては深刻な問題だったりするのである。本当は、もっと前から弾き語りをやりたかった。憧れていたのだ。元々フォークギターを始めたきっかけが「木洩れ日」だったから。
「木洩れ日」はあまり表立っては売れなかった、男性二人のフォークデュオのユニットである。フォークギターのイントロや伴奏が印象的な楽曲が多く、それで、まずフォークギターに興味を持った。中学三年の時だった。そして、少しギターが弾けるようになると、「木洩れ日」のようにフォークギターで弾き語りをやってみたい、と自然に思うようになったのだ。
でも、その歌こそがネックなのであった。当たり前だが歌は声を使う。そう、声だ。何かを始めようとするとたいていの場合、この問題に行き当たる。避けては通れない壁として僕の前に立ちはだかる。僕にとって、声とはそれほど根源的で宿命的な厄介事なのである。
それで高校時代は苦しんだ。学園祭とかの表舞台に出ようという、最初の一歩さえ踏み出すことができず、でもそのことを妄想しては一人でギターばかり弾いていた。勇気が出なかった。
「そんな声で歌えるの?」「コミックソングか?」弾き語りをやっている素振りを見せると、そんな言葉が即刻飛んで来たのだ。他意のないからかいだとしても、それは暴力的に刺さった。現状、撥ねつけることもできない実力のなさ、弱さに、歯噛みするしかなかった。せめて人並みの声で歌えたら――そのレベルのことが、果てしなく遠い高校時代だったのだ。
ただ、何もしていなかったわけではなく、実は密かに歌の練習はしていた。独学でボイストレーニングや、合唱部の友人に呼吸や発声を指導してもらったりもした。だから、単に「歌う」こと自体はできる。でも、基礎以前の、何か根本的な部分が違っている感覚がどうしてもぬぐえず、人前で歌う気にはなれなかった。イメージしているようには歌えないというか、自分の声で歌うということに、それを聴く側に立った自分が受け入れることが出来ない状態だったのだ。
このまま行動しなければ何も変わらないと思い、大学入学を機に、一歩を踏み出そうと決意したのであるが――
文字通りフォークソングが全盛期の頃に発足したが、そのブームが去った今日では、ハードロックに代表される、バンド形態での様々なジャンルの音楽がサークル内の主流となっていて、肝心のフォークソングの歌い手は極少数派である。その名称は名ばかり、看板に偽りありで、実態は「ちょっと重めの軽音楽同好会」といった感じなのであった。そうとは知らずに入った僕は、最初ちょっと戸惑ったのは確かである。正式な部ではなく公認サークルだが、総勢五十人は下らない規模の――幽霊会員や非常勤会員、助っ人など、身分の定かでないメンバーも多数の――大所帯であった。
人見知りでこんな声のくせに、こんな大所帯の音楽活動サークルなんかに入って、弾き語りをやっているのは自分でも不思議だ。高校時代の唯一の趣味だったフォークギターを続けたかったのが表立った動機ではあるのだが、もしかすると声についても、コンプレックスを逆手にとって克服できるのではないか、という希望的思い込みがなかったとは言えない。ただ、その点に関する限り現実の壁はしく、一年経った今でも克服の糸口さえつかめていない。
ずっと悩んでいたのは自分の歌声だった。傍から見ると、そんなこと気にならないよ、と思われるかもしれないようなことが、本人にとっては深刻な問題だったりするのである。本当は、もっと前から弾き語りをやりたかった。憧れていたのだ。元々フォークギターを始めたきっかけが「木洩れ日」だったから。
「木洩れ日」はあまり表立っては売れなかった、男性二人のフォークデュオのユニットである。フォークギターのイントロや伴奏が印象的な楽曲が多く、それで、まずフォークギターに興味を持った。中学三年の時だった。そして、少しギターが弾けるようになると、「木洩れ日」のようにフォークギターで弾き語りをやってみたい、と自然に思うようになったのだ。
でも、その歌こそがネックなのであった。当たり前だが歌は声を使う。そう、声だ。何かを始めようとするとたいていの場合、この問題に行き当たる。避けては通れない壁として僕の前に立ちはだかる。僕にとって、声とはそれほど根源的で宿命的な厄介事なのである。
それで高校時代は苦しんだ。学園祭とかの表舞台に出ようという、最初の一歩さえ踏み出すことができず、でもそのことを妄想しては一人でギターばかり弾いていた。勇気が出なかった。
「そんな声で歌えるの?」「コミックソングか?」弾き語りをやっている素振りを見せると、そんな言葉が即刻飛んで来たのだ。他意のないからかいだとしても、それは暴力的に刺さった。現状、撥ねつけることもできない実力のなさ、弱さに、歯噛みするしかなかった。せめて人並みの声で歌えたら――そのレベルのことが、果てしなく遠い高校時代だったのだ。
ただ、何もしていなかったわけではなく、実は密かに歌の練習はしていた。独学でボイストレーニングや、合唱部の友人に呼吸や発声を指導してもらったりもした。だから、単に「歌う」こと自体はできる。でも、基礎以前の、何か根本的な部分が違っている感覚がどうしてもぬぐえず、人前で歌う気にはなれなかった。イメージしているようには歌えないというか、自分の声で歌うということに、それを聴く側に立った自分が受け入れることが出来ない状態だったのだ。
このまま行動しなければ何も変わらないと思い、大学入学を機に、一歩を踏み出そうと決意したのであるが――