月の光と袋小路の先の木洩れ日

 実は、僕の声も相当に特徴的なのである。常日頃から、声が変だと言われ続けている。ヘリウムガスを吸った声、テレビの匿名で音声を変えた声――事あるごとに散々言われる。誰かと知り合った最初の頃なんかは特に。よくもまあ、という感じの言ってくれようだが、それぞれの指摘が感心するほどに的確なことは自覚もあって、録音された自分の声などを聴くといたたまれなくて死にたくなる程である。誰でも、録音した自分の声に違和感がある、嫌いだ、という思いをある程度は持つと思うけれど、僕の場合、その感じ方がより激しいのかもしれない。
 何より切実なのは、声が通らないことだった。普通に話しかけても聞き返されることがよくある。騒がしい場所だと、まずまともに聞き取ってもらえず、授業中の発言や食事の時の注文の時などは、いつも苦労するのだ。
 何人かで会話をしている時、僕の話の途中で割り込まれると、もうその後は話を続けられない。逆に、割って入ることは難しく、発言権を取り戻せないのだ。そうなると黙っているか、話を振られるまで待つしかない。必然的にそういう場は苦手になり、多人数相手では声を気にするあまり、うまく話せないようになってしまった。一対一の時は良いのだけれど。
 何とか聞き取ってもらうには無理に喉を閉めて絞り出すように「がなる」しかなく、これがますます変な声の深みに嵌まる悪循環になっているのだ。
 小さい頃の声が異様に高かったことが、そもそもの始まりなのだと思う。当時は、超音波とか宇宙人とか言われていた。黙っていたくても、話さなければコミュニケーションが出来ないわけで、何かの風向きが変わる度に、そのことに触れられ、からかわれ続けていたのだ。
 それが嫌で嫌でたまらなかったのだが、変声期を機に、低い声が出るようになった時はどれほど嬉しかったことか!
 ただ、どういう訳かその代償に、というか――僕はなんとなくそう理解しているのだが――今のおかしな声質も固定されてしまったのである。それに、低い声とはいっても、あくまでそれ以前の自分の声に対して相対的に、ということで、同時期に周りの男子は更に低い声になったので、僕の声は「男としては高い」ことに変わりはなかった。それでも、以前は「女子と比べても高い」だったので、僕としてはある程度(・・・・)は男声の音域に近付けたことでも十分満足だったのだ。だから、それと引き換えに変な通らない声質も受け入れろ、ということなら、まあ、それは仕方のないことかなと思ったのである。
 そんな事情もあって、騒がしさが必然となる人混み自体も大の苦手なのである。そういう場所で何か声を発しても、騒めきの壁に吸い込まれるように、僕の声は一切返ってこない。無響室の壁に声をぶつけているかのように、自分の体の中への響きだけが残る。その場にいながら、自分だけ隔離されてしまったような感覚になってしまうのだ。縁日の公園を迂回しようとしたのは、そういう潜在的理由もあってのことなのだが。
 何だ、今のは――
 僕は叫んだ体制のまま呆然(ぼうぜん)としていた。たった今起きた出来事を理解しきれずに。謎の男に襲われたことではなく、その後に発した自分自身の声に衝撃を受けたのだった。
 静かな場所ではあるが、確かに、ちゃんと通る声だった。今までこんな声を出せたことはない。でも――大声を発した手応えがまるでなかった。いつもなら一発で喉が潰れるはず。するっと、口の手前にある空気砲を鋭く発射したかのように、声はそこから出たのだった。何とも不思議な感触だった。
 ただ、音程が高い。一般男性の音域ではない。もうちょっと音程が低ければ使えるのに。

 やや暫くの静寂の後、浴衣姿の女子二人組がクスクスと笑いながら、ここに誰も見えていないかのように何事もなく通り過ぎて行く。
 「新手のパフォーマンス――」「演劇の稽古――」やがて遠ざかる足音に混ざってそんな声がかすかに届いてきた。
 演劇? ああ、そうか。これはまるで出来の悪い学園祭の劇の一場面のようだ。そんなふうに見られたことに逆に安心した。変に騒がれたり心配でもされたら面倒なことになる。そう、自分でもまだ何一つ理解ができていないのだ。だいたい、原因は――
 我に返る。すっかり忘れていた。ここまで思い巡ってやっと、元凶と言うべき男の存在に意識が至った。
 見ると、ケムール人男も尻餅をついたまま、天を仰いでいた。前身頃が半分はだけてパンツ一丁のあられなき姿。相当に間抜けである。この男、少なくとも「危険」という意味での恐い存在ではなさそうだ。むしろ違う意味での底知れぬ恐さというか、興味が湧いてきそうになる。
 つかつかと歩み寄ると、尻餅をついたままの男が、気の抜けた車内アナウンスのような声を発した。
「こ、腰が抜けた――」と男は首を左右に伸ばしながら腰をさすっている。
「受けるどころか、怒鳴られるとは」
「受ける?」と僕は思わず聞き返す。どういうことだ。
「実証実験、というか、喜んでもらおうと」
 釈明にならない釈明をした男はうなだれながら、続けて消え入るようにつぶやいた。
「絶対、面白いと思ったんだけどなぁ」
「……」
 何だか、言っていることもよくわからないけれど、一つだけはっきりしている。全く、まったく(×100)面白くなかった! どこがどう面白いと考えて、この一連の行為に及んだのか! 最初の目撃以来、腹の底に積もりに積もっていた一連の「腑に落ちなさ」みたいなものと、不条理さが合わさったものが、怒りの感情になって込み上げてきた。
「だいたい――」
 一般常識から見ても、色々外れ過ぎていた。百歩譲って、不条理さと紙一重の面白さを狙ったのだとしても、ことごとくが「アウト」側に逸脱し過ぎている。そんな思いが僕にしては珍しく声になった。
「その恰好は何だ? わざわざ交番の近くで痴漢? それに、そのナイフ、言い訳無用で捕まるぞ。言ってるセリフも意味が分からないし、あと、なぜよりによってケムール人? 誰が知っていると? そもそも狙いは何――」
 自分でも驚くほど、思いつくまま、矢継ぎ早に言葉が紡がれていた。それにしても――あ、やっぱり声が出ている。先刻と同じ、ハイトーンの声だ。思い違いではなかったらしい。

 気が付くと、男が体育座りでお面越しにじっとこちらを見ていた。
「まあ、いいか」
 何をやっているんだ。僕は――そう、先を急いでいるのを思い出した。
「こうしちゃいられない」
 まだこちらを見ているらしい男から視線を外して、前方の暗がりへ向けて再び歩き出す。少なくとも、この先が行き止まりではないことはわかった。どこでもいい、早くここを離れよう。不格好な笑いの神の成りそこないみたいな奴に足止めを食らってしまった。悪夢と鉢合わせした気分でもある。こういうのは即刻無かったことにしてしまうに限る!
 ところが、背中から再び、電車のアナウンスが呼びかけてきた。
「待ってください!」
 声の調子が哀願の色を帯びていた。その気はなかったけれど、足が止まった。
「何?」
「落とし物――」と言って、長方形の物を頭上で振っている。まだやっているのか。
「って、あ、これ、僕の財布だ」
 そこだけ声が「素」だった。
 石を投げつけたい衝動を抑えて、僕は今度こそ闇の中へ突き進んだ。一瞬でも気を惹かれた自分に腹が立つ。でも、今のが一番面白かったかな――あくまで相対的に、だけれど。
 男は後ろでまだ何か叫んでるようだったが、無視を決め込む。二度と振り向くまい!
 「フォークソング同好会」――僕が所属している、大学のサークルである。
 文字通りフォークソングが全盛期の頃に発足したが、そのブームが去った今日では、ハードロックに代表される、バンド形態での様々なジャンルの音楽がサークル内の主流となっていて、肝心のフォークソングの歌い手は極少数派である。その名称は名ばかり、看板に偽りありで、実態は「ちょっと重めの軽音楽同好会」といった感じなのであった。そうとは知らずに入った僕は、最初ちょっと戸惑ったのは確かである。正式な部ではなく公認サークルだが、総勢五十人は下らない規模の――幽霊会員や非常勤会員、助っ人など、身分の定かでないメンバーも多数の――大所帯であった。
 人見知りでこんな声のくせに、こんな大所帯の音楽活動サークルなんかに入って、弾き語りをやっているのは自分でも不思議だ。高校時代の唯一の趣味だったフォークギターを続けたかったのが表立った動機ではあるのだが、もしかすると声についても、コンプレックスを逆手にとって克服できるのではないか、という希望的思い込みがなかったとは言えない。ただ、その点に関する限り現実の壁はしく、一年経った今でも克服の糸口さえつかめていない。
 ずっと悩んでいたのは自分の歌声だった。傍から見ると、そんなこと気にならないよ、と思われるかもしれないようなことが、本人にとっては深刻な問題だったりするのである。本当は、もっと前から弾き語りをやりたかった。憧れていたのだ。元々フォークギターを始めたきっかけが「木洩れ日」だったから。
 「木洩れ日」はあまり表立っては売れなかった、男性二人のフォークデュオのユニットである。フォークギターのイントロや伴奏が印象的な楽曲が多く、それで、まずフォークギターに興味を持った。中学三年の時だった。そして、少しギターが弾けるようになると、「木洩れ日」のようにフォークギターで弾き語りをやってみたい、と自然に思うようになったのだ。
 でも、その歌こそがネックなのであった。当たり前だが歌は声を使う。そう、声だ。何かを始めようとするとたいていの場合、この問題に行き当たる。避けては通れない壁として僕の前に立ちはだかる。僕にとって、声とはそれほど根源的で宿命的な厄介事なのである。
 それで高校時代は苦しんだ。学園祭とかの表舞台に出ようという、最初の一歩さえ踏み出すことができず、でもそのことを妄想しては一人でギターばかり弾いていた。勇気が出なかった。
「そんな声で歌えるの?」「コミックソングか?」弾き語りをやっている素振りを見せると、そんな言葉が即刻飛んで来たのだ。他意のないからかいだとしても、それは暴力的に刺さった。現状、撥ねつけることもできない実力のなさ、弱さに、歯噛みするしかなかった。せめて人並みの声で歌えたら――そのレベルのことが、果てしなく遠い高校時代だったのだ。
 ただ、何もしていなかったわけではなく、実は密かに歌の練習はしていた。独学でボイストレーニングや、合唱部の友人に呼吸や発声を指導してもらったりもした。だから、単に「歌う」こと自体はできる。でも、基礎以前の、何か根本的な部分が違っている感覚がどうしてもぬぐえず、人前で歌う気にはなれなかった。イメージしているようには歌えないというか、自分の声で歌うということに、それを聴く側に立った自分が受け入れることが出来ない状態だったのだ。
 このまま行動しなければ何も変わらないと思い、大学入学を機に、一歩を踏み出そうと決意したのであるが――
 最初は「新入生自己紹会」という発表の場だった。新入会員全員が、銘々一曲ずつ演奏する。グループでもバンドでもソロでも形態は自由。そこで、僕は積年の秘めた野望を叶えるべく、思い切ってついに、憧れの弾き語りスタイルで歌ったのである。だが、これが散々な結果に終わってしまった。
 学内のちょっとした広い講義室を借りての舞台だった。上級生や他の同級生会員たちが階段状の思い思いの席から見守る中で、舞台に立った瞬間、手足は震え、血は凍り、自爆して一瞬で退散したい気分に襲われ――自分じゃない何者かに体を支配されてしまった感じだった。それで特に、歌なんかはもう、歌ったかどうかすら定かではない壊滅的な出来栄えだった。思えば、それまで自分の部屋で一人きりでしか歌ったことがなかったのを、大人数の前で、初めてマイクに乗せて歌ったのだ。その、外に出た声、他人が聴いている自分の声を聴いて、改めて現実の残酷さを思い知らされたのだった。
 まだ試したことがない、という状態が内包する「もしかしたら」の希望的側面――もしかしたら歌は行けるんじゃないか――だけにすがった根拠のない思い込みが、この時あっさりと打ち砕かれたのである。辛うじて完奏はできたものの、頭の中は真っ白で何一つ考えることが出来なかった。この時のことを思い出すと、今でも嫌な汗が出る。
 ただ救いだったのは、この場での挫折感は僕だけではなく、程度の差はあれど、場慣れしていない新入り連中のほぼ全員が味わっていたことである。この会はそういう洗礼の儀式の意味合いもあり、もちろん観客の先輩達もかつては同じように通った道だったのである。
 だからなのか、演奏を終えると、決してお情けではない感じの心のこもった盛大な拍手をもらえた。そのことは全く想定外で新鮮な感動だった。拙い歌でもちゃんと聴いてもらえたのである。この場の状況を差し引いても、上手い下手ではなく、そこに何が込められていたか、そのことはちゃんと伝わるというのだ。
 確かに、この演奏会タイトルにまつわる話での「歌とか演奏は、何より雄弁な自己紹介になるから」という、同好会会長の言葉通りだった。不思議な事だが実際、これを機に、何だか周りの誰もが、一気に親しげに話しかけて来てくれるようになったのだ。演奏の出来映えはともかく、まだ多分に他人行儀だった新しい世界に、やっと受け入れてもらえた嬉しさがあった。同時に、歌とは恐いものだ、という実感も少々あったりしたけれど。
 一方、歌の絶望的な惨状に比べて、フォークギターでの伴奏の方は、意外にもちゃんとできていたようだ。歌に気をとられてあまり自覚がなかったのが、おかげで無駄な力が入らず、その結果、ほぼいつもの練習通りの出来栄えだった気がしていた。それが幸いしたのか、歌との相対評価で実際より上手く聴こえたのか、ほどなくサークル内でギターの「仕事」の依頼がポチポチ来始めた。全く畑違いの、ヘビーメタル系バンドの助っ人サイドギターに駆り出されたこともあったりした。
 深川先輩とも、この「新入生自己紹会」が縁だった。
 僕がこの時歌ったのは、「木洩れ日」の曲だった。それも代表作とは言えないアルバムの、中でも目立たない曲調の地味な、でも僕自身にいつも寄り添ってくれるような、最もお気に入りの曲をコピーしたものだった。伴奏も、苦労して耳コピーでコードを拾った上で、アレンジを自分なりに変えてみた。コピーと言うよりはカバーに近い。誰も知らないはずの曲のアレンジを変えたって誰が気が付くのか、と言われる。でも、それくらいの思い入れがあるんだ! という意味を込めた、ささやかな主張のつもであった。言い換えると、ただの自己満足なのだけれど。
 なのに、それに真っ先に喰いついてきたのが深川先輩だったのだ。
「今の、『木洩れ日』の『Coffee Breakのあとで』でしょう! 懐かしい、私、大好きだったの。それに、アレンジが斬新だったわ!」
「あっ、あ、はい、あの、、あの、、、うぐっ」
「えっ――ち、ちょっと、ねぇ大丈夫?」
 深川先輩は、一学年上のお姉さんである。見た目も言動も派手寄りの女子が多いこのサークルの中ではあまり目立たない方なのだが、初めて見た時の、その柔らかい立ち振る舞いと物静かな姿が対照的で逆に印象深く、密かに憧れを抱いていた人だった。同時に、この場に所属していなければ僕には縁のないであろう世界の天上人であろうことも、瞬時に理解したのであるが。
 そんな高根の花自らが、昔からの気の置けない友人であるかのような口調で、前触れもなく突然話しかけて来たのである。そのギャップと、いきなりパーソナルスペースの密接距離にまで飛び込んできた「近さ」に、あまつさえ白い灰になって全く無防備だった僕は真剣に心臓が止まりかけたのであった。
 後に本人の語ったところによると、好きな物には見境なく一直線な傾向があるとのこと。自覚があって普段は自制を心掛けているのが、そんな物静かな印象になるのかも、との自己分析。つまり、僕の「演奏」がそんな自制が思わず外れてしまう程度には気に入ってもらえた結果である、ということらしい。
 この時の出来事は「深川の瞬殺事件」としてサークル内ではちょっとした語り草になってしまった。以来、僕は深川先輩の忠実な「(しもべ)」の役回りとして周囲に認知されているようである。まあ、全然悪い気はしていないのだけれど。
 そんな「新入生自己紹会」から数か月後、思いもかけず深川先輩から声がかかった。深川先輩は「Re:Person」という、ベースとピアノ、フルートのお洒落なポップス系インストゥルメンタルのユニットを組んでいたのだが、ピアノのメンバーがたまたま都合が悪くなって脱退するので、代わりに生ギターの伴奏で入ってほしい、との依頼であった。
 突然の申し出に僕は戸惑った。ピアノとフォークギターでは出せる音の種類も音域も全く違うし、そんなにギターが上手いわけではない。当初はかなり腰が引け気味だった。けれど、これが深川先輩の「大丈夫よ。是非。お願い」のたった三言であっさり参加が決まったのである。
 「Re:Person」は元々、メロディアスなベースラインとピアノの伴奏に乗せて、深川先輩のフルートが主旋律を奏でる形態だった。とりあえずは元のピアノのパートをそのまま受け持つ形で、もちろんそれなりにアレンジは変更したけれど、できる範囲で恐る恐る仲間に入れてもらうことになった。
 長身でやや強面にうっすら無精髭がクールなベースの宮下先輩は、深川先輩と同学年だった。初対面の頃はちょっとぶっきらぼうな印象だったけれど、それは見かけだけで、実は話も面白くて面倒見が良く、僕には気さくに接してくれた。「瞬殺事件」なんて、最初に言い出したのもこの先輩で、これがメンバー内のお約束的な潤滑剤のような話題として定着し、やがてサークル内にも広がったというわけである。
 もちろんベースの腕は確かで、心地よいうねりに裏メロディを乗せたリズムには安定感があって、僕は安心してギターを被せることができた。それでも、粗相をしてはいけないと、かなり必死にギターの練習をした結果、結構いい感じに絡めているかなと思えるくらいになってきた。そして、何度か本番ステージにも出させてもらった。
 ところがそのうちに、いつのまにか宮下先輩が集まりに顔を出さなくなり、三カ月ほど前からは、偶発事故のように深川先輩と二人きりで活動することになってしまったのだ。
 深川先輩の奏でるフルートは柔らかく心地よい音色で、私はここに居ます、という芯を持ちつつも、触れる者を優しく包み込むような広がりと深みがあって、絵画のような「静」のイメージがある。それまで対照的な「動」の部分を担当していたベースが居なくなってしまうと、改めてその存在感の大きさを思い知らされた。ここに僕はどう関わればいいのか。とても今までのようなダイナミックな動きを出すことはできない。とにかく邪魔だけはしないように、リズムだけはちゃんとキープしつつ、背後から支える感じでついて行くしかなかった。
 実際にやってみると、わかってはいたことだが、ベースが抜けたことによって「Re:Person」は全く別のユニットになってしまった。伴奏の全てを僕が担うことで、今までとは違って嫌でも僕のギターの音が前面に出た、アコースティックな印象にならざるを得なくなったのである。
 そして、更に困った事態が持ち上がった。トリオがデュオになって、明らかに音の厚みも物足りなくなったこともあって、ここで深川先輩が「歌物のレパートリーをいれましょう」と言い出したのである。僕と二人だけになったことで「木洩れ日」の楽曲をやりたいと言う。え、深川先輩が歌うんですか? 是非とも聴いてみたいです! え、僕も歌に参加するんですか? 深川先輩の声にハモリを入れろと――
「何事もチャレンジよ」と、深川先輩は軽い調子でさらりと決定してしまったけれど、僕の声で先輩と絡むなんて、あまりに恐れ多い話だった。ギターだから辛うじて釣り合いがとれていたのに、歌は――困った。「新入生自己紹会」以来、目立った進歩は見られなかったのだ。
 やるしかないのか――と腹をくくった僕はついに、かねてから考えはしていたが踏ん切りがつかなかった、ボーカル教室に通い始めてみた。
 発声の、いや、まず呼吸の方法の基礎から叩き込まれた。覚悟はしていたが、出来が悪い。色々練習しても思うような歌声にはならない。出来たと思った課題が、次の朝起きるともう出来なくなっていたりする。深川先輩は「悪くないわよ。ちゃんと上達してるし、歌えてる」と言ってくれるが、僕自身は全く納得できるものではなかった。
 歌は、もうなるようにしかならない――
 やっと開き直ったのはつい先週のことである。そして、今日は深川先輩と二人のユニットでの初ライブの日だった。
 本番二時間前。最後の練習に会場近くの円山のスタジオに着くと、家が近所だという深川先輩はもう先に来ていた。
 ふわっとした栗色がかった髪を、今日は片側にまとめている。横顔が綺麗だ。最初に声をかけてくれて以来、サークル内では冴えないポジションでいじられる僕も、分け隔てなく可愛がってくれている。出来の悪い弟に対するお姉さんのように接してくる。ずっと頭が上がらない、憧れの人のままだった。プライベートなことはあまり知らない(ようにしている)けれど、もう半年以上は演奏で呼吸を併せてみて、深川先輩のことも少し、わかってきた。気心の知れた相手にはざっくばらんに接してくるけれど実は人見知りで、人前に出るのが大変苦手である。普段はかけている眼鏡をステージでは外して出る。見えると緊張するからだと言う。譜面は暗譜しているから問題ないとのことだけれど、本番ではよく、何かに蹴躓いている。とある二三の分野においては強烈にマニアックな傾向があると思われる。それがどの分野なのか、全容はつかめていない――と、まだ深川先輩に関しては知らないことの方がはるかに多いのは明らかで、つまり今現在はそういう関係なのである。
 ただ、ユニットとしては、大部分は深川先輩がしっかりしていて主導権をとっているけれど、ほんの何か所かの、先輩がダメな所を僕が得意としていて、組合せで見ると何だか奇跡的にうまく回っているようだ。
 そんな深川先輩とのひと時が今では、どうも現在時刻からだいぶずれている気がして何かと空回っている僕自身の、現在地を確認できる指針のようにも思える大切な時間になっているのだった。
「あ、それ間に合ったのね」と、頑丈な、重いギターケースを開ける僕に笑いかける。
「そうなんです。夕べぎりぎりで」
 そう、昨夜あれほど急いでいた理由はこれだったのだ。
「見た目がちょっと変わってるわね。ボディが欠けたみたい」
 それはフローレンタイン・カッタウェイ、という高音部の演奏性を高めるためのボディ形状で、ネックの付け根からボディの肩の部分にかけて、鋭角にえぐられたような形状になっているのである。
「装飾も凄く綺麗」と言って、深川先輩はヘッド部の大きな鷲のデザインの象嵌細工(インレイ)をしげしげと眺める。「本当に素敵なギターね。良かった。これで安心だわ」
 これはつい最近奮発して手に入れた、僕にとっては天上界クラスのギターだった。深川先輩と少しでも釣り合いが取れるようにとの思いが、かなり無理めの決断を後押ししたのだ。せっかくの先輩と二人での晴れ舞台に、ステッカー跡が残るボロボロのギターじゃ悲しいし、歌の引け目を少しでもカバーしたい思いもあってのことだった。実際、それまで使っていた二万円の安物とは、天と地どころではなく、全く別次元に音が違った。腕前が数段上がったのではないかと錯覚するほどなのだ。
「もう、ギターのせいにはできなくなりましたけど」
「そこは信頼してるから――」
 深川先輩はそうやっていつも、さりげなくやる気を出させてくれるのだ。
「じゃあ、ちょっと一回通しでリハを」と言って、深川先輩がフルートを構えた。
 フルートの音色が響き渡る。突き刺さるのではなくふわりと包むような音だ。楽器の音にも人柄が出るものだと思ってしまう。呼吸を合わせて、初めて弦を爪弾くと、僕のギターは以前とは全く別の楽器のような深い色彩の音色でフルートの旋律の背後に広がっていった。これは絶対、自分の実力じゃない。「凄い、音もとっても素敵だわ」と、深川先輩も驚いた音色だった。昨夜見た変なモノの(けが)れも洗い流されるようだ。あれは悪い夢だ、と言い聞かせて寝たら、そのあと本当に悪夢を見て夜中に一度目が覚めたのである。とにかく早く忘れよう。
 オリジナルのグループと同じように、僕は背景の木洩れ日のように先輩をサポートするのだ。良くも悪くも目立ってはいけない。特に悪い方に目立つのは厳禁だ。ガサついた音や、異物感のあるハモリは絶対に許されない。試行錯誤の末僕はついに、ウラ声でハモることで普段の悪声を抑える技に行きついたのであった。
 会場は、街の中心部から西の方の山裾にある、市内で最も大きな神社である。正確には神社の敷地の一角に設けられたイベント会場だ。今日はこれから祭り関連のイベント企画の、野外ライブ演奏会に出演するのだった。スタジオから外に出ると、遠くから太鼓の音が聞こえてきた。神輿渡御の行列が近付いて来たのかもしれない。僕たちもいよいよこれから本番だ。
 力が入り気味な僕の気配を察したのか、深川先輩は僕の肩を軽く揉みながら「いつも通りに、気楽に行きましょう」と耳元で言うのであった。
 はい、もちろんです!――まずいぞ、今のでなんだか、更に力が入ったかもしれない。