「願いが叶う?」
呪いと正反対じゃないか。でも、彼女の横顔にふざけている様子はない。
「本当にそう伝わってるんだよ。言ってたのはひとりじゃないし、具体的な話も聞いてる」
「具体的って、ホントに見たひとがいるってこと?」
学校と住宅街に挟まれた道路は車がほとんど通らない。うちの生徒と小学生の姿がちらほらあるくらいで、並んで自転車を押していても特に邪魔にならない。話をするにはありがたい。
「うん、そう。わたしが直接聞いたわけじゃないけど、生徒会にいると――あ」
そこで彼女は俺に目を向けた。
「わたし、樫村華乃。前は生徒会役員をやってたの」
そう言ってくすっと笑う。
「今ごろ自己紹介なんて、なんか変だけど」
「あ、いや、俺、知ってたよ、加賀から聞いたから。あの、加賀健太。テニス部の」
「ああ、加賀くんね」
彼女はうなずいた。それから、加賀の名前が通じてほっとしている俺に、答えを待つように視線を向けた。
「あ、俺は、尾張。尾張辰之進」
嬉しいような照れくさいような気分が混じり合う。ここから新しい関係が始まったような気がする。今日で終わりじゃなく――。
「ああ、尾張辰之進くん!」
予想外の声の大きさに思わず身構えた。でも、彼女は明らかに嬉しそう……?
「その名前、ずっと気になってたの。どんなひとかなって思ってた。卒業する前に話せて嬉しい」
「そ、それはどうも……」
なんとなく分かった。仰々しい俺の名前を何かの名簿で見て知っていたのだ。今までも何度か経験がある。
でも、満開の笑顔で「話せて嬉しい」などと言われたのは初めてだ。マイナス思考強めの俺でも単なる社交辞令として流すのが惜しくなる。
とは言え、どんな顔をすればいいのかも分からない。その結果、お礼も中途半端になってしまった。でも、彼女は変わらずにこにこしている。
「その名前、カッコいいよね。由緒正しい武家の息子って感じ」
「ああ……、まあ、武士っぽいってよく言われるよ」
苦笑いがでてしまう。友達に言われるときは「武士っぽいのに」と、余分な文字が付いていることの方が多いのだ。名前の凛々しい印象と実際の性格がかけ離れているから。でも、今はそこまで説明しなくてもいいだろう。そのうち自然に気付くだろうから。
「ええと、何の話だっけ……、そうそう」
彼女が確認するようにひとつうなずいた。
「生徒会にいるとね、いろんな情報が集まってくるの。個人的な付き合い以外にも、それぞれの委員長とか部長とかとあれこれ話すこともあるし、ちょっとした相談を持ってくるひともいるから。そうしてるうちに、面白い話やめずらしい話があると教えてくれるようになるの。幽霊に会った話もそう」
なるほど。まあ、それは人柄にもよるのだろうけれど。
「幽霊に会った話は在学中には3件聞いたよ。先輩が2つと後輩が1つ」
「え? そんなに?」
「そう」
「で、どれも、そのあとに願いが叶った?」
「そう」
彼女はしっかりとうなずいた。
「模試の成績が一気に上がったっていうのと、彼氏ができたっていうのと、部活で入賞」
「ふうん……」
思ったよりも小さな願い事だ。努力の成果かも知れないし。こんな微妙な反応をしてしまった俺を彼女はちょっと笑った。
「そりゃあね、はっきりした因果関係は分からないよ。だけど、頑張っても結果が出ないこともあるでしょう? でも、その3人は結果が現れた。そして、その3人とも放課後に幽霊を見てまもなくだった。ね?」
「そうか。確かにご利益がありそうだ」
なんだか明るい気分になってきた。因果関係なんて証明できないのだから、本人がそう信じればよいことなのだ。
晴ればれした気分で目を上げると、高い空を渡り鳥がV字型に連なって飛んで行く。都会に近いこの地域では、渡り鳥の編隊はたびたび見られるものではない。
「わあ、ちゃんと隊列組んでる。この辺も通るんだね」
樫村華乃の声がした。
「うん」
ふいに、この瞬間に彼女が一緒にいてよかった、と思った。渡り鳥の編隊なんて小さな感動だけど、それを共有できたことが嬉しい。……なんて、知り合ったばかりの相手に感じるなんて変だろうか。
「幽霊を待ってたって言ってたけど……」
声をかけると、彼女は照れたような笑顔を向けてきた。
「何か叶えたい願いがあるってこと?」
答えが来るまで小さな間があった。
「べつに願い事なんかないんだ。ただ見てみたいだけ」
どこか遠くを見るような眼差しを前方に向けて。
「高校生活の最後に……、このまま卒業しちゃう前に見てみたいの」
「ああ、卒業記念的な意味で」
そううなずいた俺に、彼女はちらりと視線を向けた。戻した視線は心なしか下を向き、微笑みを浮かべた横顔はなんだか淋しそう……?
「まあ、そんな感じ」
そう言った彼女の何かが、それだけじゃないのだと感じさせる。けれど、知り合ったばかりの俺が尋ねていい話ではないかも知れない。だから今は、軽く話をずらす。
「願いが叶う幽霊なら、悪霊じゃなさそうだしね」
「そうそう、そうなの」
彼女に明るさが戻った。
「冬休みのあとは3年生は午前授業と自由登校でしょう? 本当の放課後って、わたしたちにはもう今しかないんだよ」
言われてみればその通りだ。冬休み明けに午前授業なのは3年生だけで、1、2年生は午後まで授業がある。放課後の幽霊が現れるとすれば、1、2年生の授業が終わったあとになるだろう。
「それで来週か」
「そう。金曜日までチャレンジして、見られなかったらそれでおしまい」
さばさばした口調で彼女が言った。もしかしたら、見られるとは思っていないのかも知れない。
「勉強は? 余裕?」
「ああ、わたし、推薦で決まっちゃったから」
「あ、俺も」
同じ立場の相手が見付かって思わず嬉しくなる。
「加賀に、大学決まったんだから何か楽しいことしろって言われたよ。でも、何も思い付かなくて」
「あ、じゃあ、一緒に探してみる? 幽霊」
「え……」
思わず固まってしまった。幽霊は怖い。でも。
――見たい。
いるなら見てみたい。本物の幽霊。怖いけど見てみたい。だけど――。
「なーんて、ごめん。そんな馬鹿なことやりたくないよね。さっさと家に帰って好きなことする方が――」
「い、いや、俺も見たい」
言ってしまった。本当は怖いのに。怖がっている自分を見られてしまうかも知れないのに。だけど滅多にないチャンスを逃すのは惜しい。
「実は好きなんだ、怖いもの。怪談話を確かめるチャンスなんてそうそうないだろうから、この機会に……」
「わあ、本当?」
――あ。
もう逃げられないと悟った。彼女の笑顔に。
こんなに嬉しそうな顔をされたらもう後には引けない。彼女の期待を裏切るわけにはいかない。
それに、彼女は「一緒に」と言った。ひとりじゃなければ怖さも減るはずだ。そもそも出るかどうか分からないし、出たとしても良い幽霊なのだし。
「うん。やろう、幽霊チャレンジ」
「うん!」
元気にうなずいてから、彼女はちょっと肩をすくめてみせた。
「一時間だけって言っても、ただ待ってるのって、実は退屈なの」
なるほど、それはそうだろう。
「だからきのうは掃除をしてみたの。暇つぶしに」
「ああ、そうだったんだ?」
きのうのあの教室が目に浮かぶ。薄暗くて――。
「だけど、電気は点けておけばよかったのに」
そのせいで余計に怖かったのだ。電気が点いていれば、あれほど気味悪く思うことはなかったはずだ。
「暗い方が幽霊が出やすいかと思って。それに、ほかのひとに気付かれたくなかったから。だって、幽霊を待ってるなんて言えないでしょう?」
「ああ、そうだね」
加賀だって、俺がそんなことをすると言ったら笑うだろう。
「じゃあ、わたしはあっちだから」
月曜日に打ち合わせをすることにして、連絡先を交換して別れた。