幽霊探し最終日を控えた夜は、朝とは打って変わって静かな気分だった。

これは樫村さんの影響だ。彼女の「自分は恵まれている」という言葉が俺の目を開かせてくれたから。

俺は今まで、他の誰かと自分との差ばかり考えていた。才能とか、見かけとか、持ち物とか、交友関係とか……、自分にないものを持っている誰かをうらやみ、卑屈な思いを抱いていた。逆に言えば、自信をなくす理由を自分でせっせと積み上げていたのだ。

けれど、彼女は自分が持っているものをきちんと認識していた。無いものではなく、持っているものを。そのことを考えながら帰ったら、俺の世界が変わっていた。

きれいなお風呂に入れること。家族で賑やかに夕食を食べられること。母が作った酢豚が美味しいこと。弟が学校の愚痴をこぼすこと。気軽に連絡をくれる友達がいること。自分の部屋があること。そんな、当たり前になっていたことが透明な輝きを放って目の前に現れた。すると――なんと恵まれていることか!

だからといって、俺が完璧になるわけじゃない。でも、足りないところばかりでもない。母には気が利くと言われているし、けっこう手先が器用だ。樫村さんは俺に癒されるらしいし。

良いことと残念なこと、どちらもいろいろな形で存在し、それらが混ざり合って俺という人間になっている。これまでもそうだったし、これからもそうなのだ。そして、足りないところはこれから少しずつでも足していけるかも知れないじゃないか!

希望が叶うこともあれば、失望を味わうこともあるだろう。もしも失望で落ち込んでも、俺の周りにはほかにもたくさんの良いものも残っているはずだ。そのことを忘れないでいたい。そうすれば、いつか失意の底から這いあがる力がわいてくると思うから。

樫村さんがしっかり者に見えるのは、信じられるものを芯に持っているからなのではないだろうか。信じられるもの――自分を支えてくれているもの。

彼女にだって劣等感はあるはずだ。将来への不安もそのひとつだと思う。それでも彼女は恵まれていると言った。それは、彼女がより広い世界の悲しい現実に心を寄せていることの現れだと思う。「世界から憎しみの気持ちが消えてほしい」という言葉がそれを証明している。

もちろん、彼女の家族はほんとうに素敵なひとたちなのだろう。勉強もできるのだろう。よい友達にも恵まれたのだろう。でも、それらがなくても、彼女はきっと何かしら自分の幸せのもとを見ることができるのだと俺は信じる。その幸せが、彼女が前に進む力になるのだろう。

たくさんの良いものを持っていても、足りない、もっと、と考えるひともいると思う。持っているものの価値やありがたさに気付かず、不満を募らせたり不公平だと訴えたり。そのようなひとたちは、自分の不幸や不満、時には怒りが推進力となるのかも知れない。でも、できれば俺は、自分が前に進むときにはプラスの感情を推進力にしたい。たとえ努力すること自体がつらくても。

幸せか不幸せかを決めるのは、周囲ではなく本人だ。彼女がそう気付かせてくれた。そんな彼女を、俺はほんとうに素敵なひとだと 思う。彼女と出会えたことを幸運だったと思う。

彼女との出会い。あれは、何度思い出してもはっとする。

あの夕方。教室の戸にはまった小さなガラスからちらりと見えた黒い影。確かめようと立ち止まらなければ、翌日の出会いはなかったはずだ。

そして、あの昼休み。

もしも加賀と一緒に行っていたら。あと数分ずれていたら――。廊下に出てきた彼女のあとを追うことはなかっただろうし、彼女と顔を合わせることもなかっただろう。

お互いを認識し合ったあの瞬間。昼休みの廊下に前日の教室の景色が透けるように重なり、その中心にくっきりと彼女がいた。まっすぐにこちらを見て。

驚きあわてて踵を返した俺を、今度は彼女が追いかけてきた。そして……始まった。

たぶん、相手が彼女じゃなければ、俺は一緒に何かをしようなんて思わなかった。知り合ったばかりの相手と、放課後にわざわざ学校に残ってなんて。

そう。彼女だったから――。

俺は自分を「人見知り」と表現しているけれど、内心ではその言葉には違和感がある。なぜなら、俺が他人と対するときに抱くのは気恥ずかしさや警戒というよりも、「怖い」という感情だから。

見知らぬ他人が怖い、というのとは違う。相手の反応、外に出る部分だけではなく、俺に対して抱くであろう気分――つまらない、うっとうしい、なんでコイツと話さなきゃならないの――が頭に浮かんできて苦しくなるのだ。だから、知り合いでも、親しくない相手と話すのは同じように苦手だ。緊張と焦りで的外れなことを言ってしまったことなど数えきれない。

何が原因かは分かっている。自信のなさだ。

こんな俺の相手をするのは迷惑に決まってる。申し訳ない。常にそんな気持ちがつきまとう。

何人かには「自分も同じだ」と言われたことがある。「みんなそうだよ」とも。けれど、クラス替えや新しい集団ができるとき、明らかに俺は周囲のみんなと同じようには振る舞えていない。それをひしひしと感じる。場数を踏めばできるようになるのかと思っていたけれど、一向に治らずにきた。そして、孤立しないように、苦しさを押し隠して頑張るしかなかった。

高校入学からしばらくして、ふと、他人に話しかけることと自分がひとりでいることを比べてみた。その結果、無理して話しかける方が自分には負担が大きいと気付いた。幸い、クラスの雰囲気は悪くない。だったら楽な方を選ぼうと決めた。

そう決めた背景には加賀の存在も大きくあった。部活で知り合った加賀は快活でたくさんの友人に囲まれていながら、なぜか俺と一緒にいることが一番気楽だと言ってくれたから。それが俺の支えになった。

今考えると分かる。加賀は俺に自信をくれたのだ。

俺を気に入ってくれるひとがいる。だからきっと、俺は100%ダメではない。何かいいところがあるはずだ。だって、加賀はとてもいいヤツだから。

その認識がひとりでいることへの勇気になった。……まあ、逆から見れば「あきらめ」とも取れるけれど。

苦しいことを一つ捨てたので、学校生活はずいぶん楽になった。加賀のほかにも何人かと親しくなった。とは言え、人見知りを克服したわけじゃないから、親しくなるまですごく時間がかかる。

なのに、彼女とは違っていた。

もしかしたら、最初にびっくりしたせいかも知れない。あれですべての感情が吹き飛んでしまったのかも?

いや。そうじゃない。そうじゃなかった。

最初から、彼女のことは平気だったのだ。初めて言葉を交わしたときに、彼女とは仲良くなれると感じた。どう言えばいいのだろう。彼女に対しては無理をしたり頑張ったりする必要がないと、ただ分かった。一目惚れというのとは違う、恋愛感情は抜きにした何かの勘だ。

そこから彼女と俺の幽霊探しがはじまり……明日で終わる。

彼女の「ほんとうの挑戦」が成功するかどうか、明日の放課後に決まる。是非とも幽霊に会わせてあげたい。俺はどうでもいいから、彼女の前に現れてほしい。

そして、最後の時間が終わったら。

俺の願いごとを彼女に告げよう。