昼前には母さんからも電話があった。

「警察から連絡があったのよ」
「あ、うん」
「何があったの?」
「・・・心配かけてごめん」
そんな言葉しか出てこない。

「父さんがね、一度帰ってきなさいって」
「うん」
そういえば最近顔出していない。

「本当に大丈夫なのね」
お母さんは心配そうに何度も聞いてくる。

「大丈夫元気だから。近いうちに帰るわ。父さんにもそう伝えて」
「わかったわ」
無理をしてはダメよと繰り返し、母さんの電話は切れた。

私は親不孝な娘だ。
こんなに大切に育ててもらったのに、恩返しもできないどころか、いまだに心配をかけ続けている。

私の実の父は私が生まれる前に亡くなった。
母も私が小学校に上がる前に、病気で死んだ。

育ててくれたのは母の妹夫婦。
それが今の父さんと母さん。
子供のいなかった2人に大事に育てられた。

私の中には父の記憶はもちろん、物心ついたときから病床についていた母の記憶もほとんどない。
私にとって両親は父さんと母さん。
でも、自分のルーツとしての父母をいつも感じていた。

「紅羽のお父さんはお医者さんだったのよ」
「紅羽のお母さんはとっても綺麗で、優しい人だったのよ」
母さんはことあるごとに話してくれた。
家族の誰もが私が養女であることを隠そうとはしなかった。

亡くなった父は、今私が勤める病院の医師だった。
新生児科で、小さく産まれた赤ちゃんを診ていたらしい。

その父が亡くなったのは28歳の時。
私が生まれる3ヶ月だった。
医師となってまだ2年目。
死因は不明。
突然病院で倒れ、そのまま亡くなったと聞いている。
当直と残業続きの激務の中、母さんに『明日の夕方には帰るよ』って電話もしていたのに。
あと少しで生まれる我が子に会うこともできず、どんなに無念だったろう。

そして、父さんはどんな医者だったんだろうか。
私はその死の状況を知りたくて医者になった。
さすがに、何か陰謀めいたことがあるとは思っていない。
唯々気の毒な死だったんだろうとも思う。
でも、少しでもいいから当時の父のことを知りたい。
自分の遺伝子を感じてみたい。
いつの頃からか、そんなことを考えていた。

なんて、半分は言い訳。
かわいげがなくて、友達も少なくて、誇れる物は勉強だけ。
そんな私に勧められたのが医学部の受験だった。

私が隣県の国立大医学部を受験すると決めたとき、
「やっぱり血かなあ」
酔っ払った父さんがそう言った。

父さんも母さんも地元の公立大の教育学部を出ていて、立派に教師として働いているのに、そんなことを思うんだと驚いたのを覚えている。

そんなこんなで、私は父の母校に進学し、父が働いていた病院で勤務医となった。
きっと、探せば父を知るドクターもいるとは思う。
でも、あえてそれをしようとは思わない。
ただ同じ場所に立ってみたかった。
それに、養女になった時点で名字も違うから、きっとバレないだろうし。