病気療養の名目で2週間の休みをもらった。
このままでいけば、休み明けから次の勤務先へ異動になる予定。
妊娠の事は秘密の為、周りから見れば異動が嫌で駄駄をこねている様に見えるはず。
でも、今は仕方ない。
そんな事かまっていられない。
ありがたく、静養と異動の準備をさせてもらおうと思う。
とはいえ、勤務先は隣町のため、住居の引っ越しは不要。
これまで通り、翼との同居は継続する。


長期休暇のお陰で、つわりの為に弱った体をゆっくり休ませることができた。
時間を気にすることもなくゴロゴロとベットで過ごし、病院にも行き、母子手帳ももらった。
そして、自分自身と向き合った。
少しずつではあるけれど、あれだけ悩んでいた妊娠も、出産も、自然と受け入れられるようになってきた。

産婦人科は、自宅から少し離れた小さなクリニック。
知り合いに会わないことを第一条件に選んだ。

「独身ですね。生みますか?」
40過ぎの女医先生に聞かれ、
「もう少し考えます」
そう言いながら、あきらめる気はもうない。

普段小さな子供達を患者として診ている私にとって、生まれてきてくれる命は奇跡でしかない。
その命を絶つなんて・・・考えられない。
しかし、そうなると現実的な問題が出てくる。

これからどうしよう。
周りには子育てしてる女医さんも多い。
私にだって、できなくはない。
でもね・・・1人で育てていく自信は、ない。


日がたつにつれ、つわりも辛くなってきた。
私は久しぶりに、実家に向かった。
幸い今日は体調が良い。
こんな時でなければ、長い時間の移動なんてできない。

私の生まれ育ったところは、隣の県。
今の家からは電車で2時間の距離。
のどかな田園風景が広がる田舎町。

ふーん、懐かしい。
ここに帰るのは1年ぶりかな。
そんなに遠いわけではないんだけれど、つい足が遠のいていた。

「お帰り、紅羽」
「ただいま」
母さんが駅まで出迎えに来てくれた。

「父さんは?」
中学教師の母さんは平日仕事のはずだから、今日は父さんが迎えに来てくれると思っていた。
「お父さん、急に葬儀が入ったのよ」
「へー」

私の実家は田舎のお寺。
父さんが15代目。
代々続くお寺は檀家さんも多くて、父さんとおじいちゃんで切り盛りしている。
私が高校までは、父さんも中学校の教員をしながらの兼業坊主だったけれど、10年ほど前に教師を辞めてお寺を継いだ。
曲がったことが大嫌いで、とても厳しい人。


母さんの車の助手席から見えてきた大きな本堂。

駐車場から続く長い坂道。

玄関を開け、
「ただいま」
「紅羽、おかえりー」
おばあちゃんの声。

奥の部屋から出て来たおばあちゃんにギュッと抱きついた。

小さい頃から学校の先生をしている父さんも母さんも忙しくて、私はずっとおばあちゃんっ子だった。
学校から帰るとおばあちゃんの用意したおやつを食べ、勉強を見てもらった。
遊びに夢中で帰りが遅くなった私を、玄関先まで出て待っているのもおばあちゃんだった。

「あれ、顔色が悪いね」
「えっ」
ヤバっバレた。


久しぶりに家族で囲む夕食には、父さんも帰ってきた。
大好きな母さんの手料理。
うーん、美味しい。
田舎らしい濃いめの味で、年寄りでも子供でも食べられるようにバラエティーにとんだメニュー。
子供の頃から食べ慣れた味。
美味しくて、つい食べ過ぎて、

オエッ。
トイレに駆け込んだ。

「大丈夫なの?」
心配そうな母さんの声。
「うん」
トイレから出ると母さんが立っていて、思わず泣きそうになった。

そうだった、私はまだ大事な話をしていない。
この体に命を宿してしまったことをずっと黙っておくわけにはいかないのだから。

その時、
「食事が終わったら本堂に来なさい」
廊下の先に立つ父さんの厳しい顔。

小さい頃から、本堂に呼ばれるのは本当に悪いことをしたとき。
何度も何度も叱られた経験からわかっている。


本堂に向かうと父さんがすでに座っていて、母さんも後ろから入ってきた。

「紅羽、何か言うことはないか?」
広い本堂の中に響く父さんの声。

「勤務先を異動になりました」
やはり、本題はなかなか口にできなくて、当たり障りのないことを言ってしまった。

「いつからなの?」
母さんの声が後ろから聞こえ、父さんはジーッと私を見ている。

「来月から、隣町の市立病院に行くの」
「随分中途半端な時期ね」
「うん。部長ともめて・・・とばされてしまった」
「まあ」
母さんが驚いている。
でも、そのことを咎めようとはしない。

子供の頃から、母さんはいつも私の味方だった。
あまり叱られた覚えがない。
友達の家では、普段口うるさく注意するのはお母さんで、お父さんは何も言わない。よくそんな話を聞いたけれど、我が家は違っていた。
叱るのはいつも父さんの役目で、母さんは常に優しかった。

「それだけか?」
父さんの顔が怖い。

きっと、父さんも母さんも気づいている。
もう、ごまかすことはできない。

「赤ちゃんができました」
「父親は?」
「・・・」
言えない。

「紅羽、こっちに帰ってきなさい」
え?
「1人で子供を育てられるはずないだろう」
「・・・」
「育児をなめるな」
「・・・」

父さんと母さんは実の子供には恵まれなかった。
それでも、私を育ててくれた。
色んな思いや、苦労があったんだと思う。
だからこそ、「妊娠してしまった」と言った私に怒っているんだ。

「どうやって子供を育てますってビジョンがないなら、帰ってきなさい。いい加減な気持ちで親になろうなんて、父さんは許さない。いいね」
そう言ったきり父さんは席を立った。

住職であり、元教師の父さんの言葉は重たい。
私には逆らうことができない。

「子育ては紅羽が思うよりも大変よ。ちゃんと父さんを納得させられないなら、帰ってきなさい」
「母さん・・・」
「大丈夫。いざとなったら、母さんとおばあちゃんが育ててあげるから」
優しい笑顔を向けられた。

「母さん、ごめんなさい」