送っていく車の中で、紅羽は眠ってしまった。

妊娠するとホルモンのバランスが変わって眠たくなることもあるらしい。
つわりも、体調の変化も人それぞれ。
一概にこうだと言えるものはない。
まあ、命を1つはぐくもうと言うんだからそれなりに体の負担は避けられない。

はあぁ、どうしたものだか。
こいつが母親になるなんて・・・想像もできない。

いつも真っ直ぐで、正直で、それでいて不器用で。
心配で目を離すことができなかった。
最初は妹を見るように見ていたのに、いつの間にか手を出していた。
近付けば近づくほど彼女の側を離れられなくなって、お互いを恋人と認識するようになった。
俺は隠したつもりはない。
二人して手をつなぎ、堂々と街を歩きたかった。
でも、余計なことを口にしない紅羽にあわせているうちに、秘密の交際のようになってしまった。
それが・・・子供ができるなんて。

「うぅんー」
助手席から紅羽の声。
微妙に幸せだな。
こんな時間をずっと過ごせたら、いいだろうなあ。

「かわいい顔して、強情な奴」



俺の両親はごく普通の会社員と専業主婦だった。
小さなアパートの4人暮らし。
俺の上に姉がいる。
決して裕福ではなく、体の弱い母さんは働きに出ることもできなかった。

父さんは寡黙で真面目な仕事人間。
母さんは、元々金持ちの娘だったらしい。
駆け落ちして一緒になったと大きくなってから聞かされた。

そんな母さんも、俺が13歳、姉貴が15歳の時に病気で死んでしまった。
母さんの訃報を聞いて駆けつけたじいさんは「お前が娘を殺したんだ」と父さんに罵声を浴びせた。
葬儀の後、俺と姉貴は母さんの実家に連れて行かれた。
父さんは止めなかった。

一生懸命頑張りすぎた父さんは、母さんが亡くなる前から心を壊してしまっていて、病院を出たり入ったりの暮らしだった。
そんな父さんに子供を育てられるはずもなく、どうしようもない選択。
3年後、父さんは病院で亡くなった。

金持ちの家とは言えすでにおじさんが家督を継いでいて、俺も姉貴も肩身は狭かった。
少しでも早く自立したくて、奨学金をもらって医者になることを決めた。

だからかな、周りの人間に比べると家族ってものに対する思いは薄いのかもしれない。
いつかは家庭を持ちたいと思うものの、子供とか結婚に対するこだわりはない。
かえってしがらみを感じて、一生結婚しなくてもかまわないと思うときさえある。
その俺が、父親かあ。



ガチャ。
すっかり寝てしまった紅羽を抱えて、玄関を開けた。

「おかえりなさい」
福井翼が顔をたした。
「ただいま」
俺の家でもないのに、自然と口を出た。

「寝たんですか?」
「ああ」
「先生も大変ですね」
「まあな」

多感な思春期を他人の家ですごしたせいで、俺は外面のいい人間になってしまった。
いつ笑顔でニコニコしているから年寄りには好かれるし、愛想が良ければ仕事もやりやすい。
そんな宮城公を自分で作り上げた。
しかし、こいつに関わる時でだけ本性が出てしまうんだ。

よほど疲れていたのか、ベットに運んでも紅羽は起きなかった。


キッチンに入り、冷蔵庫を空けてみる。
水と、ビールと、卵が数個。

「相変わらずの食生活か」
とてもじゃないが、妊婦の、イヤ女性の家とは思えない。

「荷物、置きますね」
玄関に置いたままだった荷物を、翼が運んできた。
「ああ、すまないな。ビール飲むか?」
「ええ、いただきます」

つまみもなしで、男2人ビールを空けた。
「寝ましたか?」
「ああ。人の気も知らずに夢の中だ」
「食べれてなかったし、眠れてなかったし、最近辛そうでしたから」
ふーん。
こいつは俺よりも紅羽のことを知ってる訳か。

「悪いが、気にかけてやってくれ」
色々と思う所はあるが、やはり頼れるのはこいつだけだ。
「わかりました。で、どうする気ですか?」
翼の探るような視線。

「それは、あいつが決めることだ」
人の言うことを素直に聞く女じゃない。
「先生はどうしたいんですか?」
それでも翼は食い下がる。
「俺は・・・ポケットにしまっておきたい」
「はあ?」
唖然とされた。
しかし、これが本心だ。

できることなら、このまま連れて帰りたい。
でも、できない。

「そんなことをすれば、紅羽が紅羽でなくなってしまう」
「大変ですね」
「人ごとみたいに言うな」

彼女と同じ屋根の下に暮らす男友達。
世間から見れば非常識な関係なんだと思う。
俺自身もはじめは驚いたし、翼に嫉妬したこともある。
しかし、俺同様に外面のいいこの男の本性を知ってしまった今は、1人の良い友人として見ている。
この屈折した性格も、二面性も、俺と似ているし、紅羽にとっても居心地のいい存在なんだろう。

「俺は、どんな結論であっても紅羽の出した答えを受け入れる。自分で納得しなければ動かない女だから、気長に待つつもりだ」
「じれったいですね」
小馬鹿にするように言い、ビールを口にする翼。
そうかもしれないと、俺も思う。
でも、仕方ないんだ。

「こんなこと頼めた義理じゃないのは分っているが、紅羽のことを頼む。放っておけば、きっと無理をするだろうから。何かあったらまず俺に知らせて欲しい」
「わかりました」
言いたいことはありそうだが、翼は納得してくれた。

俺自身も、まだ子供の親になる自覚はない。
今は、わがままで不器用な年下の彼女のことで精一杯なんだ。