翌朝、渋滞を避けて早めに家を出た。
この体で長いドライブをすることに不安はあったけれど、行かなくてはいけない気がして車を走らせた。

以前来たときは綺麗な緑に覆われていたのに、今は枯れ葉が舞っている。
なんだか寂しいわね。
少し感傷的な気分になりながら、私は診療所への道を進んだ。

「こんにちは」
まだ診察前なのは分っていて、玄関から声をかける。

「はーい」
出てきた看護師。
どなたですかと、怪しむような視線。

「私、山形と言います。公、いえ、宮城先生はいらっしゃいますか?」
「センセー」
看護師に呼ばれ、奧の診察室から出てきた公。

「え、お前」
驚いている。
完全に言葉が出ない。

「お知り合いですか?」
看護師に聞かれ、
「同僚です」
と答えた。

「じゃあ、ドクター?」
「ええ、まあ」

それ以上は何も聞かれなかった。

公が診察の間は、院長室で休ませてもらった。
環境が変わって気が紛れたのか、今日は吐き気がしない。
来客用のソファーに横になりながら、時々聞こえる公の声に耳を澄ませた。


「どうした?」
昼前になり、戻ってきた公。

「別に。どうもしない」
なぜか不機嫌な私に、公は渋い顔。
「話があるんだろ」
こんな平日に前触れもなく訪れれば、何かあったと思うに決まっている。

「赤ちゃんができた」
私は、核心のみをはっきりと伝えた。
「そうか」
驚く様子も見せず、公は私を抱きしめた。

「私、迷ってるの」
正直、生んで育てる自信なんてない。
「俺は、どんな結論も受け入れる」

男ってずるい。
私はこの時そう思っていた。
決められないからここにいるのに・・・

「堕ろすって言ったらどうするの?」
「紅羽」
さみいしそうな公の顔。

「いつだって女が貧乏くじ。妊娠も出産も私ばっかり。私だって、医師としてのキャリアを積みたいのに」
こんなだから、女医はダメだって言われるのよ。

「子供なんていらない。私には育てられない。もーう、いなくなっちゃえばいいのに」

公の前で歯止めがきかなかった。
甘えが出てしまった。
口にした後、自分でも後悔した。
しかし、
無言で近づいた公に、ギュウーとほほをつねられた。

「い、痛い。痛ーい」
「バカ。聞こえたらどうするんだ」
「え、まだ、まだ聞こえないよ」
「でもやめろ。小さくても1つの命だ」
怖い顔で言われれば、黙るしかなかった。

近くに店もない田舎の町で、昼食は診療所の師長さんが用意してくれた。
田舎の野菜中心の食事がとっても美味しかった。
久しぶりによく食べた。
本当に、ここにいたら元気になれそう。


「紅羽、行くぞ」
仕事を終えた公が、私の荷物を持つ。

日中を診療所で過ごした私は1で人帰ろうとしたけれど、
「何かあったらどうするんだ」
不機嫌そうな公に止められてしまった。

「寝られそうなら寝ておけ」
「うん」

車に乗り込むときに、タオルケットとミネラルウォーターを用意してくれた。
時々私の方を見るのも、いつもの公とは違う。

「今の病院での勤務はいつまで?」
「えーっと、月末まで」
「あと20日か」
困ったなって顔。

「でも、来月の中旬には新しい勤務に就くから、2週間くらいしか休みはないの」
「そうだな」
何度も異動を経験してきた公の方が詳しいわよね。

「部長に話して勤務を軽くしてもらおうか?」
「はあ?」
冗談でしょ。それに、

「なんて言うの?」
俺の子供ができたって?
ああ、馬鹿らしい。

「やめてよ」
公らしくない。

「これからもっと辛くなるぞ」
「うん」
「お前1人の体じゃないんだぞ」
「大丈夫。分ってるから」
きっと、公は子供の心配をしている。

自分の遺伝子を大事に思ってくれているのか、妊娠させてしまった責任からなのか、それはわからない。

「無理はするなよ」
「うん」
「少しでもいいから、飯を食えよ」
「うん」
「あんまり怒るな」
「・・・」

「返事」
「約束できない」
世の中腹立たしいことがありすぎて、自信がない。

「でも、怒るな。きっと聞こえるから」

「うん。努力する」

公は、きっといいお父さんになる。
優しくて、怒ると怖い理想のパパ。
でも、私はダメ。
親になる自信なんて・・・ない。