12月。
毎年恒例、小児科の忘年会。
病院近くのイタリアンレストランで行われた。
「今年は随分おしゃれね」
隣の席に座った夏美につぶやいてしまった。
今まで参加した飲み会と言えば、居酒屋や中華、奮発してお寿司って言うのがほとんどだった。
こんな、イタリアンレストランを貸し切っての忘年会なんて始めて。
「部長のアイデアらしいわ。参加人数も40人を超えているし、若いスタッフも多いから、いいチョイスだと思うわよ」
「へー、部長がぁ」
確かに、おしゃれよね。
「山形先生、食べてますか?偏食かなんだか知らないけれど、しっかり食べて明日からも働いてくださいよ」
遠くの席から大きな声で話す部長。
フン、分ってます。
食欲不振は悪化の一途をたどり、最近ではめまいを起こすことのある私。
自分でもまずいなって思っている。
「先生どうぞ」
師長が赤ワインの入ったグラスを差し出した。
え?
思わず見つめると、
「部長が山形先生にって」
はあぁー、もう。
「先生、しっかり食べて飲んでください」
またまた部長の大きな声。
「はい。いただきます」
立ち上がって部長を見ると、嫌みたらしくお礼を言った。
クソッ。
小児科部長め。
私の事が気に入らないなら、かまわずに放っておいてくれればいいのに。
「紅羽、顔が怖い」
グラスのワインを流し込む私に夏美の突っ込み。
分ってます。
でも、笑って受け流せない私。
いつの間にか、アルコールの量だけが増えていく。
あちこちのテーブルで酔っ払いが大量発生しだしていた。
「もー、部長。ダメですよ」
部長を注意する師長の声。
私の耳は敏感にキャッチした。
見ると、ソファー席の隅で、看護師の肩に手をかけている。
看護師の方もやんわりと手をどけようとしてはいるけれど、部長は離そうとしない。
隣に座った師長も、当事者である看護師も愛想笑いを浮かべながら、部長をたしなめている。
なんなのよ。
もっとはっきり、ガツンと言ってやればいいのに。
「紅羽、やめなさいよ」
夏美が注意する。
私が出て行けばもっともめることぐらい、分っている。
「キャッ」
小さな悲鳴。
さっきまで肩にかかっていた部長の腕が、腰まで降りてきていた。
ああ、ああー、もう限界。
「やめてください」
真っ直ぐに部長の席まで来た私は、感情のこもらない声で言うと看護師の手を引いた。
ギロッ。
私を睨む鋭い視線。
「部長、これはセクハラです」
ここまで来たら遠慮することはない。
状況を理解した会場内は静まりかえる。
しかし、
「山形先生」
次に聞こえてきたのは哀れむような師長の声だった。
「せっかくの忘年会ですから」
先輩医師もそっと私の肩を叩く。
ええ?
嘘。
悪いのは私なの?
「すみません、私が変な声を上げたから」
看護師が頭を下げた。
「そんな・・・あなたは悪くなんか」
どうやら今ここは、私1人がアウェイらしい。
すると、
「山形先生、座って」
部長がソファーの隣をポンポンと叩いた。
「・・・」
みんなが見ているのが分っていて、私は動けない。
「早くっ」
少し強くなった部長の口調。
私は渋々腰を下ろした。
「お前、生意気なんだよ」
隣にいる私にしか聞こえない部長の声。
目の前には新しいワイングラスが差し出された。
「もう少し、女らしくしろ」
不機嫌そうに言う部長。
でも、私だってもう遠慮する気はない。
「らしくって何ですか?私、医者です」
「知ってる」
「だったら、医者に男とか女を求めないでください」
時代錯誤もいい所よ。
「お前を見てるとイライラするんだ」
グラスを空けながら吐き捨てる部長。
はあぁ?
そんなの私の知ったことじゃない。
「お前は・・・親父そっくりだ」
「は?」
今なんて?
部長なんて言った?
一瞬、私の頭が真っ白になった。
「どうして・・・」
「お前が大学に入って来たときから話題だったからな。当時を知る連中はみんな気づいてる」
「・・・」
「なんて顔だ。医者の世界の情報網をなめるんじゃない。ほら、いいから飲め」
ワインをつごうとする部長。
「いえ、もう」
「上司の命令だ飲め」
「部長」
仕方なく、私はワインを口に運ぶ。
最悪。何なのよ、このおっさん。
それよりも
「父をご存じなんですか?」
「ああ。みんなお前の親父のことが忘れられないんだ。もうじき生まれる子供と新妻を残して過労死なんて悲劇だろうが」
「確かにそうですね」
「それに、お袋さんも数年後に亡くなっただろ」
「ええ」
「同期の連中は何で助けられなかったのかって、ずっと気にしている」
「じゃあどうして、今まで誰も何も言わなかったの?」
「言えるか。お前がそんなに刺々しくしていれば、恨まれてるんじゃないかって気がして言えるわけがない」
「恨まれるようなことがあるんですか?」
「ない。でも、仲間のくせに助けられなかった。鬼部長に捕まって、真面目なあいつがボロボロなのが分っていて、助けることができなかったのは事実だ」
寂しそうな顔。
驚いた。
何で部長がとも思った。
でも、真実を聞いたからと言って心を許すことはできない。
今の私には、父を過労死に追いやった当時の部長も目の前の小児科部長も同じに見えるから。
「もう少しかわいげがあって器用にしていればいいのに。お前も馬鹿だな」
部長の辛そうで苦い顔。
この表情の意味がこの時の私にはわからなかった。
しかし、数日後。
突然の私に出た異動の辞令。
驚いた。どう考えても部長の差し金としか思えない。
そして、勤務医である以上従うしかないんだ。
毎年恒例、小児科の忘年会。
病院近くのイタリアンレストランで行われた。
「今年は随分おしゃれね」
隣の席に座った夏美につぶやいてしまった。
今まで参加した飲み会と言えば、居酒屋や中華、奮発してお寿司って言うのがほとんどだった。
こんな、イタリアンレストランを貸し切っての忘年会なんて始めて。
「部長のアイデアらしいわ。参加人数も40人を超えているし、若いスタッフも多いから、いいチョイスだと思うわよ」
「へー、部長がぁ」
確かに、おしゃれよね。
「山形先生、食べてますか?偏食かなんだか知らないけれど、しっかり食べて明日からも働いてくださいよ」
遠くの席から大きな声で話す部長。
フン、分ってます。
食欲不振は悪化の一途をたどり、最近ではめまいを起こすことのある私。
自分でもまずいなって思っている。
「先生どうぞ」
師長が赤ワインの入ったグラスを差し出した。
え?
思わず見つめると、
「部長が山形先生にって」
はあぁー、もう。
「先生、しっかり食べて飲んでください」
またまた部長の大きな声。
「はい。いただきます」
立ち上がって部長を見ると、嫌みたらしくお礼を言った。
クソッ。
小児科部長め。
私の事が気に入らないなら、かまわずに放っておいてくれればいいのに。
「紅羽、顔が怖い」
グラスのワインを流し込む私に夏美の突っ込み。
分ってます。
でも、笑って受け流せない私。
いつの間にか、アルコールの量だけが増えていく。
あちこちのテーブルで酔っ払いが大量発生しだしていた。
「もー、部長。ダメですよ」
部長を注意する師長の声。
私の耳は敏感にキャッチした。
見ると、ソファー席の隅で、看護師の肩に手をかけている。
看護師の方もやんわりと手をどけようとしてはいるけれど、部長は離そうとしない。
隣に座った師長も、当事者である看護師も愛想笑いを浮かべながら、部長をたしなめている。
なんなのよ。
もっとはっきり、ガツンと言ってやればいいのに。
「紅羽、やめなさいよ」
夏美が注意する。
私が出て行けばもっともめることぐらい、分っている。
「キャッ」
小さな悲鳴。
さっきまで肩にかかっていた部長の腕が、腰まで降りてきていた。
ああ、ああー、もう限界。
「やめてください」
真っ直ぐに部長の席まで来た私は、感情のこもらない声で言うと看護師の手を引いた。
ギロッ。
私を睨む鋭い視線。
「部長、これはセクハラです」
ここまで来たら遠慮することはない。
状況を理解した会場内は静まりかえる。
しかし、
「山形先生」
次に聞こえてきたのは哀れむような師長の声だった。
「せっかくの忘年会ですから」
先輩医師もそっと私の肩を叩く。
ええ?
嘘。
悪いのは私なの?
「すみません、私が変な声を上げたから」
看護師が頭を下げた。
「そんな・・・あなたは悪くなんか」
どうやら今ここは、私1人がアウェイらしい。
すると、
「山形先生、座って」
部長がソファーの隣をポンポンと叩いた。
「・・・」
みんなが見ているのが分っていて、私は動けない。
「早くっ」
少し強くなった部長の口調。
私は渋々腰を下ろした。
「お前、生意気なんだよ」
隣にいる私にしか聞こえない部長の声。
目の前には新しいワイングラスが差し出された。
「もう少し、女らしくしろ」
不機嫌そうに言う部長。
でも、私だってもう遠慮する気はない。
「らしくって何ですか?私、医者です」
「知ってる」
「だったら、医者に男とか女を求めないでください」
時代錯誤もいい所よ。
「お前を見てるとイライラするんだ」
グラスを空けながら吐き捨てる部長。
はあぁ?
そんなの私の知ったことじゃない。
「お前は・・・親父そっくりだ」
「は?」
今なんて?
部長なんて言った?
一瞬、私の頭が真っ白になった。
「どうして・・・」
「お前が大学に入って来たときから話題だったからな。当時を知る連中はみんな気づいてる」
「・・・」
「なんて顔だ。医者の世界の情報網をなめるんじゃない。ほら、いいから飲め」
ワインをつごうとする部長。
「いえ、もう」
「上司の命令だ飲め」
「部長」
仕方なく、私はワインを口に運ぶ。
最悪。何なのよ、このおっさん。
それよりも
「父をご存じなんですか?」
「ああ。みんなお前の親父のことが忘れられないんだ。もうじき生まれる子供と新妻を残して過労死なんて悲劇だろうが」
「確かにそうですね」
「それに、お袋さんも数年後に亡くなっただろ」
「ええ」
「同期の連中は何で助けられなかったのかって、ずっと気にしている」
「じゃあどうして、今まで誰も何も言わなかったの?」
「言えるか。お前がそんなに刺々しくしていれば、恨まれてるんじゃないかって気がして言えるわけがない」
「恨まれるようなことがあるんですか?」
「ない。でも、仲間のくせに助けられなかった。鬼部長に捕まって、真面目なあいつがボロボロなのが分っていて、助けることができなかったのは事実だ」
寂しそうな顔。
驚いた。
何で部長がとも思った。
でも、真実を聞いたからと言って心を許すことはできない。
今の私には、父を過労死に追いやった当時の部長も目の前の小児科部長も同じに見えるから。
「もう少しかわいげがあって器用にしていればいいのに。お前も馬鹿だな」
部長の辛そうで苦い顔。
この表情の意味がこの時の私にはわからなかった。
しかし、数日後。
突然の私に出た異動の辞令。
驚いた。どう考えても部長の差し金としか思えない。
そして、勤務医である以上従うしかないんだ。