夕方。
今日は部長がいないお陰で、私は定時で上がることができた。
翼のことが気がかりだけど、とにかく自宅のソファーで横になりたくて寄り道もせずに帰ってきた。


「お帰り」

え?

先に帰っていた公に声をかけられ、驚いた。
それに、すごく良い匂い。

「肉じゃが作ったの?」
カバンも置かずに鍋の中をのぞき込んだ。

「ああ。サンマの塩焼きとキュウリの酢の物もあるぞ」
「すごい和食ね」

ククク。と意味ありげに私を見る公。

「何?」
「どうせ、俺がいないと飯食ってないだろう?」
「え、そんなこと・・・」
言葉に詰まった。

確かに、公が側にいなくなってから私の食生活は完全に乱れた。
朝は菓子パンかコーヒーのみ。
お昼はサラダとサンドイッチ。
なんて、ホントは忙しくてチョコやクッキーをつまんで終わることが多い。
そして、夜はスーパーで買った総菜で1人チューハイを飲む。
不健康きわまりない生活。
当然、仕事に出ても体調不良。
良くないとは分っていても、1人だと何もする気にならない。

「今日はたらふく飯を食わせてやる。もうすぐ渚も帰ってくるから、一緒に食うぞ」
「公・・・」

今日一日病院で勤務した公は、翼の噂を聞いたはず。
だからこそ、こうして夕食の準備をしてくれている。
いかにも公らしい。
私は、ありがとうって言葉を飲み込んだ。


「お疲れ」
「お疲れ様」
「いただきます」
チーンッ。とグラスが鳴って、3人の夕食。

「旨そうですね」
翼がサンマに箸をつける。

「ああ、いつも山の中にいるからな、魚に餓えている」
真顔で言う公だけれど、これは冗談。
サンマなんてどこででも買えるから。

「どんなところに住んでいるんですか」
翼の突っ込み。
疲れた顔はしているけれど、なんとか笑ってる。

「いいから食え。飲め。ビールも冷えてるから」

翼は黙ってビールを口にした。

そして、私の前に置かれたご飯。

「・・・」
思わずムッとしてしまった。

「いいから、たまには無理してでも食え」
「ええー」

そういえば、実家での食事も和食中心だった。
父さんが厳しくて、いくら母さんが減らしてくれても「全部食べなさい」と残させてはくれなかかった。
大学生になり、1人で暮らすようになって、私はご飯を食べなくなった。
そして、公が家に来るようになり、またご飯を食べさせられた。


うえ、やっと食べた。

「はい、ごちそうさま」
お茶碗をチェックしてからビールを差し出す公。

「もー、お腹いっぱいだよ」
恨めしそうに言ってみたけれど、
「じゃあ、もう飲まない?」
「・・・飲む」

ククク。
公が笑っている。

「・・・ありがとうございます」
公のグラスにビールを注ぎながら、翼がしおらしくお礼を口にする。

「バーカ」
私達の前でしか見せない辛口の公。

なんだかんだ言って、公は翼を信頼している。
そうじゃなければ、私がここに住むことをよしとするはずがない。
端から見ればおかしな関係だけれど、私たちにとっては絶妙のバランス。
この生活を失いたくないと本気で思う。

「そういえば、救命部長は大丈夫だったの?」

翼は気づいていなかったかもしれないけれど、ずっと機嫌が悪かった。
ものすごい顔で翼のことを睨んでいたんだから。

「帰りに呼び出されて、説教された。当分ドクヘリ禁止だってさ」

はあぁ。
それは、お気の毒様。

「それってペナルティーになるのか?」
内科医の公が不思議そうな顔をする。

「まあ、俺にとっては十分なお仕置きですね」
翼はグラスのビールを一気に空けた。

確かに、救命の現場が好きな翼にとってはドクヘリに乗れないのは辛いだろうな。
救命部長もよくわかっている。

「いいチャンスだ。少しは化けの皮をはがせ。いっつもいい顔していたんじゃ疲れるだろう」
同情的に言う公だけれど、
「先生が言っても説得力ありませんね」
やはり、翼が突っ込んだ。

いつも優しくて、患者さんにもスタッフにも人気の公だって、十分外面がいい。
翼のこと言える立場ではない。

「2人とも目くそ鼻くそね」
私なりに上手く言ったつもりだったのに、

「何だよ、もっと綺麗な表現できないのかよ」
翼がふくれる。
公は渋い表情で私を睨んでいる。

学生時代から友達が少なかった私の、唯一の親友と、初めてまともに付き合った彼氏。
2人はとても似ている。
一見人当たりが良くて、優秀で、それでいてなかなか人を信じない。
素直じゃない屈折した性格も同じ。

「紅羽、酒ばかり飲むな。ちゃんと何か食わないと体に悪いって」
「あー、枝豆の皮をテーブルに置くなー」

「も-、2人ともうるさい」
「「紅羽」」
男2人の声が重なった。

本当に、保護者が2人ついているみたい。

でもこうして、翼を気遣ってくれる公がたまらなく好き。
自分で思っている以上に、私は公に惚れている。