「うー、気持ち悪い」
朝から胃がムカムカする。

結局、一睡もすることなく水だけ飲んで私は出勤した。
同じだけ飲んだはずの翼は全くいつもと変わらない顔をしていて、つきあってあげた私としてはなんだか悔しい。


「山形先生、顔が怖ーい」
病棟ですれ違った子供にまで言われてしまった。

・・・まずいな。

「2日酔い?部長が出張で良かったわね」
夏美の嫌み。

フン。どうせ。

完全に部長に目をつけられてしまった私は、小児科の中では問題児扱い。
今だって
「山形先生、顔が死んでる」
入院中の小学生にからかわれている。
ったく、今時のガキは・・・

「でも、翼はもっとヤバそうよ」
えっ?

夏美の言葉に、顔を上げた。
「やっぱり?」
「うん」

正直、今日は休むかもって思っていた。
今の状況は翼にとって針のむしろのはず。
何とか早急に騒ぎが収まってくれれば良いけれど。



その日の夕方、私は救急外来に呼ばれた。

時刻は午後6時。
ちょうど開業医の受付が終わる時間とあって、かなりの患者で混雑している。

「山形センセー、お願いします」
すぐに看護師から声がかかり、熱で元気のない赤ちゃんの診察をした。

「お母さん、ミルクは飲めますか?」
「いえ、あまり」
「そうですか、水分は?」
「飲めています」
「じゃあ、無理せずに少しずつ水分を取らせてあげてください。今夜分の薬と座薬を出しますから明日外来に来ていただけますか?」
「はい」

何か変わったことがあれば救急を受診するようにと念を押し、私は赤ちゃんの元を離れた。


あれ?
みんなが遠巻きに翼を見ている。

「なあ、検査急いでよ」
不機嫌丸出しの翼。
「待ってください。今、準備します」
若い放射線技師は慌てている。
「だから、急いでっ」
はあ、随分荒れてるわね。


「ねえ、小児科呼んでって言ったよな」
今度は研修医へ。
「呼んでます」
「じゃあ何で来ないんだよ」

あー、もう。
「はい、来ましたよ」
「遅えよ」
プイと向きを変えた。

そのまま背を向けて離れていった翼。

今度は向こうの方で、

「だ、か、ら、何回同じこと言わせるのっ」
看護師に怒ってる。
「すみません」
若い看護師が謝る。
「すみませんはいいから、やることやってよ。タラタラやってたらいつまでたっても終わらないだろう」
すごーく感じが悪い。
間違ったことは言ってないんだけれど、キツすぎ。

「福井先生、ちょっと」
私は翼を呼び、腕をつかんで処置室のデスクまで連れてきた。

「何だよ」
ブツブツ文句を言いながらついてくる翼。

「何してるのよ」
「別に」
ふてくされた口調。

いつもそんな顔をしていれば、キャアキャアと追いかけられることもないのに。
でもね、これは本当の翼じゃない。

「よく見なさい」

私は、翼の体を180度
回転させた。

広い救急外来の処置スペース。
10数台のベットが並び、軽症者用の診察室も5つ。
今はどこも患者で溢れている。
みんな目の前の患者の治療に専念しながら、チラチラとこちらに視線を送っている。

特に、
こちらを睨み付ける放射線技師。
オドオドと萎縮気味の研修医。
目を潤ませ泣き出しそうな看護師。
みんな翼の不機嫌のせい。

「しっかりして」
ちょっとだけ本気で、お腹にグーパンチを入れた。

「うっ」
小さな声を上げて、翼が睨む。

「何があっても翼は翼なんだから、グラグラしないで。翼は救命医でしょう。そのあなたがみんなの仕事の足を引っ張ってどうするのよ」

「・・・」
翼は黙ってしまった。

数秒後、フッと穏やかな表情になって、

「すまない。どうかしてた」
パンパンッ。
自分で自分の頬を叩く翼。

よし、いつもの顔。

「目は覚めたのね」
「ああ」
優しい翼に戻っていた。

心配したとおり、周囲の目は変わってしまった。
本当の王子様ってバレてしまったから。

きっと翼は今まで以上にモテるだろう。
どんなに実力で頑張っても、「親の七光り」って言われるかもしれない。
仕事だってやりにくくなるのは目に見えている。
かわいそうだなあ。
あの時、そっと救急外来を出て行こうとした翼の気持ちがやっとわかった。

「翼、私あんたの偽カノだから、何かあったらすぐに言うのよ」
「はあ?何言ってるのお前」
呆れてる。

でもね、いいの。
翼は大事な友達だもの。

「翼をいじめる奴は私がやっつけてやる」
結構本気で言ったのに、
「バーカ。人のことよりも自分の心配をしろ」
おでこをコツンとはじかれてしまった。