公の辞令交付後も、私の生活にこれといった変化はなかった。
週に1度のうちの病院での勤務もそのままで、週末には必ず帰ってくる。
一時聞こえてきた退職の噂も、耳にすることはなくなった。
そもそも、公はいい加減に仕事を投げ出せる人間じゃない。
あの堅物が、自分を頼ってくる患者さんを投げ出して辞めるなんてありえないと思う。

「山形先生、お願いします」
キョロキョロと辺りを見渡す私に、看護師から声がかかった。

その日、たまたま呼ばれた救急外来。
患者は、けいれんを起こした男の子。
救急車で搬送されたときには症状も落ち着いていて、すぐに回復した。

「もう大丈夫ですね」
白衣を着た私が言うと、付き添ってきた母親は安堵の顔を見せた。

良かったとカルテ記載をしていると、

「アレー、福井先生」
救命部長の驚いた声。

見ると、割腹のいい男性が入ってきた。
救命部長の知り合いみたいだけれど、誰だろう?

「誰?」
近くの看護師に聞いてみる。
「さあぁ?近くで起きた車同士の接触事故で、念のための受診だそうですよ」
「へー」
随分、元気そうね。

「福井先生、大丈夫ですか?」
え?今度は副院長が降りてきた。

どうやら相当のVIPみたい。

「何者ですか?」
さすがに気になって、先輩医師に声をかけた。

「東欧大の学長だって」
「学長?」
「ああ。それに、日本医師会の重鎮らしい」
へー。
私にとっては雲の上の人ね。

あれ、翼がコソコソしてる。

「どうしたの?」
珍しく挙動不審な翼に近づいた。
「別に」
不機嫌そうな翼。
背を向けて、救急外来を出て行こうとする。

その時、
「オイ、翼。お前が診てくれ」
投げかけられた、福井学長の大きな声。

一斉にみんなの視線が集まった。

何?

「福井先生」
救命部長が、翼に手招きしてる。

どういうこと?
私は目で聞いてみた。

「親父だ」
えっ。
「お父さん?」
「ああ」

確かに、お金持ちだと思ってたけれど・・・

「翼、早く来いっ」
福井学長が、怒ってる。

「福井先生」
副院長にも呼ばれ、翼は仕方なさそうに向かって行った。

翼が診察し、レントゲンと湿布の指示。
みんなに注目されて、翼は不満そう。

本当ならもう少しことの経緯を見届けたいところだけれど、病棟に仕事を残してきた身としてはそんなことも言っていられない。
終始不機嫌そうな翼を残し、私は病棟に戻った。