翌朝。

「オーイ、朝飯作ったから来いよ」
階段の下から響く翼の声に誘われ1階のリビングへ降りた。

「お邪魔します」
うわー、美味しそうなフレンチトースト。

「どうぞ」
「いただきます」

うーん美味しい。
翼が作る料理って、本当に美味しい。
別に料理上手ってわけでもないのに、味や食感、火の通し加減がちょうどいい。
私が同じように作ってもどこか違うのは何でだろうって、考えたことがある。
そこでたどり着いた結論は、翼ってきっと舌が優秀なんだと思う。
それは才能とかじゃなくて、小さい頃から本当に美味しいものを食べてきたって事。
その料理に対する理想型を知っているから、それに近づけられる。
だから、翼の料理は美味しい。

「昨日、旦那早く帰ったな」
「あ、うん」

一緒に住んでいれば、気づかないわけないわよね。
今更誤魔化してもしょうがない。

「急変?」
「違う。喧嘩した」
「お前がまたわがまま言ったんだろう」

やっぱりそう思うのね。
まあ、事実だけれど。

ん?
翼がジッと見つめている。

「何よ」
「・・・別に」

何か言いたいって、顔に書いてあるのに。

「はっきり言いなさい。翼らしくないわよ」
とは言ったものの、翼らしいって何だろう。

「お前、何も聞いてないのか?」
「だから、何を」
つい、声が大きくなった。

「紅羽」
哀れむような翼の視線。

な、何なのよ。

「異動の話が、出てる」

ええ?

「それって・・・・公?」
「ああ」

うそ、嘘よ。
私、何も、聞いてない。

「フフフ。私ってよっぽど性悪だと思われているのかなあ」
だから、何も言わないのかなあ?
ちょっと自虐的に笑ってみた。

「裏表がなくてわかりやすい性格はお前らしいけど、人間そんなの真っ直ぐは生きられないんだ」

そんなこと、分ってる。
でも、これが私なんだから、どうもできない。

「異動って、どこ?」

「以前赴任していた山奥の診療所」
「えー。何で?もうお礼奉公は終わったはずでしょ」

公は地元医大出身の地域医療のエキスパート。
大学時代、地元からの奨学金で医者になったため、大学の在学年数かける1.5年間県内の僻地医療に従事するのが条件だった。
6年で順調に大学を卒業すれば9年間だし、1年留年すれば2年延びて11年のお礼奉公。
それが奨学金を受ける条件。
公はすでに9年間の勤務を終えたはず。

「どうして?」
「離島と山間部に派遣されていた医師が2人ドロップアウトしたらしい」

はあ?
そんなことすれば、学費の返済義務が発生する。
そもそも、1人の医者を育てるために2000万以上の費用がかかるといわれているし、競争率だって高い。
毎年数人の学生しか採用されない。
それを、途中でやめるなんて・・・・馬鹿にしてる。
でも、何で公?

「あの性格だからな、地元からの希望が強いらしい。もうじき、診療部長から正式に辞令が出てるって聞いた」

へー。
公なら受けそう。
でも、イヤだな。

「本当に、聞いてないのか?」
「う、うん」

聞いてないっていうか、言わせてあげなかった。
きっと、公は話したかったんだと思うのに、私は追い返してしまった。

「大丈夫か、お前ら」

大丈夫では、ないと思う。
考えてみれば、いつも私は公に甘えてばかり。
辛いことがあると愚痴って、怒って、泣いて、それでも公は抱きしめてくれた。
私は何もしてあげていないのに。