「そうなんだ。ほんの少し塩を入れてやると、甘さが引き立つんだよ。でも、親方と同じように加えているはずなんだけどな」

 なんども首をひねる信吉に、あかねは聞いてみた。

「その塩は、いかほど入れるのじゃ?」
「え? だから、ほんの少し……」

 あかねに尋ねられた信吉にも、はっきりとは答えられない。そもそも源造は長年の勘を使って、ほとんど目分量でなんでも作っている。それを横で見ながら弟子たちは仕事を覚えていくのだ。

「小指の先にちょこっと付いた塩を舐めても、えらく塩辛いであろう? そのごくわずかな差が、出来を変えているのかもしれんぞ」
「あっ!」
「なにせ『塩梅』という言葉があるくらいじゃからな」

 あかねの指摘を受けて、信吉は目玉が落ちそうなくらい目を見開いた。 
 まだ学生のような容貌の信吉を、あかねは目を眇めてみる。

「だいたい、おぬしは修行を始めて何年だ。源造の技を、まるっと盗み取れるほどの年月は経っておらぬのだろうて」

 それほど長くこの町にいれば、さすがにあかねも、信吉の存在に気づいていたことだろう。

「そろそろ三年になるかな」

 ゆっくり信吉が折った指の数は、あかねの予想よりもかなり少ない。驚きとともに呆れかえる。

「ならばまだ、それほど焦る必要はなかろう」

 一朝一夕で身に付くほど、松乃屋の味は浅くない。
 なぜか、あかねが得意げに胸を張る。

「それはわかっているよ。だけど、早く親方に認めてもらわなくっちゃあ、ダメなんだ」

 あかねは、ついさっきまで、餡子同様にぼんやりとしていた信吉の瞳に、決意の光の欠片をみた。
 その小さくも意外な強さに興味を惹かれ、ひとつ提案をする。

「ならば、こしらえた菓子の吟味を、妾がしてやろう」
「なんだって?」
「この舌には、初代から続く松乃屋の味が染みついておるからの。どこにも不都合はなかろうて」

 自信満々で言い放つあかねに、信吉は腹をくくった。

「そうだね、あかねさんは糸口を教えてくれたし。きみの舌は信じてよさそうだ。ひとりで悩んでいるより、ふたりのほうが違った見方もできるしね」

 ほんわりした笑顔が、信吉に戻ってくる。

「口に残る味のほうは、小豆の渋切りが甘かったのかも知れないな。よし、いろいろと試してみよう」

 明るい表情になった信吉に、あかねは満足そうにうなずいた。

「その調子で励むがよいぞ。妾はいつでもここで待っておるからな」

 仕事に戻らなくてはいけないと、信吉は勢いをつけて立ち上がる。鳥居をくぐる前に一度振り返り、あかねに大きく手を振っていった。

「信吉や。望みは、ひとつずつ叶えていくものよ」

 苦笑いを浮かべるあかねの後ろで、五本の尻尾がご機嫌に揺れていた。