近頃は、お尻の辺りがムズムズするから、もしかしたらもう一本、尻尾が生えてくるのかもしれない。
 初夏を思わせる日差しに、あかねは目の上に小さな丸い手でひさしをつくる。
 鳥居の上から望める川の土手に並ぶ桜は、ついこのまえ満開になり人間の心を沸き立たせていたのに、いまはもう、緑濃い葉っぱが薫風に揺れていた。

 学校帰りの女学生が賑やかにおしゃべりをしながら、鳥居の前を過ぎていく。話の内容は半分もわからなかったが、明るく弾む声は聞いているだけで楽しくなる。

 浮つく気持ちに自慢の尻尾たちが、ふさりふさりと拍子を刻んだ。
 その動きに合わせるように、カランカランと下駄の音が近づき鳥居をくぐっていった。

「おや、あれは」
  
 覚えのある顔を見留め、あかねはくるんと一回転をしながら飛び降りる。音もなく着地したときにはもう、白狐から少女へと姿を変えていた。

 信吉は拝殿の前に立つと、頭に巻いていた豆絞りの手ぬぐいを取った。長めの前髪が、はらりと顔にかかって邪魔そうだ。
 いつものように、賽銭箱の傍らへもってきた草餅を置くと、じゃらんと鈴を鳴らす。音に驚いた鳩たちが、いっせいに飛び立っていった。
 長い指の大きな手が、パンパンと小気味よい音をさせて柏手を打つ。
 そのまま頭を下げると、またも長いこと願掛けを始める。

 あかねはしばらく待ってみたが、いっこうに顔をあげるようすがない。しびれを切らし、つい「コン」と咳払いをしてしまった。

 ほかにだれかがいるとは思わなかった信吉は、拝むのを止めてキョロキョロとあたりを見回している。

「信吉とやらよ。願いを頼むときは、己が名と住まいを告げねばならんのだぞ」
「うわっ!」

 すぐ後ろに立つあかねにようやく気づくと、飛び上がらんばかりに驚いた。
 突然現れたあかねに、信吉は首を傾げる。

「お嬢ちゃん、ここの子かい?」
「あかねじゃ」

 齢四百に届こうかというあかねは、ぷぅと不満顔になる。
 そんなことは、もちろん信吉は知らない。
 この年頃特有の『おませ』さんなのかと思ったようだ。

「あかねちゃん?」

 まだあかねのご機嫌は戻らない。
 うーんと眉根を寄せて考え、信吉が言い直した。

「あかねさん」
「……まあ、よい」

 渋々、あかねは了承した。
 お許しを得た信吉が、さっきの助言の意味を尋ねる。

「名前と住所を言わないとダメって、本当かい?」

 うむ、とあかねが肯いた。

「おぬし、ここの氏子ではないであろう。なれば、きちんと名乗りを上げなくては、どこのだれかわからんではないか」

「へぇ、そういうもんなんだ。小さいのによく知っているね」

 奇妙な口調の少女を不審がるが、それよりも願い事のほうを優先したらしく、信吉はもう一度拝殿に向かい合う。

「この町の菓子屋、松乃屋で見習いをしております信吉というものでございます。お稲荷さまにお願い申し上げます――」

 ちょいちょいと、あかねが信吉の藍染めの作務衣の裾を引っ張る。

「なんだい? これからお願いをするんだから、邪魔をしないでおくれよ」
「信吉や、声には出さんで大丈夫じゃ」
「あれ、そうかい」

 信吉は、三度(みたび)拝みはじめた。