緑のある社といえども、夏の夜は暑い。
 まとわりつくような熱気と、絶え間なく鳴き続ける虫の音に、あかねは少々うんざりしていた。
 自慢のふさふさの尻尾を団扇代わりに、ばさばさと振ってみるが、熱い風しか起こらない。
 ぺたんと手足を広げ木床に腹をつけると、ほんの少しだけひんやりとして気持ちよかった。

 やっと眠りにつけるとほっとしたそのとき、拝殿の鈴がガランと音を立てた。
 風か? そう思っていると、今度は柏手を打つ音までしたので、あかねの三角耳がぴんと立つ。

「まさか、丑の刻参りではあるまいな」

 それはそれで面倒だと、さらに聞き耳を立てる。すると、よく知った声が頭の中に届いてきた。
 女童姿になり拝殿まで出ていくと、合わせた手をそのままに、老爺が顔を上げた。

「おや、あかね様。こんばんは」

 しわだらけの顔の中に隠れるような細い眼を、さらに細めて挨拶する。彼の者の頭髪は、もう三十年も前から見かけていなかった。

「久し振りじゃの、左之助や。このような夜中にいかがした」

 酒屋のご隠居、勝一の曾祖父の左之助の姿が、十六夜の月明かりにぼんやりと浮かび上がった。

「なに。ばあさん……ああ、嫁の(とよ)さんがな、出歩くなっていうからよ。こんな時間になっちまって」

 しゃんと伸びた腰は九十を超えたようには思えないが、着流した浴衣の袖や裾から覗く手脚は、枯れ枝の様に細い。

「そうか。しかし無理はいかんぞ。皆が心配しておる」

 昼間のおかみ連中の会話を思いだし灸を据えると、老爺は呵々と笑った。

「棺桶に片足を突っ込んでる老いぼれに、皆、気を遣いすぎなのさ」
「して、その死に損ないが何用じゃ」

 お灸がまったく効いていないようだ。あかねがぶっきらぼうに尋ねると、佐之助はふぅっと息を吐き、よっこらせと階に腰掛ける。
 懐に手を差し込んで白髪眉を寄せた。

「さすがに煙管はねぇや」
「あたりまえじゃ。煙など吸ってなにが楽しいのか、妾にはさっぱりわからぬわ」

 あいかわらず不機嫌なあかねに左之助は苦笑いで応え、居住まいを正す。

「実は、探し物をしておりまして。あかね様のお力を拝借したく……」

 夜夜中《よるよなか》にひとり、わざわざ社にまで出向いた理由を語り始めた。

 ――あれは、そう。八十年以上前のこと。
 まだ、黒い煙を吐く船が来る前。江戸のお城には徳川の殿様がいらして、髷を結った二本差しのお侍様が町中を我が物顔で歩いていたころの話。