びく、と艶と名乗った娘の顔が強張った。両替商であれば小判をぽんと出してもおかしくない。お付きの者がいることもあろうが、さすがに『姫様』はないだろう。

「わ、わたくし……よくわからないのです。本当に、ずっと志摩の屋で育ちましたし」

 いきなり少し前に、家から逃亡する羽目になったという。何でも殿様がその昔、手を付けたのが艶の母親だったとか。

「殿様が病で先が長くねぇから、お前さんを跡継ぎにって?」

「他に子がいないらしいのです。私を身籠った母は、たまたまお座敷で知り合っただけの芸者だったので、お抱えの両替商に下したそうです。でもその後、お子ができることもなく」

「じゃあとっとと城に上がっちまえば安心なんじゃねぇの」

「それを阻む勢力があります。卑しい座敷芸者の子の上、わたくしは女子。城に入ったとて、誰ぞと結婚せねば後は継げませぬ。殿はすでに内々に、他国の方に婚約を取り付けたようですが」

 他国の者といっても、武者修行に出ていた家臣の息子を呼び戻しただけらしいが。

「伊勢が言うには、藩主の座を狙っているのは現藩主の叔父君だとか」

「はぁっ? 藩主がくたばりそうなのに、何でその叔父がぴんぴんしてるんだ?」

 思わず叫んだ重実を、狐がぶん、と尻尾で叩いた。

「いえ、現藩主も、別にそんな老齢というわけでは。どうも昔から叔父君は藩主の座に執着があったらしく、現藩主を亡き者にする機会をずっと狙っていたらしいのです」

「ふーん。長い年月をかけて、少しずつ毒を盛っていったのか」

「気付いたときにはすでに遅く、でもそうなるとなおさら、叔父に藩主の座を渡すわけにはいかない。そこでわたくしの存在を明かしたそうです」