熱海温泉つくも神様のお宿で花嫁修業いたします

 

「……黙れ、ボロだぬき」

 花は思わず頬を赤らめたが、八雲は呆れたようにそう言うと、さっさと踵を返してつくもの中に戻ろうとする。

「あ……っ、あの……っ。八雲さん!」

 そんな八雲を、花が慌てて呼び止める。
 すると八雲はその場でピタリと足を止めて、低く重い声を出した。

「……なんだ」

「す、すみません。それと、あの……色々と、ありがとうございました」

 花からの突然の謝罪とお礼に、八雲が振り返って訝しげに眉根を寄せた。

「あと……昨夜も、薙光さんが話しを聞いてくれるように間に入ってくださって、本当にありがとうございました」

 花自身も、もうどれとどれに謝って、お礼を言っているのかわからなくなっていた。
 それでも今、どうしても八雲に「ありがとう」と伝えたかったのだ。

「八雲さんが庇ってくれて……その、あの……嬉しかったです……」

 花は頬にかかった髪を耳にかけながら、精一杯の想いを口にする。
 自分が今、何かとんでもないことを言っているのは気がついていた。
 そう思うと顔を上げていられなくなり、花の視線は自然と足元へと落ちていた。

「え、えっと……あの、その……」

「……どうして先程、薙光から心付けを受け取らなかった?」

 と、そんな花の心情を知ってか知らずか、不意に八雲は花に向き直ると、今度は自分の思うところを花にぶつけた。

「え……」

 突然の八雲からの問いに、花は弾かれたように顔を上げて固まってしまう。
 花がどうして、薙光からの心付けを受け取らなかったのか──。
 たった今問われた八雲からの質問を心の中で反復した花は、すぐに我にかえると今の正直な気持ちをそのまま、八雲へと打ち明けた。 

「ここを離れると思ったら……急に寂しくなっちゃったんです」

「寂しく……?」

 予想外の花の返事に、今度は八雲が驚いて目を見開き固まった。

「もちろん最初は、早く現世に帰りたいって思ってたんですけど……。でも今は、ぽん太さんや黒桜さん、ちょう助くんたちのおかげで、つくものことが大好きになりました」

 ようやく今、八雲を前に八雲がした質問の答えを告げられた。
 けれど本当は今、口にしたことだけではない。
 もちろん、今目の前にいる八雲のお陰もあるが、八雲を前にしてそれを口にする勇気は、今の花は持ち合わせていなかった。

 
 

「それに、今は付喪神様のことを知れて良かったとも思っています。みんな、私たち人とは違う世界を生きている神様だけど……。そんなみなさんから、学ぶことがたくさんあると感じています」

 そう言うと花は改めて、ここに来てから出会った数々の付喪神たちのことを思い浮かべた。
 ときどき人を驚かせたり、いつも自由気ままな神様たち。
 けれどいつでも自分の心に正直で、真っ直ぐな神様たちのお陰で、花自身も自然と自分の感情や涙を表に出せるようになっていた。

「みんな、私達と同じように家族を想って、恋をして、自分の生き方に誇りを持ちながら……今を生きてる。私みたいなひよっこは、そんな付喪神様たちから、まだまだ学ぶことがたくさんあると思うんです」

 そう言うと花は、背の高い八雲を真っすぐに見上げて会心の笑顔を見せた。

「だから、これからもここで八雲さんの嫁候補兼、仲居として働かせてください。そしていつか八雲さんにも……人も、案外捨てたもんじゃないなって思ってもらえたら、嬉しいです」

 大輪の花を咲かせたような、花の眩しい笑顔に八雲は見惚れた。
 そして、そっと瞬きをしたあとで──まるで息をするように、顔を綻ばせる。

「認めたくはないが──もう既に、思っているよ」

「え……」

「……いや、いい。それより──"花"。手を出してみろ」

 花、と。八雲が初めて面と向かって花のことを名前で呼んだ。
 これまでは「お前」と呼ばれることが常だったのに、不意打ちで名前呼ばれた花は思わず瞬きを繰り返して息を呑んだ。

 
 

「や、八雲さん、今私のこと──」

「いいから、早くしろ」

 けれど八雲は、感動には浸らせてくれない。
 花は仕方なく八雲に言われるがまま、両手のひらを差し出した。

「こ、こう……ですか?」

「ああ、しばらくそのままでいろ」

 すると次の瞬間、花の手の上にかざされた八雲の手のひらが光って、"あるもの"が現れた。
 そうして八雲はそれを、花の手の上に静かに乗せる。

「……受け取れ」

「え……。これ──」

 突然のことに花は驚いて目を見張った。
 そんな花を前に八雲は耳の先を赤く染めると、くるりと踵を返して背を向ける。

「この間、お前と大楠神社に行ったときに土産物屋のワゴンに立ち寄っただろう。そのときに偶然目に止まったから買ってみただけだ。……俺からのボーナスだと思って、受け取れ」

 相変わらずの、ぶっきらぼうな物言いだ。
 そんな八雲が花に渡したのは、幾何学模様の美しい寄木細工で作られた【手鏡】だった。
 鮮やかな葡萄色(えびいろ)と、目の覚めるような青貝色。加えて紅梅色の三色が、見事に木の木目に馴染んで伝統と近代とを結びつけた市松模様が美しい。

「……っ、」

 それは花以外の者が見れば、ただの寄木細工の手鏡に違いない。
 けれど、あのとき八雲が迷いなくこれを買ったのは──。
 きっと、これに使われている三色が、花をここへと導いた"彼女"のまとっていた色と同じだったからだろう。

「せいぜい、次は落として割らないことだな」

 そう言って、颯爽と歩き出した八雲の背中を見つめる花の目には涙が滲む。
 相変わらず、花からするといけ好かない男には変わりない。
 けれど今は、八雲が本当はとても優しい人なのだと知っている。

(ほんと、素直じゃないんだから……)

 段々と離れていく八雲の背中を見つめながら、花は思わず微笑んだ。
 残念ながら、素直じゃないのはお互い様だ。
 心の中で独りごちた花は、目に滲んだ涙を拭うと大きく息を吸い込んだ。

「付喪神になるまで、大事にします……‼」

 空は、快晴。
 今日も熱海の海は青く澄み渡っている。

 ──ここは、熱海にあるちょっと不思議な温泉宿。
 日常に疲れた付喪神様たちが、日頃の疲れを癒やしにやってくる、現世と常世の狭間にある温泉宿だ。

「フォッフォッ。みな、元気でよろしい」

 全国の付喪神の皆様、いつもお勤めご苦労様です。
 今日も熱海温泉♨極楽湯屋つくもは笑顔で、営業中です。




 『明日、あの世に嫁ぎます! 熱海♨付喪神様のお宿へようこそ』✽fin

 
 


 こんにちは、小春りん(Link)です。

 「明日、あの世に嫁ぎます! 熱海♨付喪神様のお宿へようこそ」を、最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。


 このお話は、もうずっと前から書きたいと思いながら、なかなか書けずにいたお話でした。
 地元、静岡の良さを小説にしたい!
 私は熱海出身ではないのですが、色々と熱海とはご縁があって仕事でもお世話になった場所でもあります。
 加えて、実は主人と出会ったのも熱海だったり……。
 親戚や友人、元同僚や上司が熱海に住んでいたりと、本当に熱海には勝手にご縁を感じております。

 私は、熱海が大好きです。静岡が大好きです。
 そんな気持ちを目一杯、この作品には込めました。

 これを読んでくださった方が、熱海に興味を持ち、私と同じく熱海を好きになってくれたり……。実際に、熱海を訪れてくださったら嬉しいです^^
 そして、明日からまたがんばろう、と。
 少しでも笑顔をお届け出来たのなら幸いです。

 最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました!

 どうか、この物語を読んでくださった貴方が、笑顔になれますように。
 極楽湯屋つくもを取り巻く個性豊かな面々に触れたことで、貴方の心が温まりますよう。
 私はそう、心から、願っています。


 貴方とこうして"繋がる(Link)"事が出来たことに。
 そしてこれからも貴方の周りに、笑顔が溢れますよう。
 精一杯の感謝と、愛を込めて。



2019.12.12 小春りん(Link)

 

【あらすじ】

 
『恋』と『職』に加えて、『住処』までもを
同時に失った丹沢 花(たんざわはな)は、真冬の熱海サンビーチで途方に暮れていた。
そんなときに突然、二本足で歩くたぬきに声を掛けられ、逃げる最中で思いもよらない場所に迷い込むこととなる。

──そこは、現世と常世の狭間にある温泉宿。
ひょんなことから日常に疲れた付喪神たちが集まるお宿で仲居をすることになった花は、何故か若旦那の嫁候補まで務めるはめになって……。

容姿は極上だが、いけ好かない若旦那である八雲(やくも)
モフモフな信楽焼たぬきの付喪神、ぽん太。
ライバルはパソコン!?宿帳の付喪神、黒桜(くろう)
人嫌いで見た目は子供の料理長・包丁の付喪神の、ちょう助。

個性豊かな付喪神たちや神様に出会うことで、花は素直になれなかった自分自身と向き合えるようになる。

じんわり、ほっこり。日本有数の温泉地【熱海】で、個性豊かな付喪神様たちと一緒に心温まるひとときを過ごす物語。

 

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