「あ……。そういえば、ぽん太さんたちに何もお土産を買わなかったけど、いいんでしょうか」
大楠神社の鳥居の前で来たときのように一礼をした花は、頭を上げるなりそう言って八雲を見た。
そのときだ。右脇の坂を上がった数メートル先に、小さなワゴンの出店が出ているのを見つけた。
ワゴンの前には【寄木細工】という文字が書かれていて、ご夫婦の店主が観光客向けにお土産品を売っているようだった。
「バスが来るまで、まだ少し時間ありますよね!? 私、あそこのお店を見てきてもいいですか!?」
「やめておけ」
けれど、ワゴンを覗きに行こうとした花を、八雲の呆れたような声が引き止めた。
「ものに、ものを買ってどうする。何より、熱海に住んでいるものに、熱海の土産など買っていっても意味がないだろう」
至極真っ当な意見だが、身も蓋もない言い方だった。
(こういうところが、可愛げがないというか、なんというか……)
花の不満は、また顔に出ていたのだろう。
「ふぅ」と長く息を吐いた八雲は、チラリと腕時計で時間を確認してから、「見るだけだぞ」と呟いて瞼を閉じた。
「え……いいんですか!?」
「ここで止めて、あとあと愚痴を言われたら敵わないしな」
これも先程、稲荷社への参拝を止めたことへの八雲なりの譲歩なのだろう。
土産を見ることはよくても、稲荷社への参拝はダメというのはどうにも腑に落ちないが、理由を聞けないのだから仕方がない。
「但し今言ったとおり、熱海に長く住んでいるあいつらに、熱海土産など必要ないということだけは頭に入れておけ」
と、再度八雲に釘を刺された花は、「わかりました」と返事をしてからワゴンへと向かった。
「いらっしゃい。おふたりは、カップルさん? それとも私達と同じようにご夫婦かしら?」
ワゴンの前に立つなり、早速声をかけてきたのは店主の妻のほうだった。
快活な笑顔が印象的な、可愛らしい女性だ。
「え……と、一応、まだ夫婦ではない感じです」
まだ、大楠神社からそう離れていない。
いつ、どこでどんな神様が聞いているかわからないと考えた花は、苦笑いを零しながら質問に答えた。
「あら、そうなのね! でもこんな色男と結婚できるなんて羨ましいわぁ」
元気な奥様だ。バンバン!と肩を叩かれた花は、ほんのりと頬を赤く染めながら再び苦笑した。
「こちらのお店は、熱海の名産品を売ってるんですか?」
「まぁ、そういう感じのものも売ってるけど、基本的には寄木細工をベースにして私達が作った工芸品を扱ってる感じ。だから、どれもオススメの一品よ」
「寄木細工……」
花も名前だけは聞いたことがある。
確か、熱海からそう遠くない箱根の伝統工芸品として有名なものだ。
花が以前テレビで見た寄木細工は小さな箱だったが、ここのワゴンに並んでいるのは箱だけではなく、アクセサリーやコースター……食器を運ぶためのトレーなど、多種多様なものだった。
「どれもすごく綺麗だし、可愛いですね……」
思わずしゃがみ込んで、じっくりと商品を眺める花の隣で、八雲は店主の主人と何かを話し込んでいた。
「ありがとう。私はこの、寄木細工独特の幾何学模様に魅了されてね。日本の伝統工芸でありながら、より多くの人に手に取ってもらえるものが作れないかっていつも模索してるのよ」
「──お買い上げ、ありがとうございます」
そのとき、隣の八雲が何かを店主の主人から受け取った。
花は弾かれたように顔を上げて八雲を見たが、八雲は既に購入したものをボディバッグの中にしまいこんだあとだった。
「えっ! 八雲さん、何買ったんですか⁉」
「……なんでもいいだろう。……ああ、そろそろバスの時間だ。行くぞ」
そう言うと、八雲は改めて店主たちに頭を下げると、さっさと踵を返して行ってしまう。
自己中心的にも程がある。そう思いつつ、花は八雲に従うしかなかった。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ……! すみません、ありがとうございました……!」
慌てて花も店主のご夫婦に頭を下げて、ワゴンをあとにした。
八雲と花がバス停に戻ってすぐ、バスが到着して、ふたりは揃って乗り込んだ。
目的地はつくもの最寄りのバス停である、熱海サンビーチだ。
花は自分に散々何も買うなと言っておいて、自分はちゃっかり何かのお土産を買った八雲を、恨めしそうに眺めた。
八雲はあのワゴンで、一体何を買ったのだろう。
そう思った花は再度八雲に尋ねようか試みたが、どうせ教えてはもらえないだろうと諦めた。
「……また大楠神社に行ったときには、あのご夫婦のワゴンに会えますかね?」
「運が良ければ会えるだろうな」
さらっと言った八雲は瞼を閉じて、悪びれる様子もない。
(少し前までは、こんなふうに言われたら腹が立って、食ってかかってたけど……)
今は不思議と、嫌な気はしない。
それどころか、何故か居心地の良さのようなものを覚えている自分に気が付き、花はそっと窓の外へと目を向けた。
「……今日は、楽しかったです。ありがとうございました」
ぽつりと零された言葉に、八雲がゆっくりと目を開けて花を見た。
けれど花は振り返らずに、ひたすらに熱海の景色を眺めている。
どこまでも続く水平線と凪いだ水面は、陽の光を反射してキラキラと輝いていた。
それは来るときにも見た景色と同じはずなのに、どうしてか今のほうが格別に美しく感じることができた。
「……楽しめたようなら良かった」
やわらかな声に驚いた花は、窓越しに映る八雲の笑顔に目を見張った。
トクリと跳ねた鼓動に答えるように、きゅっと膝の上で拳を握りしめた花は、心を落ち着けるために短く息を吐いた。
バス特有の、ゆらゆらとした穏やかな揺れが心地よい。
そっと目を閉じた花は瞼の裏に八雲の笑顔を浮かべると、ひとり静かに微笑んだ。
五泊目 ♨ 国宝と、だいだいデザート
「はぁ……もうすっかり春だなぁ」
青い空を桜の花弁が踊るように泳ぐ朝。
柔らかな日差しに目を細めた花は、今日も玄関前の掃き掃除をしながら独りごちた。
深く息を吸い込めば、春に咲く花々と草木の香りが身体に染みる。
青々とした緑を茂らせる木々は美しく、つくもの庭を彩っていた。
「こうして見ると、外観は普通の温泉宿なんだけどなぁ……」
再び独りごちた花は改めて、背後に建つ【つくも】を振り返った。
たとえばここが現世なら、つくもはそれなりに敷居の高い老舗温泉宿に違いない。
実際、花がここに初めて訪れたときには、趣のある佇まいをした歴史あるお宿だと思ったくらいだ。
けれど蓋を開けてみたらビックリ。
敷居が高いどころか付喪神専用の温泉宿で、挙げ句の果てに、花は現世と常世の狭間に迷い込んでいることを知らされた。
その上、宿の従業員である付喪神の策略のせいで宿泊代金を払うことができず、若旦那の嫁候補兼仲居として働くはめになった。
まさか支払いに、現世に流通している現金が使えないというのは盲点だった。
ある意味キャッシュレスの時代に遅れを取らず、ポイント制を導入しているあたりシステムは最新だが、花からすれば迷惑千万にも程があった。
しかし、そんな浮世離れしたこの場所に、当初は戸惑っていた花も今ではすっかり受け入れ体制になっている。
花はふと冷静になると、そんな自分に頭が痛くなることもあるのだが……。
(でもまぁ……別に、命の危機を感じるような怖い目にあってるわけでもないし、つくもでの生活に何か困ってることがあるわけでもないし……)
寧ろ、毎日三食、一流の料理人が作ったご飯にあやかり、幸せな日々を送っていると言ったほうが良いかもしれない。
加えて仕事終わりには良質な熱海の天然温泉に浸かって疲れを癒やし、清々しい畳の香りに包まれつつ、ふかふかの布団で眠るという【極楽湯屋】の名の通り、まさに極楽生活だ。
現に花はここへ来て、前職を退職するまでの約一ヶ月で心労により落とした体重を、元に戻した上に、そこからプラス2キロも増やして肉付きを良くしていた。
更にバランスの取れた食事に規則正しい生活と、良質な温泉の効果か肌のコンディションはここ数年で最高と言っても過言ではない。
(たまに、熱海観光にも出掛けられてるし……)
心のリフレッシュもできている。ある意味、現世にいた頃より心身ともに健康的になっていた。
(八雲さんとも、最初は衝突ばかりだったけど……今は、それだけではない……もんね)
そっと胸に手をあてた花が思い出すのは先日、八雲とふたりで出掛けたときのことだ。
ぽん太に言われて大楠神社に出向いたふたりは、無事に弁財天と弁天岩への挨拶を済ますと、仲良くつくもに戻ってきた。
途中、ほんの少し不穏な空気にはなったものの、総じて見たら『楽しかった』という感想で間違いない。
出会った当初はまさかあんなふうに、ふたりで出かけてカフェのテラス席で向かい合って談笑するまでの仲になるとは花は想像もしていなかった。
(仲居を辞めるまでの一年間で、八雲さんとまた一緒に大楠神社にも行けるかなぁ……)
帰り際、花は弁財天と弁天岩に、『また来ます』と言ったものの……。つくもにいる内に、その言葉を叶えられるのか、ふと宙を見上げて考えた。
もし叶えられたらその際には是非、八雲オススメの生姜入り甘酒を飲んでみたい。
同時に八雲の穏やかな笑みを思い浮かべた花は自分の胸の鼓動が高鳴るのを感じて、ギュッと胸の前で拳を静かに握りしめた。
「ふぅ……」
「──花っ! アンニュイな溜め息などついている場合ではないぞ!」
そのときだ。ポンっ!という効果音とともに花の目の前にぽん太が現れた。
花は反射的に目を見張りこそすれ、最初の頃のように声を上げて驚かない。
付喪神たちの不意打ちの登場に慣れてしまったのだ。
対して、珍しくソワソワと落ち着かない様子のぽん太は、周囲に汗を飛ばしていた。
「どうかしたんですか?」
花が冷静に尋ねると、ぽん太は「どうかしたなんてもんじゃない!」と答えてモフモフの尻尾をブンブンと激しく左右に振った。
「久しぶりに、あの御一行様が来るんじゃよ!」
「あの御一行様?」
「【薙刀 銘 備前国長船住人長光造】御一行様のことです」
落ち着きのないぽん太の代わりに答えてくれたのは、ふらりと現れた黒桜だった。
口元に柔らかな笑みを浮かべた黒桜は、今日も相変わらず黒い着流しをまとっている。
「な、なぎなためいびぜんのくに……? え?」
たった今、黒桜から聞かされたお客様の名前を反復しようとした花は、危うく舌を噛みそうになった。
「薙刀 銘 備前国長船住人長光造です」
「な……なんだかすごい名前ですね」
多分、これまでつくもに訪れた付喪神の中でも最長記録だ。
花は再度、頭の中でたった今聞いた名前を反復しようとしたが、もう最初の四字ほどしか覚えておらず諦めた。
「薙刀 銘 備前国長船住人長光造は、鎌倉時代に製作された、国宝でもある貴重な薙刀なのですよ」
「え……っ、こ、国宝⁉」
「ええ。その薙刀の付喪神が率いる御一行様が、数十年に一度の周期で、ここつくもに泊まりにくるのですが……。それがまさに先ほどご連絡をいただきまして、来週末にいらっしゃることになったのです」
黒桜はニッコリと笑って答えたが、花は「そうなんですね!」と軽々しい返事はできなかった。
名前だけでもすごいとは思ったが、まさか国宝だとは夢にも思わなかったのだ。
たった今、黒桜は鎌倉時代に作られたものだと言ったが、それは何百年前のことなのかと花は首をひねって考えた。
(ダメだ。とにかく、すごいということしかわからない……)
国宝に指定されるほどのものなら、歴史的価値は計り知れないに違いない。
そもそも国宝と呼ばれるものを実際に見たことのない花は、まさかここ、つくもで初めて巡り合うことになるとは思わなかった。
「御一行を率いてくるのは薙刀の付喪神、薙光殿です。薙光殿は姿・作柄ともに美しく、地刃の出来が優れた薙刀なんですよ」
やけに刀に詳しいらしい黒桜は、意気揚々と花に説明をしてくれる。
「薙光殿の器である薙刀は、実戦で使われた消耗品であるにも関わらず保存状態が非常に良く……。そもそも鎌倉時代の薙刀については現存すること自体が貴重ということで、本当に奇跡の薙刀と言っても過言ではありません」
「へ、へぇ〜」
「そんな薙光殿が率いる御一行は、普段は熱海の隣の隣の市町村の、とある美術館にお勤めされているのです。薙光殿以外のみなさんも、それぞれ国の重要文化財だったりと、名だたる名刀ばかりなのですが……。まぁ、つまるところ、御一行のみなさんは、同じ美術館で働く同僚関係ということですね」
何故か嬉々とした表情を浮かべた黒桜の説明に関して、花は半分以上がちんぷんかんぷんだったが、とにかくすごい付喪神御一行様だということだけは理解した。