カーテンのすき間から差し込んだ朝日が、まぶたを刺激した。閉じていても目に刺さるその光が、俺の意識を急速に浮上させていく。
「う……ん……」
 喉の奥から絞り出されたうめき声とともに、俺はまぶしすぎる光から逃げるように寝返りを打った。
 夏の太陽は、朝から容赦ない。まだ七月上旬だというのに、カーテンのすき間から差しているとは思えない圧倒的な光量と熱量で、こちらの安眠を妨害してくる。
「…………。だ~、くそ! 暑い!」
 二度寝をあきらめ、再び寝返りを打って仰向けになり、ベッドの上で大の字になる。暑さを自覚した瞬間、全身から汗が噴き出てきた気がした。
 これだから、夏の朝は好きになれない。このうだるような暑さは、もはや太陽からのいじめだと思う。これから数か月に渡ってこんな朝が続くかと思うと、それだけで気が滅入(めい)ってくる。
 最終的には目覚ましアラームに起こされるわけだから、それまでは心安らかに寝かせておいてほしい。それくらいのワガママは、許されてもいいと思うんだけどな。
 そんなことを考えていたら、〝じゃあ起こしてやろう!〟と言わんばかりに、枕もとでスマホのアラームが鳴り始めた。
「はいはい、もう起きてますよ~」
 誰に対して言っているのかわからない返事をしながら、スマホのアラームを切る。スマホの画面には、【7月7日 6:20】と表示されていた。
 大きなあくびをして、のそりと体を起こす。心なしか、体が重い。
 当然か。カレンダー通りなら、今日は本来休みであるはずの日なのだから。
 今日はこれから、土曜日にもかかわらず学校で模試を受けなければならないのだ。つい三日前に期末テストが終わったばかりだというのに、これでは気が休まるヒマもない。学校側としてはそれが狙いなのかもしれないけど、もう少し配慮があってもいいと思う。
「さっさと準備すっか……」
 ため息交じりに頭をバリバリとかきながら、とりあえず朝飯のメニューを考える。
 今、この家には俺ひとりしかいないんだ。岩石を研究する地質学者の両親が、一週間前から毎年恒例のフィールドワークに出ているから。いつもは勤めている大学の夏休み期間に行くんだけど、今年は〝サバティカル〟とかいう研究用の休暇をもらったらしく、一か月前倒しで出掛けていった。「八月半ばまで帰らん!」とのことだ。
 そんなわけで、今は家の中のことを全部俺がやらなくちゃいけない。もちろん、食事の準備も。
 とりあえず制服に着替えたら、まずは顔を洗うために洗面所へ行く。鏡に向かうと、眠そうなせいで人相(にんそう)が三割増しで悪くなった自分と対面した。
 ナチュラルといえば聞こえはいいけど、実際は無造作にとかしてあるだけの黒髪。やや日に焼けた、これといって特徴らしい特徴のない顔立ち。まごうことなき、十七年近く見慣れた俺の顔だ。
 ふと気まぐれに、鏡の前でさわやかさを意識してほほ笑んでみるが……うん、にやにやしている顔が普通にキモい。
 おとなしく真顔に戻って、それほど冷たくもない水を顔に引っかける。たいして気持ちよくもないけど、それでも目ははっきりと覚めた。
 顔やら意識やらがさっぱりしたら、キッチンで朝食の用意をする――ことはせず、俺は通学カバンを持って家を出た。玄関のドアを開けると同時に、(せみ)の大合唱と熱気が俺の体を包み込んだ。
 一応言っておくけど、朝食を抜くことにしたとか、コンビニで済ませることにしたとか、そういうことじゃない。ただ、うちのキッチンでは朝食を作らないというだけだ。
連城(れんじょう)〟という表札がついた門扉(もんぴ)をくぐり、家の前の道路に出た俺は、そのまま隣に建つ一軒家へ入る。同じ建売り分譲(ぶんじょう)住宅なので、外観は我が家とそっくりだ。太陽から逃げるように玄関先にたどり着いた俺は、家主から預かっている合鍵(あいかぎ)を使って家の中に入った。
 家に上がり込むと、うちとまったく同じ造りのキッチンに直行し、慣れた手つきで冷蔵庫を開ける。今朝は洋食の気分なので、朝食のメニューはピザトーストとカットしたバナナを入れたヨーグルト、スクランブルエッグとウィンナーに昨晩の残りのポテトサラダだ。あとは彩りにプチトマトも加えておく。
「うっし! 完成っと」
 それをふたり分用意し、ひとり分を冷蔵庫へしまって、朝食と書いたメモを貼りつける。それができたら、自分の分をリビングに運んだ。
 テレビをつけ、朝のニュース番組を流しながら、でき立ての朝食を平らげていく。
 我ながら、今日も上手にできました!
 ――なんて、自画自賛(じがじさん)をしていたときだ。
《続いては、こちらの話題です。今月二十八日に迫った皆既月食! 各地の天文台では、夏休み期間中の天体ショーとあって、観測イベントに申込者が殺到しているようです!》
 テレビで女性キャスターが、ハキハキとニューストピックを読み上げる。
 つられてテレビに目を向けると、映像が切り替わって赤黒く(かげ)った月が映し出された。
 瞬間、俺は食べたばかりの朝食を吐きそうになり、あわててテレビを消した。動悸(どうき)が激しくなった胸を押さえ、全力で走ったばかりのように荒い息をつく。
「……っ。んっ……。……危ねぇ。マジで吐くところだった……」
 おさまってきた動悸と吐き気にほっとしつつ、ソファーに深く座って息を整える。
 朝からひどい目にあった。あの番組と女子アナが悪いわけじゃないってわかっているけど、ちょっと勘弁してほしい。
「……おはよ、大和」
 俺が恨みがましい視線を黒い画面に向けていると、静かになったリビングに寝ぼけた感じの声が響いた。
 声のした方に振り返ると、()せ気味のちっこいやつが、目をこすりながらこっちを見ていた。
「おっす。なんだ雪乃、今日はえらく早起きだな」
「ん……。ちょっとあんたに用あったから……、起きて……。…………」
 しゃべっている途中で、立ったまま寝やがった。だから夜更かしはほどほどにしろって、いつも口をすっぱくして言ってるのに……。
 こいつは、真上(まかみ)雪乃。赤ん坊のころから一緒に育ってきた同い年の幼馴染みで、この家の主だ。顔立ちはいいのに、伸ばし放題でボサボサの髪にネット通販で買ったダボダボのスウェット姿、化粧っ気とは無縁なすっぴん顔という、ちょっと残念な出で立ちの女である。
 ちなみにこいつ、現在は高校に進学せず、絶賛引きこもり中。この二年間、一度も家から出ていない。
 よって、食材の買い出しなんかは、ずっと俺がやっている。ついでに炊事洗濯掃除も……。俺がこの家の合鍵を持っていて、こっちで朝食を作ったのも、これが理由だ。
 おかげで俺の家事スキルは、この二年でメキメキ上昇。ありがたくないことに、今や母親から花嫁修業免許皆伝と言われるまでになった。
「おーい、雪乃。起きろー。こんなところで立ったまま寝たら、怪我するぞ」
「……む」
 頬を軽く叩いてやったら、ようやく少しだけ目を開けた。けどこれ、またすぐに寝そうだな。
「とりあえず顔洗ってこいよ。それと朝飯はどうする? すぐ食うなら、用意するぞ?」
「ごはんはいい。あとで食べる。顔も……べつにいい。用件言ったら、すぐ寝るし」
「さよか。なら、用件とやらをさっさと言ってくれ」
 登校までそんなに時間もないので、急ぐように促す。
 すると雪乃は、のっそりした動きでふたつ折りにしたメモ用紙を差し出してきた。ひとまず受け取っておく。
「……よろしく」
「――って、おい! それだけかよ!」
 雪乃はメモを渡しただけで、のそのそとリビングから出ていった。説明などは一切なし。眠いからって、手抜きしすぎだろ!
 ともあれ、ひとまずメモに目を通す。どうやら昨日の夜のうちに用意してあったようで、しっかりとした文字で用事とやらが書いてあった。内容は……ちょっとしたおつかいだ。
「はいよ、了解」
 雪乃が上がっていった二階に向かって、苦笑のまま返事をしておく。
 メモを制服のズボンにしまった俺は、食器を洗って歯を磨き、リビングのソファーに置いてあったスクールバッグを手に取った。
「そんじゃあな、雪乃。行ってきます!」
 返事がないのはわかっているが、雪乃に呼びかけて真上家をあとにする。
 時間は朝八時を回ったところだというのに、空を見上げれば太陽はかなり高い位置で輝いている。まだ梅雨(つゆ)は明けていないはずだけど、雨どころか曇りになる気配さえない。
《今月二十八日に迫った皆既月食! 各地の天文台では――》
 うちに戻って車庫から自転車を取り出していたら、ふとさっき聞いた女性キャスターの声が頭をよぎった。
「あと、三週間か……」
 空を見上げながら、ぽつりとつぶやく。同時に、喉の奥がうずいてきた。
 それ以上考えるのをやめた俺は、普段より軽いスクールバッグを自転車のカゴに放り込み、陽炎(かげろう)立つ道へと()ぎ出した。