夏も終わりにさしかかり、赤銅色に染まるような空気をあれほど騒がしく震わせていた蝉達の声も、いつしかまばらになっているのが感じられた。
ここはおなじみ、カレー屋“セラ”定休日における、いつものカウンター席。居並ぶ客の姿もなく、似つかわしくないほどの落ち着いた雰囲気を醸し出している。
その静けさを破る、年季の入ったドアの開閉音が唐突に。
「ごめん、ごめん! ちょっと忙しくて遅れちゃった。いつぞやの中山健一君みたいな失態だね」
「ちょっと何よ~、ダメでしょう! 責任逃れ? 開口一番それはないない! 何だかムカつく~」
ばつの悪そうな吉田真美が中山健一に遅刻をたしなめられた。おまけに本日の2人は髪型が被ってしまっている。双方ともショート丈の黒髪ストレート左右分け。男女の違いはあるにせよ、まるで申し合わせたような奇妙な状況だ。
「賑やかなのは結構な事なんだが、もっと大人になろうぜ、お2人さん」
今回の恐竜メニュー食事会は、暫く入院生活を余儀なくされていた松上晴人の全快祝いの意味もあったのだ。しかし当の本人はテンション低め。
ジュラ紀へダイブしている時と打って変わって、無口で物静かな青年に戻ってしまうのは恒例の事であるが、何だかいつも以上に暗い。
厨房に立つ白衣のセラミックが言う。
「リーダーは退院したばかりで、まだ本調子じゃないんですよ」
その言葉に、少し痩せた松上が反応する。
「いやいや、完全に回復したからこそ、ここにいるんだよ」
「そうですか……」
若干しおらしくなったセラミックに、松上は『しまった』と言いたげな表情を垣間見せた。
両手を叩いて場の空気をリセットしたげな中山健一が言った。
「え~、本日のスペシャル食事会は、βチームのリーダーである松上さんの退院祝いなのですが……私こと中山健一のβチーム復帰祝いも兼ねて執り行いたいと思っております。皆さん拍手~」
ぱらぱらと手を叩く音が響く中、セラミックは4名分の料理の用意に大忙しだ。厨房から派手なフランベの炎が上がり、出席者の歓声が聞こえてくる。
「何だか肉が焼けるいい匂いがしてきたわ~。お腹が減ってもう、たまんない。……実を言うと私、見習い新人であるセラミックちゃんの恐竜料理を食べるのは、今日初めてなの。すごく期待しているわよ」
健一君が、さり気なく鋭い笑顔でセラミックにプレッシャーを掛けてくる。彼は男だがリーダーに(恋愛感情?)を抱いており、遭難中にセラミックと松上晴人が2人っきりとなり、濃密な時間を過ごした事実に激しい嫉妬の炎をフランベのように燃え上がらせていたという。
男女の間に何が起こったのか、喧嘩もせず仲良く過ごしたのか等々……彼から執拗に問い質され、精神的に参っていたセラミックは、辟易とした記憶がある。
「私は問題ないけど、病み上がりなのに肉? 重くて消化も悪い料理をリーダーに振る舞うつもりなの? 言っとくけど、今回の肉は固いわよ」
「ッるさいよ! 健一君! 一番しんどかったのは、未成年で最年少のセラミックなのが分からないの? もうこのオッサンには残飯でも食わしときゃいいんだよ」
ついに吉田真美が座席から立ち上がり、中山健一に噛み付いた。正にそのまま、彼に冷水でも浴びせ掛けるような勢いだ。
「何よ~! アンタは黙ってなさいよ」
リーダーを間に挟んで、両者の睨み合いと罵り合いが続く。『いい加減に……』松上晴人の台詞が飛び出す前に、セラミックは元気な声を響かせた。
「ありがとうございました! 健一君、じゃなかった、中山さん。あれほどの遭難劇だったのに、まだ学生身分の私を気遣ってマスコミをブロックしておいたそうですね! 報道規制を敷いてくれたおかげで、私は家族にあまり心配掛けさせずに済みました。あれから学校にも何事もなく通えて、すんなりと日常生活に戻る事ができたのも、中山さんの的確な配慮の結果だと思ってます」
彼女の流暢かつ、感謝の意がこもった言葉に、店内が水を打ったように一瞬しん、となった。